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  ロシア政治経済ジャーナルNo.1976


                      2019/4/6
(見出し)

ヒトラーは、どこで失敗したのか?

 

(私のコメント)
ヒトラーは最初の経済と軍事行動がうまく行き過ぎたので自分を過信してしまったのだ。
ヒトラーの経済政策はケインズ経済学の流れで正しかったから、ドイツ人は喜んでヒトラーについて行った。
日本はヒトラーの勢いを見て、それに乗ってしまった。
それまでの日本は人種差別の英米が嫌いで、新興国で立場が同じのドイツが好きだった、といういきさつもある。
当時はヒトラーが勝つ可能性も大きかったから、スターリンは何とか融和して友好条約を結んでごまかそうとした。
こういう時は却って弱い方がずる賢いので生き残る。
強い方が絶滅するのだ。
日本はこういう歴史の試練を越えてきたのだから、この失敗を活かさないといけない。
したたかにあらゆる手段を使って生き残るを考えないといけない。
この記事のように、敵を少なくし、その敵にも内通者を作って切り崩し、味方を増やす。
考えると、今の中国はそれをやっている。
日本は経験を活かすどころか、中国にやられてしまって非常に危険だ。

 


(私のコメント終)

 

(引用開始)
***

私は、歴史の勉強をしていて、はっきりと「勝ち負けの法
則」があることに気がつきました。

今回は、「ヒトラー」の例をあげます。

 

ヒトラーの跳躍

 

アーリア人種は世界一優秀」

ユダヤ人を絶滅せよ」


など、過激思想で知られるヒトラー

彼は、なぜ政権につくことができたのでしょうか?

一つは、第1次大戦の講和条約である「ヴェルサイユ条約
が、ドイツに過酷だった。

ドイツは、欧州のかなりの領土と、海外の植民地を失いま
した。

そして、賠償金は、国民総所得の2.5倍という膨大な額。

今の日本でいえば、「1250兆円の賠償金」という感じ。

それで、ドイツ人は【怒っていた】のです。

この【怒っていた】という状態、重要です。


そして1929年に「世界恐慌」が起こった。

ドイツでも、失業率が40%まで跳ね上がりました。


この怒りと絶望に乗じて、ヒトラーは政権をとった。


1932年の議会選挙でナチスは、第1党に。

1933年、ヒトラーは首相に。

1934年、ヒンデンブルグ大統領が死んだ。

ヒトラーは、「首相と大統領」を兼任する「総統」になり
ました。

この措置、国民投票で約9割の支持を得た。


そう、日本人に匹敵するほど勤勉で真面目なドイツ人たち
は、明らかにヒトラーを支持していた。

それも、圧倒的に。


政権につくとヒトラーは、なんと「ケインズ的政策」を徹
底的にしました。

高速道路をジャンジャンつくり、住宅補修、改修に補助金
を出し。

「自動車を一家に一台」をスローガンに掲げ、自動車購入
は免税とした。

さらに、結婚奨学金を出し、家事手伝いを奨励。

労働市場から女性を、退場させた。

徴兵を復活させ、86万人の失業者を吸収させました。


1935年、首相就任からわずか2年。

ドイツの失業率は、40%から激減し、完全雇用が達成された。

1936年のGDPは1932年比で、なんと50%も増加した。

ドイツ国民は、ヒトラーを「神」と仰ぐようになりました。

 

ソ連と組んだヒトラーの戦略

 

ここで止まっておけばよかったものを。

ヒトラーは、次に進みます。

彼には、三つの目標がありました。


1、ヴェルサイユ条約で失った領土の回復

2、ソ連の資源を確保する

3、ソ連共産主義を根絶すること


そう、彼の主敵は「ソ連」だった。

それで、イギリスもフランスも、当初はヒトラーの動きを
容認していました。

なぜなら、「ヒトラーのドイツは、ソ連の侵攻を防いでく
れる防波堤になる」と考えていた。


ヒトラーは、

1938年、オーストリア併合

1939年3月、チェコ併合。


これは、何の抵抗もなく行われたのです。

次に目をつけたのが、ポーランド

ヒトラーは、「ポーランドを攻めると、イギリス、フラ
ンスが動くかもしれんな」

と懸念します。

それで、驚きの行動にでました。


1939年8月、なんと「仮想敵ナンバー1」であるはずの

ソ連と「独ソ不可侵条約」を結んだ。


この「非道徳的行動」の「戦略的意義」は????

そう、「二正面作戦」を回避するためです。


ポーランドを攻める。

イギリス、フランスが、西からドイツを攻撃する。

ソ連が東からドイツを攻撃する。

こうなるとドイツは「やばい状況」になりますね。

だから、ヒトラースターリンに、「東欧は、ドイツとソ

連で分割統治しよう」と提案し、合意した。


スターリンは、なぜこの話に乗ったのでしょうか?

