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週刊東洋経済プラス

(見出し)
アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か
「オカシオコルテス」がMMTを激オシする理由
2019/03/26
中野 剛志
(私のコメント)
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https://ameblo.jp/reisaiouen/
働く人のためのケインズ革命

上記記事で解説したMMT(モダン マネー セオリー)現代貨幣理論の続きの論文だ。
著者の中野 剛志さんは私の大好きな評論家で著書は大体読んでいる。
この人の「富国と強兵」という本には、この現代貨幣理論を中心に経済学の歴史的流れを書いていて大変面白い。
分かりやすく書いてあるので一読をお勧めします。
そもそも経済学は、数学などを使って科学の形をしているが、実は科学と言えないような要素が多い。
宗教とまでは言わないにしてもイデオロギーを信奉することで成り立っている、と考えた方が良い。
だから、下記の記事にあるように偉い人が言うから信じたり、教科書に書いてあるからと信じてはいけない。
現状はどうなのか、過去の歴史からどうだったか、必ず事実を検証して見ないと正しいと信じてはいけない。
経済学者が経済学を科学だと考える根拠は「経済学の教科書があるから」と言っている。
これはキリスト教で聖書があるから正しい、イスラム教でコーランがあるから正しい、と言うのと同じで根拠薄弱だ。
このMMT理論も今後議論を重ねる必要があるが、私は今の処中野剛志さんの論旨は正しいだろうと思っています。
前回の論文は、中野さんのMMTの問題点を明らかにしていて、両方読むと実像が現れてくる。
この理論はこれからの世界を動かす理論になるだろうから関心を持った方が良いだろう。
(前回の要約)
1.ケインズは、租税貨幣論や貨幣借金論は採用していない。
貨幣論は表券貨幣論(「価値を記録した書面」を信じることで成立する貨幣論)で十分説明が出来る。
2.MMT現代貨幣理論は金本位制を批判し、金属主義貨幣論を打破するために構築された。
そこで、当時信じられた金本位制金属貨幣論を攻撃するためにMMTイデオロギー化してしまった。
租税貨幣論や貨幣借金論は可能性としては成り立つが、正しいと断言はできない。
3.古典派であろうと、ケインズであろうと、貨幣の発展は、物々交換から商品貨幣へ、商品貨幣から表券貨幣へと発展して来たことに異議を持っていません。
異議を持たない理由の一つは、それを知ることは重要ではないからです。
ケインズは、貨幣の機能を研究することが重要なのであり、貨幣の起源を論じることが重要とは思われないと言っています。
4.MMTの主張の全ては、貨幣を使っている人が何を信じているかにあります。
しかし、何を信じていようと、今、表券主義だけで貨幣が流通していることが、必要かつ十分な事実なのです。
貨幣負債論と租税貨幣論という捉え方そのものについては、そういう考え方がることをあえて否定する気はありません。
なぜなら、その人が貨幣負債論と租税貨幣論というイメージを持つことで、
通貨発行の自由を実感できるのなら、そう考えるのも良いだろうと思うからです。
しかし、それはその人の個人的な思考の癖にすぎないのであって、私には関係の無いことです。

5. 現在は、「価値を記録した書面」という意味の表券貨幣の発行でどんな影響があり、
どういう発行ルールが決められるべきかの議論が残されているだけと思われます。
6.MMT論者のほとんどは、緊縮財政を批判しているだけで、それ以外のものは批判していません。
MMT論者のほとんどが、政府は無限に貨幣を発行出来るのだから、政府支出においてそれを使えば良いというところで議論が止まっていて、
既存の税制および金融制度に関する議論はおざなりにしています。
具体的に言うとMMTの眼中にないのは、①税制、②社会保障制度、③金融制度、④雇用制度の4つです。
これに、⑤自由貿易主義者であることも含めて良いかも知れません。
(私の注;これについては下記の論文では一部だが触れている。)

7.MMTは、日銀の通貨発行に関係なく、負債を記録するだけで貨幣を作り出すことが出来ると言っていますが、
負債を記録するときは必ず自分の保有貨幣または日銀からの調達の可能性を根拠としていなければならないので、この論は明らかに間違っています。これは、MMTにとって致命的な間違いであると思われます。
8.積極財政派とMMTの一致するところは「貨幣発行の基準を財政収支ではなくインフレ率に求めよう」という部分しか無いのであって、
①②③④に関する制度の設計については、全く異なったスタンスを持っているのです。
9.しかし、インフレによってのみ、債務者は持続的に債務から救済されます。
よって、低所得者貧困層は未来に向けて債務を拡大することが可能となり、中間層に成り上がる道が切り開かれて来たのです。
インフレこそが、低所得者貧困層に残された最後の切り札なのです。


(私のコメント終)


(引用開始)
地動説や進化論も「異端」だった
ガリレオが地動説を唱えたとき、あるいはダーウィンが進化論を唱えたとき、学界や社会の主流派は、その異端の新説に戸惑い、怒り、恐れた。
そして、攻撃を加え、排除しようとした。

