(優秀メルマガブログ紹介)
http://tansoku159.blog.fc2.com/
短足おじさんの一言

(見出し)

2019-01-07 17:36

ヨーロッパの移民問題を考える

(私のコメント)
この記事のお終いに書いてある結論は次の通りです。
「結論です。
欧州がそれ自体、その信念、その伝統、そしてその正統性への信頼を失くしてしまった
この事が多分一番大きな問題なのでしょう。」
「矢張り日本人が、その信念、その伝統、そしてその正統性への信頼を確立する、こんな事が必要だと思います。」
この結論に書かれたことを行った人がいる。
その人とは第一次大戦に負けて、伝統と正当性の信頼を失ったドイツを建て直したヒットラーだ。
ヒットラーは戦争に負けて天文学的な賠償を負わされ、自信を失ったドイツ国民を鼓舞して信念伝統を再構築したのだ。
彼はまず経済を復興させて好景気を演出した。当時のドイツの知識人は当初ナチスに懐疑的だったが、経済が回復したので支持に回った。
現在ヒットラーを支持したのは下層階級の人々だ、というのが教科書的な多数説だが、これは嘘で本当は知識人が支持したのだ。
現在ドイツで移民を支持し、推進する知識人は実はヒットラー支持者と同じなのだ。
また、ヒットラーはあちこち侵略したように言われるが、彼はドイツが第一次世界大戦で失ったドイツ領を回復しようとしただけだ。
つまり、伝統と正当性を守ろうとしたら失地回復が一番手っ取り早い。
ドイツの軍部のやはり最初はナチスに反対していたのだが、失地回復がうまく行き始めたので支持に回った。
ヒットラーに対する最大の避難材料はユダヤ人虐殺だ。
ユダヤ人虐殺は昔からの欧州全体の伝統であるキリスト教から来るユダヤ人蔑視と、戦中戦後のユダヤ人の戦勝国に寝返った振る舞いに対する怨念、当時はやった最新科学である優生学などの原因が複雑に絡み合い起きた。
これもドイツ民族の極端に走った伝統回帰と言えばいえるのではないか。
現在ホロコーストは絶対真実で一切その内容の研究批判は禁止されているが、これは一種の宗教になっている、ということだ。
つまり、反ヒットラーが一種の宗教で、ユダヤ人はその聖家族になってしまった。
そして、ヒットラーがやろうとした伝統、信念、正当性への信頼回復も又その宗教から見て悪魔の所業となった。
ドイツの伝統、信念、正当性を回復することは、悪の極みでドイツ人として絶対にやってはいけないことなのだ。
そうなると、二度の戦争に負けたドイツ人は自分を殺すか、全然別の文化伝統を持つか、いずれかしかない。
それが今の欧州にイスラム教が蔓延する原因だ。
ヒットラーの再登場や再評価は無理としても、それに近い人や思想概念が出てこない限りドイツと欧州は無くなるだろう。
但し、私見だが、もう手遅れではないか。
自国民自民族の女が強姦されても警察も新聞も何も騒がず、見過ごしているようだが、これはもう滅亡している、といってよい。
日本もこれだけは守らないといけない。
(参照)
https://blogs.yahoo.co.jp/tfjtoday_nanminwatch
ナンミンウォッチ
なお、ドイツでは銃の所持が合法で、それを持つ人が増えているそうだ。
知識人より生活を大事にする地に足の着いた庶民感覚からすると、兎に角自分の身を守るところから始めないといけない。
随分追い詰められたものだ。

(私のコメント終)
(引用開始)
前回のエントリー「日本社会の歪みの淵源を議論すべき時」で青山繁晴さんの「移民国家阻止 わたしは諦めない」という一文を取り上げた。但し前回は移民問題よりも「日本社会の歪みの淵源」について書いたので、今回は移民問題を取り上げます。

今回のテーマはヨーロッパで大問題になっている移民問題、これをイギリス人ジャーナリスト、ダグラス・マレーのYOUTUBE動画でで紹介します。


最初にダグラス・マレーと言ってもわからないが近著はこんな本のようです(実は私もまだ読んでない)。

西洋の自死  移民・アイデンティティイスラム
ダグラス・マレー 著  町田敦夫 訳
内容紹介
著者は、シリア難民や移民問題をめぐって、ベルリンからパリ、ギリシャなど欧州を横断し、難民、歓迎側、拒否側など、様々な立場の人々を取材しながら、独自の視点で、今日の欧州が自らを追い詰めていく人口的・政治的現実を分析。


こんな風ですが、そのダグラス・マレーが動画でエッセンスを話しています。

ヨーロッパの自殺
2018/05/14 に公開

 欧州は自殺しようとしています。なぜでしょうか。このビデオでは、『西洋の自死』の著者であるダグラス・マレーが、迫り来る欧州の崩壊の2つの主要な原因について説明します。