ヒトラーがイギリス、フランスと戦ってくれる。

すると、ドイツ、イギリス、フランスがみんな疲弊して、
ソ連だけ無傷でいられるでしょう。


こうして、ヒトラーは1939年9月、ポーランドに侵攻。

イギリス、フランスが宣戦布告し、第2次大戦がはじまり
ました。

しかし、彼は、東のソ連と不可侵条約を結んでいるので、
安心して西に向かうことができた。


ポーランドデンマークノルウェーなどをアッという間
に制圧。

そして、1940年6月、なんと大国フランスを1か月で降伏さ
せることに成功します。

 

ヒトラーはなぜ負けた???

 

こうして、ドイツは、東欧、西欧、北欧で、むかうところ
敵なし。

残るは、「イギリスだけ」という状態になった。

東は、独ソ不可侵条約で、まあまあ安心できる。

だから、ほとんど全勢力をイギリス攻略にむけることがで
きる。

ところが・・・・。


ヒトラーは、ここで大きなミスを犯します。

なんと、スターリンとケンカしはじめたのです。

理由はいろいろありますが。

たとえばソ連は、ルーマニアに侵攻した。

ドイツは、ルーマニアの石油を必要としていた。


また、ドイツは、フィンランドに進軍していた。

ソ連は、「フィンランドは、俺たちのものだ」と主張して
いた。


ドイツとソ連は交渉をつづけますが、お互い譲歩すること
ができず、まとまりません。


1940年11月、ヒトラーは「ソ連侵攻」を決意します。

なんと「5か月でソ連との戦争は終わる」とアマアマな見
通しをもっていた。


1941年6月、ドイツはソ連を攻撃し、独ソ戦が始まりまし
た。

大喜びしたのは、イギリスです。

これでドイツは、

西からイギリス、東からソ連に攻められることになる。


1941年12月、日本が真珠湾攻撃し、日米戦争がはじまった。

ヒトラーは、アメリカに宣戦布告しました。


これで、ドイツは、アメリカ、イギリス、ソ連を同時に敵
にした。

彼の運命は、1941年12月に決まったのです。

 

▼どうすればヒトラーは勝てたのか?

 

これ、わかりますね。

ソ連と戦わずに、イギリスだけ攻めておけばよかったので
す。

で、同盟国の日本に、「アメリカと戦わなくてもいいから、

イギリス軍がアジアから欧州に来れないように足止めして

くれ」と要求すれば、日本は動いたでしょうか?


とにかく、イギリス、ソ連と同時に戦わず、イギリスだけ
攻めておけば、勝ち目はあった。

ところが、ヒトラーは愚かにも、アメリカ、イギリス、ソ
連を同時に敵にまわした。

 

▼日本の教訓

 

このように、実をいうと「勝利の方程式」はシンプルなの
です。


1、敵の数をなるべく少なくすること

2、味方の数を増やすこと


これで勝てます。

日本はどうでしょうか?


民主党時代、日米関係、日中関係、日ロ関係、日韓関係は
最悪でした。

日米関係は、「トラストミー」鳩山さんがぶち壊した。

日中関係は、「尖閣中国漁船衝突事件」「尖閣国有化」で
「戦後最悪」になっていた。

日ロ関係は、メドが北方領土を訪問し、最悪になっていた。

日韓関係は、李が「韓国に来たければ、日王は謝罪せよ!」
といい、最悪になっていた。


これを、安倍総理が、一つ一つ丁寧に修復してきたのです。

総理のおかげで、

日米関係、日ロ関係、日韓関係がよくなった。

その結果、日中関係までよくなってきた。


しかし、再び、日本外交に暗雲が漂っています。

日韓関係が最悪になっている。

プーチンがまったく譲歩しないので、日ロ関係が悪くなっ
てきている。

日本が中国に接近しすぎるので、日米関係がぎくしゃくし
ている。

日中関係だけ改善している。


これ、どこからどう見ても戦略的ではありません。

皆さんご存知です。

中国の戦略は、日米関係、日ロ関係、日韓関係を破壊する
ことで、日本を孤立させ、破滅させることです。

 

(●この原文を再読して復習しよう!↓
http://rpejournal.com/rosianokoe.pdf

だから日本の戦略は、日米関係、日ロ関係、日韓関係を良
好に保つことで、

中国の戦略を【無力化】させること。


今、日本は、韓国、ロシアとの関係が悪化しています。


「むこうが悪いからだろ!」


その通り!

ですが、事実は変えられません。

それで、世界一喜んでいるのは、習近平です。

なんといっても、私たち日本国民が、彼の思惑通りに動い
ているのですから。

私も、ムカついたり、怒ったりします。

しかし、最後には必ず、以下の言葉を思い出します。


「戦略と感情が矛盾するとき、

私たちは、

必ず【戦略】を選択しなければならない。

【また敗戦】したくなければ・・・」


(引用終了)