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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)7月3日(水曜日)
       通巻第6126号


(見出し)
加瀬英明のコラム」

パリのノートルダム聖堂が炎上した
(私のコメント)
啓典宗教の時代は終り、神道のような自然宗教の時代が来るのかもしれない。
あるいは創価学会のような新興宗教が群雄割拠の戦国時代のように出てくるのかもしれない。
いずれにしろ、世界の現象は宗教を抜きにして語れない。
(私のコメント終)


(引用開始)
パリのノートルダム聖堂が炎上した

4月15日にパリのノートルダム聖堂が、キリスト教の最大の祝日とされる復活祭のさなかに、炎上した。
 イエス・キリストが十字架に磔(はりつけ)られ、3日後に復活したと伝えられるのを祝う祭である。
 私はテレビのニュースで尖塔が燃え落ちるのを観ながら、セーヌ川の中洲のシテ島に建つ大伽藍といえば、エッフェル塔と並ぶパリの観光名所だが、もはや信仰の対象でなくなっていることを思った。
 ノートルダム聖堂は歴史の博物館だ。ヨーロッパでは、キリスト教というより宗教離れが、進んでいる。フランスも例外ではない。最近、フランスで行われた調査によれば、フランスの若者の7%しか教会に通わない。
 いや、ノートルダム聖堂は観光施設になっているというよりも、貴重な歴史博物館といったほうがよい。
 ノートルダム聖堂はいまから800年前に着工され、200年かけて完成した。「ノートル・ダムNotre Dame」は「わが婦人」を意味するが、聖母マリアのことだ。
 フランスといえば、すぐにフランス革命を連想させられる。
 フランス革命は、国王、王妃をはじめ、5万人以上の貴族、地主など富裕階層、僧侶、尼、政敵などを大量処刑した蛮行だったのに、いまでも「パリ祭」として盛大に祝われている。
 情——心よりも、理を優先するヨーロッパ人や、中国人は恐ろしい。日本に生まれて幸せだったと安堵する。
 5年以内に再建するというがフランス革命は1789年に始まったとされているが、革命派はキリスト教を敵視して、徹底的に弾圧した。
 1793年に、ノートルダム聖堂から十字架や聖像をいっさい取り払って、かわりに祭壇に革命の象徴とされた、裸身に腰巻きをまいた猥雑な女性像が安置され、「自由、平等、博愛」の殿堂となった。

 ナポレオンが1804年に皇帝として戴冠式を行うために、再び教会とした。
 ノートルダム聖堂が炎上すると、マクロン大統領がただちに「5年以内に聖堂を再建する」と述べた。2024年にパリ・オリンピック大会が、開催される。
 私はフランスだけでなく、西ヨーロッパ諸国でキリスト教が力を失っているが、いったいノートルダム聖堂が再建されたとしても、ヨーロッパでキリスト教が力を復活できるのか、疑った。
 フランスでは、イスラム移民が人口の10パーセントに当たることから、再建したノートルダム聖堂は多文化を尊重して、イスラム教の礼拝も合わせて行うべきだという議論がある。
 それにしても、ノートルダム聖堂の火災が、宗教や人種対立のテロによるものではなく、失火だったと知って、胸を撫でおろした。宗教・人種間のテロのグローバリゼーションの恐怖が、世界を覆うようになっている。
 ニュージーランドのクリスチャン・チャーチにおける、白人至上主義者による大量殺戮が起ったばかりだ。もし、スリランカのようなイスラム過激派による放火だったとしたら、ヨーロッパにおける宗教・人種間のテロが激化した。

