メルマガブログ転送書評神道「ない宗教」2-1403-4-371-3/4

(続き)
本の紹介
神道はなぜ教えがないのか。
島田裕巳

二回目最終回です。

(前回分のキーワード)

神道とは「ない宗教」世界の宗教は「ある宗教」
・教祖、教義、救済、神像、がない。
・古代は野外の岩影で神を祭り、社殿はなかった。
・天地を創造した創造神がない。
・神が無数に増殖する「勧進」「分霊」の機能がある。
・死者も神として祀られるから神は無限に増える。
・ない宗教である神道とある宗教の仏教が結びついた。
イスラム教神道は共通点がある。
・仏教は修行する僧侶がいるが神道はいない。
・お祭りの主役は氏子で神主でない。

(引用開始)

(続き)

第12章 救済しない宗教

宗教の役割は救済すること。
病気や死の苦しみを救うことが宗教の役割だ。
キリスト教も仏教も苦難からの救済を求めた。

これに対して神道においては救いと言う事は前面に出てこない。
ただし、天理教などの教派神道は救済を役割とした。
9世紀の頃「僧形八幡神」という神像が盛んに作られた。
八幡神が僧侶の格好をしているのだが見た目仏像によく似てる。
このような像がなぜ作られたのか。

仏教の輪廻転生の教えで罪業によって八幡神になってしまった、というのだ。
ここから救われるためには仏教に帰依するしかない、
ということで僧形になっている。
神様でさえ救われる事は無い、ということだ。
「ない宗教」である神道は救いさえ存在しないのだ。

日本人は神道に対して現状がそのまま無事に続いてくれることや
状態が良くなることを望むが、苦しみから根本的に救ってもらうことを望んだりしない。
神道と言う宗教は救いを与えてくれないことで私たちに何かを教えてくれている。
私たちが悩みや苦しみを抱き救いを求めようとするのは
過度の欲望を抱く結果かもしれないからだ。
神道の神様は弱い神様であることは確かだ。
共に泣き共に笑い、寄り添って元気づけてくれるような神だ。
つまり、親のようなものかもしれない。

神前に祈るとき無心になるが、救いを求める事は無心の対極となる。
天は自ら助くるものを助く、自助を促す神なのだ。
東北の震災など災害の多い日本の風土から発生した宗教だ、
ということが分かる。

第13章 姿形を持たないが故の自由。

神道は神が何かを禁じるということもない。
イスラム教偶像崇拝が厳格に禁じられている。
神道では別に意図的に偶像崇拝が禁止されているわけじゃないが神像は作られない。
平安時代に盛んに作られたことはあるが、廃れてしまった。
イスラム教では神は天地に満ち満ちている、という。
神道もおなじ感覚かもしれない。

日本の神は空間又は依代にいるので、形を持たない存在だ。
その為、相当自由な動きができる。
自由な動きの具体化として頻繁に見られるのが「勧請」「分霊」だ。
それは1つの神が無限に増殖して行くことを示す。

日本の神社の総数は10万を超えている。
1番多いのが八幡様で以下次の通りの順になっている。
伊勢、天神、稲荷、熊野、諏訪、祇園、白山、日吉、山神
これらは勧請と分霊で1つの神が無限に増殖できることから起きる。
どの神社を訪れても姿形を持たない神だから、どこも同じに祈る事ができる。

勧進や分霊もそうしろ、と言われている訳では無い。
神道の世界には戒律がないし、それを破る破戒というものもない。
他の宗教を見ても教えや戒律を守らせる事は容易でない。
神道ははっきりした規制がないが、その形は不思議に守られている。
その点で神道は相当変わった宗教で、何もないのに揺るがない。

第14章 浄土としての神社。

神道はもっぱら人間の生の領域を担い、死の領域は仏教に任せられていた。
仏教は死の領域として浄土というものを提示した。
この浄土を神社の境内に見立てようとすることも行われた。
これは神仏習合を理論化した本地垂迹説から来た考えた。

中世の仏教寺院は莫大な荘園を保持していたから、
そこは役所のような機能を果たしていた。
寺院は徹底して世俗の空間だったのだ。
江戸時代はどの人でも皆檀家としてどこかの寺に所属した。
現在で言えば市役所の戸籍係の仕事だ。
神社が神のための場所であるのに対して寺院は人のための場所である。