しかし、正しかったのは、主流派に攻撃された少数派・異端派のほうだった。

このような科学の歴史について、トーマス・クーンは次のように論じた。

科学者は、通常、支配的な「パラダイム」(特定の科学者の集団が採用する理論・法則や方法論の体系)に忠実にしたがって研究している。
科学者の間の論争はあるが、それも、このパラダイムの枠内で行われているにすぎない。
パラダイムから逸脱するような理論は「科学」とはみなされずに、無視されたり、排除されたりするのである。

このため、仮にパラダイムでは説明できない「変則事例」が現れても、科学者たちは、その変則事例を深刻には受け止めない。
相変わらず、パラダイムを無批判に信じ続けるのだ。

ところが、そのうちに、支配的なパラダイムに対する信頼を揺るがすような深刻な「変則事例」が現れる。
こうなると、科学に「危機」が訪れる。科学者たちは根本的な哲学論争を始め、支配的なパラダイムを公然と批判する者も現れ、学界は混乱に陥る。

そのうちに、より整合的な説明ができる新たなパラダイムが提案され、やがて従来のパラダイムにとって代わる。
地動説や進化論もまた、そうやって現れた新たなパラダイムの例である。

クーンが明らかにしたのは、どの科学が正しいかは、合理的な論証によって判断されるとは限らないということである。
科学者の判断は、科学者個人の主観や社会環境など、必ずしも合理的とは言えないさまざまな要因によって左右されるのだ。

これは、地動説や進化論が弾圧された時代に限った話ではない。現代でも当てはまる。

近年の神経科学の実証研究によれば、人間の脳には、所属する集団のコンセンサスに同調するように自動的に調整するメカニズムがあるという。
どうやら、われわれの脳は、主流派の見解からの逸脱を「罰」と感じるらしいのだ。

クルーグマン、サマーズ、バフェット、黒田総裁の批判
今まさに、クーンの言う「パラダイム」の危機が、経済学の分野で起きつつある。ア
メリカで巻き起こっている「現代貨幣理論(MMT)」をめぐる大論争が、それだ。

主流派経済学のパラダイムでは、財政赤字は基本的には望ましくないとされている。
財政赤字の一時的・例外的な拡大の必要性を認める経済学者はいるものの、中長期的には健全財政を目指すべきだというのが、
主流派経済学のコンセンサスなのである。

ところが、この健全財政のコンセンサスを、「現代貨幣理論」は否定したのだ。

このため、クルーグマン、サマーズ、ロゴフといった影響力のある主流派経済学者、アメリ連邦準備制度理事会FRB)のパウエル議長、
あるいはフィンクやバフェットといった著名投資家ら、そうそうたる面々が現代貨幣理論を批判している。

その言葉使いも異様に激しい。
クルーグマンは「支離滅裂」、サマーズは「ブードゥー経済学」、ロゴフは「ナンセンス」、フィンクにいたっては「クズ」と一蹴している。

日本でも、黒田日銀総裁が記者会見(3月15日)において現代貨幣理論について問われると、
「必ずしも整合的に体系化された理論ではない」という認識を示したうえで、
財政赤字や債務残高を考慮しないという考え方は、極端な主張だ」と答えている。

しかし、現代貨幣理論は、クナップ、ケインズシュンペーター、ラーナー、ミンスキーといった偉大な先駆者の業績の上に成立した
「整合的に体系化された理論」なのである。

にもかかわらず、黒田総裁が「必ずしも整合的に体系化された理論ではない」と感じるのは、
それが主流派経済学とはパラダイムが違うからにほかならない。

ここで、「現代貨幣理論」のポイントの一部をごく簡単に説明しよう(参考:スティーブン・へイル「解説:MMTとは何か」)。

まず、政府は、「通貨」の単位(例えば、円、ドル、ポンドなど)を決めることができる。
そして、政府(と中央銀行)は、その決められた単位の通貨を発行する権限を持つ。

次に、政府は国民に対して、その通貨によって納税する義務を課す。
すると、その通貨は、納税手段としての価値を持つので、取引や貯蓄の手段としても使われるようになる
(紙切れにすぎないお札が、お金としての価値を持って使われるのは、そのためである)。

さて、日本、アメリカ、イギリスのように、政府が通貨発行権を有する国は、自国通貨建てで発行した国債に関して、
返済する意思がある限り、返済できなくなるということはない。

例えば、日本は、GDP国内総生産)比の政府債務残高がおよそ240%であり、先進国中「最悪」の水準にあるとされる。
にもかかわらず、日本が財政破綻することはありえない。日本政府には通貨発行権があり、発行する国債はすべて自国通貨建てだからだ。

