メルマガブログ転送書評強い日本1402-3-345-2/4

読んだ本の紹介
辻貴之著「強い日本を取り戻す」

(私のコメント)
著者は高校教師をしていた人で、自分の周りにいる日教組的な左翼教師に疑問を持ち、
執筆活動に入った人だ。
戦後の日本の思想を舞台の袖から見るように書いているので非常に面白い。
舞台の袖から見るというのは、表向きキラキラ綺麗に光っている左翼思想が、
お粗末な書割に過ぎないことを見て書いている、という意味だ。

非常に共感を覚えることが沢山書かれている本だ。
内容を紹介したいが、ほとんど丸写しになってしまう。
それでは困るので特に印象に残った部分だけ書いていきます。

この人の本の特徴は色々な本から沢山引用してることだ。
自分の主張することを証明する意味で引用されているのだが、
読む側としてはいろいろな人の本を読んだ気がするし、
それらの本のエッセンスがわかって面白い。

この著者が一番言いたい事は、
戦前の戦争への道を主導したのは実質としてのサヨク思想であり、
戦後は戦前の戦争の責任を全部右翼思想が悪かったと総括し、
左翼思想の生き残りを図った、というのだ。

戦後の常識では戦前の悲惨な戦争の責任は右翼の国粋主義軍国主義にあって、
戦後はそれを反省し民主リベラルの国にすることになった、というものだ。
だが、戦争の責任者はほとんど全てサヨク思想の持ち主で、
その左翼思想が戦争の原因だった、と著者は言う。

そして、戦後もサヨク思想は民主リベラルとして生き残り、
自民党社会党などに巣食って日本をダメにし、それが現在に至っている、
というのだ。

そして現在の我々はそういう失敗した左翼思想から卒業して行くべきだと主張する。
著者は左翼思想を卒業したあと、今後準拠していくべき新しい思想として、
保守思想を提示している。
それが後の章である第6章の内容になっている。

簡単に本の内容を述べよう。
第二章は戦後日本の思想の基本である憲法は、
アメリカの左翼リベラルが主導して作られたのだが、
戦前から沢山いたマルクス主義者が関与して作ったものだ、という説明。
戦前の実質サヨクが関与していたのであって、戦前と戦後は実は継続しているということだ。

第三章は左翼とかリベラルという言葉の定義、及び著者が準拠する保守の考え方を説明している。

第四章は現在の安倍政権や世界情勢などを通じてサヨクからの右傾化批判を論じている。
安倍さんは戦前から続くサヨク思想を打破できるのか、その為にはどうすべきか、という話。

第五章は今後の日本人のとるべき道として家族と教育の強化が大切だと訴えている。

第六章は日本を強くするためには保守主義で行くべきだ、という主張を書いている。
その保守主義はどんなものか、サヨク思想と対比しながら説明している。

では、著者が言いたいことを一番最初に書いている第一章から。

・第1章日本を戦争へと導いたのは本当に右翼だったのか。

第二次世界大戦についてアメリカを始めとする戦勝国の公式見解は、
自由主義とファッシズムの戦いで、自由主義が勝利した、というものだ。

しかし、これは実質的には全く違っている。

まず第二次世界大戦後世界の半分以上を支配下に置いたのはスターリンソビエトだった。
自由主義アメリカが勝利したのでなく共産主義ソビエトが勝利したのだ。
だから、戦後直ぐ米ソ対立の冷戦に入ってしまった。

ここで余談を少しします。
アメリカの言う自由主義は表向きの飾りで実質は金融資本主義なのだが、
それらの資本家は実は共産主義者を支援して儲けていたのだ。
彼らは案外共産主義が好きでソビエト毛沢東のシナ共産党も彼らが育てた。
現在アメリカの金融資本家はグローバリズムを唱えているが、
その内容は共産主義と同じなのだ。
つまりアメリカも共産主義シンパだったわけで、
その意味でも自由主義が勝利したのでなく共産主義が勝利したのだ。

そして敗北したドイツ、イタリア、日本はファシズムの国家として糾弾された。

ドイツとソビエトが長期間戦ったので、
ファシズム共産主義と対極にある右翼思想と思われていた。
しかし現在ではファシズムマルクス主義は同じものだという見解が世界的になっている。
すでに大戦の最中にハイエクという人がその見解を発表してベストセラーになっている。
ファシズム共産主義は同根だったのだ。

第二次大戦の主役の1人であるヒットラーは自分を社会主義者と言っていた。
ナチスの正式名は「国家社会主義労働者党」だから共産党とそんなに変わらない。
もう1人の主役の1人はイタリアのムッソリーニだが彼も最初は社会主義だった。
その後、労働組合運動から国家主義社会主義に変質した。

ファシズム共産主義も、共通するのは、全体主義的発想、社会や経済を統制すること、
暴力を肯定すること、この3つだ。
逆にこの3つの思想が背景にある人間は左翼思想の持ち主と見ていいだろう。

イギリスの歴史家ジョンソンは、
マルクス主義革命家のレーニンとファシズムの元祖であるムッソリーニ
共通する特徴を六つ上げている。

要約すると、まず彼らは、
ブルジョア的な議会制と漸進的な改革に類するものに反対した。
・労働者プロレタリアートの自発的な組織など全く信頼せず、
エリートを自認する職業的革命家の力によって大衆を指導する。
・そのエリートが大衆を独裁的に指導し、社会や経済を統制することになる。
・そして目標達成のためには階級闘争に打ち勝たなければならないが、
そのためには組織化された暴力が何よりも大切だと考えていた。