スクリプト:
 ユダヤ教キリスト教の価値から生まれた文明、古代ギリシャの哲学、啓蒙時代の発見は、自らの手に導かれて深い穴の縁に立ち、その奥底を見つめています。寒々しい言い方をすれば、欧州は自殺しようとしているのです。なぜこんなことになったのでしょうか。複雑な問題ですが、大きな原因は2つです。

第1は、欧州への人々の大量流入です。これは第二次世界大戦後から着実に進行していましたが、中東、北アフリカ、東アジアから100万人を超える移民が欧州になだれこんだ2015年の難民危機以降、大きく加速しました。

同じくらい重要な第2の原因は、欧州がそれ自体、その信念、その伝統、そしてその正統性への信頼を失くしてしまったということです。2つの原因を詳しく見ていきましょう。

欧州は何十年もの間、主に中東や北アフリカから一時的労働者を積極的に招きました。誰も彼らが留まるとは考えませんでしたが、彼らは留まりました。不法移民も含め、誰も彼らに帰国を求めませんでした。1999年、英国の移民担当大臣はこう言います。「移民を返すには時間がかかる。感情的な問題もある」

そして、もちろん、彼らには去る理由もありません。欧州には出身国よりもはるかに多くの経済的機会があります。仕事がなくなれば、気前の良い社会保障が用意されています。欧州の「多文化主義」への取り組みにより、移民は彼らの望む文化を維持することが許されたどころか奨励された時期もありました。

しかし、これはうまくいきませんでした。①英国、フランス、ドイツの指導者は2011年になってこれを認めました。キャメロン、サルコジメルケルは、多文化主義は失敗したと衝撃的に認めたのです。こうして、移民は同化し、西洋の価値を受け入れるように求められるようになりました。

欧州各国は、これがうまくいけば、財政的負担や稀に起きるテロも大きな問題にならないと説明しました。しかし、思い通りにいかないどころか、移民は増え続けます。2015年だけで、ドイツとスウェーデンは人口の2%にあたる移民を受け入れました。2017年に英国で最も多く命名された男子名はムハマドムハンマド(Muhammed)です。

それでは、なぜ欧州の指導者たちは、欧州の価値とまったく異なる価値を持つ人や、それに反対する人も含め、戦争から逃げてきた人でも、単純により良い生活を求めている人でも、世界中からあらゆる人を受け入れることができると決めたのでしょうか。

この質問に一言で答えるとすれば、それは「罪悪感」です。これらの難民は、欧州の帝国主義に起因する状況から逃げようとしているのではないか、と考えているのです。彼らの国の不運な人々を無慈悲に搾取したのは私たちではないのか。彼らの悲惨な状況の原因は私たちにあるのではないか、と。

②欧州に彼らを受け入れることで、この罪悪感を消すことができます。特にこれはドイツにあてはまります。アンゲラ・メルケルは、2015年に150万人の移民を受け入れることで、20世紀の強大な侵略国でホロコーストの設計者であるドイツが、21世紀の人道的超大国になったと実質的に宣言したのです。

高貴な感情かもしれません。しかしその代償を払うのは誰でしょうか。幾何級数的に増加する犯罪やテロを体験しなければならなかった欧州の一般市民です。彼らの恐怖や不満はほぼ無視されましたが、それだけに留まりません。

2015年10月、ドイツ政府は800人の新たな移民をカッセル市に割り当てます。不安な住民は、行政側に質問するため会合を開きます。動画によれば、住民は冷静に振舞っています。会合の途中、行政区長がこう告げます。「住民が反対しようが難民は来る」。同意しない人は「自由にドイツを去ってよい」。

「問題があるなら、それは移民ではなく市民の問題だ」という行政の姿勢は、エリート層に漂う「徒労感」を反映していると私は考えます。欧州の物語は語り尽くされた。宗教や考えうる全ての政策も試した。どれも失敗だ。何もうまくいかない。ならば、私達がいなくなれば世界はうまく回るんじゃないか。

もちろん、こうした見方を取ることができるのは、自分がどれほど幸運なのかを理解していない人々のみです。皮肉なことに、真の意味で同化し、西洋の価値を守ろうとする難民以上にこれを理解している人はいません。

たとえば、啓蒙時代の原則をオランダ人以上に信じたためオランダを去ったソマリア生まれのヤーン・ヒルシ・アリや、欧州の価値を擁護したために同じ移民から命を脅かされているドイツ在住のハメド・アブデル・サマドなどの非凡な人々です。

これは本質的に文化の自殺、自己破滅です。
一般的な欧州人が指導者との心中に加わる可能性はあります。しかし、最近の世論調査によれば、彼らにその意思は見てとれません。この意思に基づき彼らがどう行動するかは、これから数年の重要な物語となるでしょう。