政府債務残高の大きさを見て財政破綻を懸念する議論は、政府の債務を、家計や企業の債務のようにみなす初歩的な誤解に基づいている。

政府は、家計や企業と違って、自国通貨を発行して債務を返済できるのだ。したがって、政府は、財源の制約なく、いくらでも支出できる。

ただし、政府が支出を野放図に拡大すると、いずれ需要過剰(供給不足)となって、インフレが止まらなくなってしまう。

このため、政府は、インフレがいきすぎないように、財政支出を抑制しなければならない。
言い換えれば、高インフレではない限り、財政支出はいくらでも拡大できるということだ。

つまり、政府の財政支出の制約となるのは、インフレ率なのである。

ちなみに、日本は、高インフレどころか、長期にわたってデフレである。
したがって、日本には、財政支出の制約はない。デフレを脱却するまで、いくらでも財政支出を拡大できるし、すべきなのだ。

物価調整手段としての「課税」と「最後の雇い手」政策
さて、国家財政に財源という制約がないということは、課税によって財源を確保する必要はないということを意味する。

アメリカでの現代貨幣理論の流行を紹介した日本経済新聞の記事は、
この理論の支持者が「政府の借金は将来国民に増税して返せばよい」と主張していると書いているが、これは誤解である。
現代貨幣理論によれば、政府の借金を税で返済する必要すらないのだ。

だが、現代貨幣理論は、無税国家が可能だと主張しているわけではない。

そもそも、現代貨幣理論の根幹にあるのは、通貨の価値は課税によって担保されているという議論だ。

また、もし一切の課税を廃止すると、需要過剰になって、インフレが昂進してしまうであろう。
そこで、高インフレを抑制するために、課税が必要となる。

また、格差是正のための累進所得税、あるいは地球温暖化対策のための炭素税など、政策誘導のためにも課税は有効である。
要するに、課税は、財源確保の手段ではなく、物価調整や資源再配分の手段なのである。

さらに言えば、現代貨幣理論は、物価調整の手段として、課税以外にも、
「就労保障プログラム」あるいは「最後の雇い手」と呼ばれる政策を提案している。
これは、簡単に言えば、「公的部門が社会的に許容可能な最低賃金で、希望する労働者を雇用し、働く場を与える」という政策である。

就労保障プログラムは、不況時においては、失業者に雇用機会を与え、賃金の下落を阻止し、完全雇用を達成することができる。
逆に、好況時においては、民間企業は、就労保障プログラムから労働者を採用することで、インフレ圧力を緩和する。

こうして就労保障プログラムは、雇用のバッファーとして機能する。
政府は、同プログラムに対する財政支出を好況時には減らし、不況時には増やすことで、景気変動を安定化させる。
不況時には確かに財政赤字が拡大するが、低インフレ下では、財政赤字はもとより問題にはならない。

こうして、就労保障プログラムは、物価を安定させつつ、完全雇用を可能にするのである。

現代貨幣理論を理解していない批判
以上は、現代貨幣理論の一部にすぎない。

しかし、これを踏まえただけでも、主流派の経済学者たちや政策担当者たちの批判が、いかに的を外れたものであるかがわかるようになるだろう。

例えば、パウエルFRB議長は「自国通貨建てで借り入れができる国は財政赤字を心配しなくてよいという考え方は間違いだ」と断定し、
黒田日銀総裁も「財政赤字や債務残高を考慮しないという考え方は、極端な主張」と述べた。サマーズも、財政赤字は一定限度を超えるとハイパーインフレを招くと批判する。

しかし、読者はもうおわかりだと思うが、これらはいずれも、まともな批判になっていない。
現代貨幣理論は、「財政赤字の大小はインフレ率で判断すべきだ」という理論である。ハイパーインフレになっても財政赤字を心配しなくてよいなどという主張はしていない。それどころか、インフレを抑制する政策について提言している。

要するに、批判者たちは、現代貨幣理論を理解していないということだ。いや、そもそも、知ろうとすらしていない節すらある。

なぜ、そのような態度をとるのか。それは、彼らが、現代貨幣理論のことを、主流派経済学のパラダイムに属していないという理由によって、
まともに取り扱うべき経済学と見なしていないからであろう。

パラダイムが変わるのが怖い主流派経済学者たち
しかしながら、その一方で、リーマン・ショックのように、主流派経済学のパラダイムに対する信頼を揺るがすような「変則事例」が起きている。
それについては、主流派経済学者たち自身も認めつつある。主流派経済学者の予想に反して財政破綻しない日本も「変則事例」の1つであろう。

主流派経済学は、まさにクーンが言うパラダイムの「危機」に直面しているのだ。
だからこそ、主流派経済学者たちは、現代貨幣理論の台頭が気になり、躍起になって批判しているのである。
パラダイムが変わるのが怖いのだ。

だが、かつて、物理学のパラダイムを一変させたアインシュタインが言ったように、
「問題を生じさせたときと同じ考え方によっては、その問題を解決することはできない」

現下の経済問題を解決するためには、経済学のパラダイムから変えなければならないのだ。

だから、現代貨幣理論についても、知りもしないで一蹴したり、利口ぶった皮肉で揶揄したりせずに、
正しく理解したうえで、フェアに論争してもらいたい。


(引用終了)