 ▲西洋の信仰心の行方は

 ヨーロッパにおいてキリスト教の信仰心が衰えたといっても、ヨーロッパの人々はヨーロッパをキリスト教文明圏だとみなしており、イスラム住民に対する嫌悪を強めたことになったろう。
 宗教・人種対立の根は深い。ユダヤ教から分かれたキリスト教が、ユダヤ教の唯一つの聖書を、神の古い約束である『旧約聖書』と呼んでいるが、『旧約聖書』と、ユダヤキリスト教から派生したイスラム教の聖典コーラン』を読むと、宗派や、部族間の憎悪を煽っていることに、呆然(ぼうぜん)とさせられる。
 神武天皇が即位された時に発せられた詔(みことのり)に、世界の全ての人々が一つの家族として睦みえという、「八紘一宇(はっこういちう)」の教えがあるのと比較すると、地球と別の惑星が存在しているようにすら思える。
 神道が森羅万象の和を説く、心の信仰であるのに対して、宗教は信じること——理のうえに、成り立っている。
 紀元1世紀頃に生きたローマの大学者だったケルススが、キリスト教を論じた著作がある。
 「キリスト教徒は十字架を力の象徴として仰いでいるが、もし、キリストが絶壁から投げ下ろされて死んだとしたら、壁を拝むのだろうか」「なぜ、全知全能の神が人の姿をして、地上に降りる必要があったのか」「どうして完全無欠の神が、欠陥だらけの人を装うことができたのか」「なぜ、この時になって人を救おうとしたのか。世界のなかでたった一つの地域だけ、選んだのか」「神とイエスの二人の神がいるのなら、その上に最高神がいるはずだ」と、辛辣に批判している。
 ケルススはセルサスとしても、知られている。百科事典を編纂したといわれるが、このなかの薬科全書だけが遺っており、ヒポクラテスと並ぶ碩学として称えられてきた。

 ▲キリスト教離れが進んでいる

 キリスト教の教義のなかで、もっとも難解なのが、神とその子のイエスと精霊の3つが1つの存在であるという三位一体であり、教義の基本となっている。
 私が親しくしているフランス人のジャーナリストは、もはやキリスト教を信じていないが、「三位一体はスーパーマーケットで、1つの値段で3つ買えるというものだ」といって、笑っている。
 フランシス教皇が来日する
 この11月に、カトリック教会のフランシス教皇が来日して、長崎、広島を訪れることになっているが、このところカトリック教会は崩壊の危機に瀕している。
 カトリック教会では全世界にわたって、枢機卿大司教、司教、神父をはじめとして、多くの聖職者が、青少年、女性や、尼僧に性暴行を加えたかどで告発され、教会の土台が大きく揺ぐようになっている。
 教会は性的な紊乱によって蝕まれてきたのを、長いあいだにわたって隠蔽してきた。
 イエス・キリストが「人を獲る漁師」と呼ばれたことから、魚がカトリック教会のシンボルの1つとなってきたが、在京のイタリアの外交官と教会の性スキャンダルについて話していたら、「イタリアには『ロ・ソホ・コメ・ウンペチェ・ノン・ポソ・パルラーレ』(魚は口をきかない)という諺(ことわざ)がありますよ」と、教えてくれた。

 ▲エコロジーが新しい信仰だ
 
フランシス教皇は2013年から「神の代理人」として、カトリック教会の頂点に立ってきたが、カトリック史上、離婚者の再婚をはじめて容認し、聖書で固く禁じている同性愛者を祝福するなど、物議をかもしている。フランシス教皇バチカン法王庁教皇補佐役のクリストフ・カラムサ神父と、同性愛のパートナーとして同棲してきたことを認めたと、欧米で報じられている。
 アメリカの大都市部でも、キリスト教離れが進んでおり、人々が自然に神性を感じるようになっている。宗教にかわって、エコロジーが人々の新しい信仰となりつつある。

 ▲日本は自国の文化を大切にしよう
 
宗教、人種間のテロがグローバル化しているかたわら、人が八百万千万(やおろずちよろず)の森羅万象によって生かされており、自然を敬う日本の心に当たる、エコロジーが力をえるようになっている。
 幕末から明治にかけて、浮世絵を中心としたジャポニズムが、西洋の絵画芸術、ファッション、庭園、建築などに、深奥な影響を与えた。だが、この時代のジャポニズムは、視覚的なものだった。
 だが、いまや万物に霊(アニマ)が宿っている日本のアニメから、自然を食する和食、武道、茶道、おもてなしの心まで、精神的なジャポニズムが新たな高波となって、西洋を洗いつつある。
 日本国民として、いまこそ自国の文化を大切にしたい。

                  (かせひであき氏は外交評論家)

 

 


(引用終了)