私たちが目撃するのは、欧州の終焉でしょうか。それともその再生でしょうか。

<動画の字幕は此処まで>


>①英国、フランス、ドイツの指導者は2011年になってこれを認めました。キャメロン、サルコジメルケルは、多文化主義は失敗したと衝撃的に認めたのです

この件は2010年10月に第一報が出ています。
Merkel says German multicultural society has failed
17 October 2010
https://www.bbc.com/news/world-europe-11559451


この問題の根の深い所は、2010年~2011年、移民を入れての多文化共生がうまくいかないと分かっていたのです。なのに何故2015年にあのように多数の移民を受け入れたのか。その結果として国内が無茶苦茶になってしまったのだが、なぜそんな決断をしたのだろう。


>②欧州に彼らを受け入れることで、この罪悪感を消すことができます。特にこれはドイツにあてはまります。アンゲラ・メルケルは、2015年に150万人の移民を受け入れることで、20世紀の強大な侵略国でホロコーストの設計者であるドイツが、21世紀の人道的超大国になったと実質的に宣言したのです。

こんな高尚な事を考えているようだが、実はこれは善良な、罪悪感を持った一般市民を騙す表の顔。裏に見える本心はもっと別の所にあった。


この件は私もこんなエントリーをしました。

「ドイツの移民受け入れに思う事」 2015-09-12 21:01
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1162.html

ここにこんな記事を紹介しました。

<以下ロイターより引用>
焦点:難民は「未来の熟練工」、ドイツ高齢化の救世主か
International | 2015年 09月 11日 15:54 JST
http://jp.reuters.com/article/2015/09/11/analysis-migrants-germany-skilled-worker-idJPKCN0RB0I820150911
 
ドルトムント/ベルリン 10日 ロイター] - 欧州諸国の多くが難民・移民の大規模な受け入れは自国経済に損失をもたらし得ると考える一方で、ドイツは記録的な難民流入に頼ることで自国を救おうとしている。

死亡数が出生数を上回るなか、ドイツの労働人口は2030年までに600万人減少する見通しで、持続的な経済成長を危うくしている。

「われわれのところにやって来る人々を早急に訓練し、仕事に就かせることができれば、熟練労働者の不足という、わが国経済の未来にとって最大の課題の1つが解決するだろう」とガブリエル副首相兼経済・エネルギー相は10日、議会で語った。

ドイツは年内に約80万人の移民を受け入れる予定だ。移民で不足を埋めつつ、人口を維持するのはドイツ政府にとって簡単なことではないだろう。だが、多くの企業はすでに彼らに期待のまなざしを向けている。
・・・以下略・・・
<引用終り>

この記事で難民受け入れ側の本音が分かると思います。
要は人手が足りない。だから手っ取り早く移民を入れればいいだろう。特にシリアの中間層などは訓練すればいい熟練工になる筈だ。こんなことが背景にあると思う。
特にドイツの自動車産業は猛烈な拡大を続けていた。こんな時は人手が足りないのは当たり前。シリアから質のいい人材が入ってくれば、大歓迎だ。こんな思惑があった筈だ。
そしてこんな理由で難民受け入れを強力に押したのが日本でいえば経団連に相当する経営者団体。この経営者団体自動車産業の圧力がとりわけ強い所で知られています。

それにしても、難民を未来の熟練工???、現場を知らない連中、とんでもないことを考えるものです。

おっと、それで難民はすぐに仕事をするようになったんでしょうか。
実はこれが大外れ。まさに「当てとフ〇ドシは前から外れる」、これを地でいった話で、難民は仕事には全く使い物にならない。
ここにヨーロッパの自殺と言われる状況がある訳です。


難民問題では、上掲「ドイツの移民受け入れに思う事」エントリーのコメント欄で、ドイツ在住の丸山光三さんが「独逸で発生しているのは移民問題ではなく戦争であるという件」という指摘をされています。
さすが慧眼だと思います。その後の展開を見ると丸山さんの言っていることが其の儘起こっています。但しこの件は私も良く分からないので、今回は指摘のみにとどめます。


結論です。
欧州がそれ自体、その信念、その伝統、そしてその正統性への信頼を失くしてしまった
この事が多分一番大きな問題なのでしょう。

翻って日本を見てみます。
日本では若い人の間で意識の大変化が起こっています。
例えば靖国神社への若い人の参拝がどんどん増えています。
最近のトップニュースは、あのエダノンが今まで言ってきたことをかなぐり捨てて伊勢神宮に参拝。これには大神様も驚いたかもしれませんが、まあいいでしょう。

矢張り日本人が、その信念、その伝統、そしてその正統性への信頼を確立する、こんな事が必要だと思います。

 

(引用終了)