これらの特徴はそのまま戦前の日本の指導層の考え方にも当てはまる。
ただ上に天皇を推戴していたかどうかの違いだけだ。

ではレーニンとムッソリーニの違いは何だったのだろうか。
歴史家ジョンソンの見解で言えばレーニンに著しく欠けていた人間性をムッソリーニは持っていた、
その違いだと言っている。
つまり自国や自国の国民に対して人情があったかどうかの違いだけ、と言っている。

もう1人フランス人のフランソワ・フュレという思想家を紹介しよう。
彼ははコミュニズムファシズムの関係について、次のように言っている。

「両者とも未来思想が存在しており、その根底になったのは、
あくまでブルジョワ近代に対する批判だった。
それらの思想を作り上げたのは過去からのいろいろな思想潮流の重なりだが、
それら全てがブルジョワジーを悪魔のように嫌いぬいていた。
求めていたのは金銭による社会の風化を押しとどめて、国民と国家の団結を回復することだった。」

日本の戦前の若手将校などは三井三菱などの財閥資本家を嫌っていた。
例えば二二六事件の反乱将校等はその典型例だ。
この考え方もコミュニズムファシズムが共通している点だ。

このフィレと言う人は1970年代に「フランス革命を考える」と言う本を書いて有名になった人だ。
この中で革命とは何か、という問いに対して
「暴力の役割とイデオロギー、言い換えると知的幻想の役割だ」
と言っている。

つまりサヨクとは
「法律やルールより暴力を優先させることを是認し、
未来的な理想願望からくる幻想を信奉して、急激に現実をそれに合わせようとする人間」
のことだ。

有名な哲学者ハンナアーレントスターリニズムファシズムの双方を
全体主義として一括して扱っている。

それではこういったブルジョア批判のコミュニズムファシズムの対極にある思想はなんだろうか。
それを探れば、もう少し深く、それらの思想を理解できる様になるかもしれない。

その例として清沢洌(きよし)という人を取り上げてみよう。
この人は太平洋戦争中に書いた「暗黒日記」で有名だ。
彼は自由主義者で戦時下の全体主義的風潮を心から憎んでいた。
つまりコミュニズムファシズムも大っ嫌いだったのだ。
では彼の自由主義とはどんなものだろうか。

この人のことを研究した北岡伸一東大教授の説明から引用します。

「彼は単に他人に支配されることを嫌っただけだ。
彼の自由主義はドクトリンとか主義(イデオロギー)というものでは無い。
人は当然のことながら殺されるのは嫌だし、自分の持ち物を奪われるのも嫌だ。
そういう人間の属性としての自由尊重が彼の自由主義の根底だった。」

人間はイデオロギーなどというもので生きているのではなく本能的な部分で生きている。
共産主義ファシズムの、全体主義、エリートの統制、暴力是認は、
人間のそういった本能に反しているのだ。
だからそのイデオロギーに従わせようとすると大虐殺が起きてしまうのだ。

又余談を少し。
フィレの言う、イデオロギーつまり知的幻想は17世紀以降の西欧で啓蒙主義として生まれた。
当時西欧は海外植民地からの収奪で遊んで暮らせるような人が増えた。
彼らは知識人としていろいろな学問を発展させた。
その中で、宗教的対立から、世の中をよくするためにはどうしたらいいか、
理想の社会はどういうものかという知識人の研究が始まった。

それが知的幻想が生まれた背景だ。
それまではみんな社会の理想など考えず本能に任せていたのだが、
知識人たちの思想が世の中をかえっておかしくしてしまった。

清沢洌はまた、「思想宿命論」という本で面白いことを言っている。
「人間には2つのタイプがある。
一方は妥協的で平和的な温厚な人、もう一方は突進的で破壊的で喧嘩だったら買うタイプだ。
この2人の思想を見ると前者は英国流の妥協的議会主義になる。
後者はソビエトの独裁主義、闘争主義になる。

この戦闘的な性格にも2つの落ち着き先がある。
1つは右翼の国家主義者、もう一つは左翼の共産主義者だ。
一見するとこれは大変な両極端のように見えるが、性格的には同じだからどちらにでもなれるのだ。」

つまりイデオロギーなどと偉そうにいうのが人間の性格の違いに過ぎない、と言ってるのだ。
清沢の自由主義も本能なら喧嘩好きな共産主義も本能だ、と言っているわけだ。
前述の歴史家ジョンソンもレーニンとムッソリーニの違いは性格だといった。

清沢洌の本能的自由主義は、福沢諭吉の説くところも同じだ。
さらに福沢は江戸時代の荻生徂徠伊藤仁斎などの儒学者の思想にもつながっている。
このことは中野剛志先生の本に詳しい。

なお、上記の北岡伸一教授は当時の人々が清沢のような自由主義を捨てようとした原因を探っている。
それは、経済的には1929年以降の世界恐慌で資本主義が大きな打撃を受け、貧富の差が広がり、
どこの国も苦しんだことだ。
その反面多分にプロパガンダもあるのだが、
ソ連の五カ年計画やナチスの経済政策が成功していることを目撃して、
それらが素晴らしいものと写った。

政治的には政党政治の腐敗や政争に明け暮れ、
彼らが民の暮らしに無力であることに絶望を覚えていた事もある。
そういう社会のなかで、人々はいくら本能とはいえ自由を貫くのは難しかったのだ。

特に国を憂える純粋な青年たちは自分たちの自由を国に捧げる犠牲的な精神を持っていたから、
コミュニズムファシズムも受け入れられやすかった。
ドイツのヒットラーだって選挙で選ばれたのだから、つまりそういう時代だったのだ。

その半面敗戦の最後まで議会制民主主義は機能していたのだから、
完全なサヨクの独裁というわけではなかった。

長くなったのでここまでにしておきます。