こういうことから、どうしても寺院からは人の生活の臭いがしてきてしまう。
寺院は神聖さを保っていないし、まして浄土空間として捉える事は出来ない。
だから神社の境内が清浄な空間として神聖さを失わず、
浄土としての役割を果たすことになった。
ない宗教としての神道は世俗性というものもないのだ。

第15章 仏教からの脱却を目指す神道理論

神道は中世においては神道と仏教が融合した神仏習合を背景に体系化、理論化された。
応仁の乱以降の世の中の乱れに危機感を抱き、
新たな神道理論を構築実践しようとしたのが吉田神道だ。
吉田神道密教の影響を強く受けたものだから仏教からの完全独立という訳では無い。
しかし独自の教団組織や経典、祭祀空間をもつ独立性の高いものだった。
吉田神道は公家や武家の支持を得て神号を授与したり、神職を任命する権利を得た。
これが江戸時代に入って徳川幕府によって制度化され、
吉田家は神職の総元締めの地位を確立していくことになった。

江戸時代に入ると吉田神道とは別に様々な神道理論が唱えられるようになった。
江戸時代に盛んになったのは儒学の立場からの神道理論で
その基本は神道儒教の理論が一致すると言う「神儒合一論」たった。
徳川家康の御用学者である林羅山天皇の祖先はシナの聖人の血筋が入っている、といった。
又、山崎闇斎の「 垂加神道」も儒学者神道理論だ。
現在でも儒教のお祭りは神主さんが行っている。

こうして神道を仏教から引き離すために儒教が使われたが、
さらに儒教を排除して神道理論を打ち立てようとする動きが始まった。
その動きを国学といい、
1700年前半の頃に活躍した賀茂馬淵(かものまぶち)が始まりと言われる。
1700年前半は徳川吉宗、家重の時代で天皇は桜町、桃園と続く時代。
年号は寛保、延亨、寛延、宝暦と続く。

神道に独自の理論を打ち立てると言っても仏教や儒教の影響を全く受けてない様な、
神道の理論書は存在しない。
そこで国学が注目したのは日本の神話、和歌、源氏物語などの古典文学だった。
国学の方法をさらに発展させたのが本居宣長である。
彼は仏教や儒教を「からごころ」と言って批判し、
日本人固有の情緒として「ものの哀れ」を示した。

国学ナショナリズムに基づくイデオロギー性があったが、
あくまで学者であって学問にとどまり社会を変えようとする活動家ではなかった。
ただ、外来の宗教の影響を排除する姿勢は幕末の志士などに大きな影響を与えた。
又、天皇が日本の中心であるという思想も広まった。

第16章 神道は宗教にあらず。

江戸時代に起きた仏教や儒教の影響を排除した復古神道の運動は、
明治政府発足後の「神仏判然令」に結実し、神道から仏教要素は一掃された。

皇室からも仏教信仰が一掃され、国民サイドでは「廃仏棄釈」の運動が起きた。
神道は国家全体の祭祀であり宗教では無い、とされた。

神道は宗教にあらずという考え方が多くの国民に受け入れられた。
だが、ほとんどの国民は明治になってもそれ以前の神仏習合的な感覚を保持していた。
そこで国家から強制された宗教という感覚は全くなかった。
ただしキリスト教徒との間には軋轢が生まれた。

日本人が自分たちを無宗教と考えるのは神道と仏教が分かれてしまった影響が大きい。
日本人は神道の信者であると同時に仏教の信者でもある、というのが本質だ。
しかしそれは他の宗教キリスト教イスラム教からすればありえないことだ。
そこで日本人は無宗教と言わざるを得なかったのだ。
神道と仏教を分けるのは却って不自然で、両方信仰するのが良いのかもしれない。

第17章 ない宗教からある宗教への転換

天理教金光教黒住教などは神道のない宗教からある宗教への脱却を目指してものだ。
これを教派神道と呼ぶ。教派神道は戦前13あったことから「神道13派」と呼ばれた。
詳しい説明は省略するが、との宗派も偶像崇拝の傾向はなく、
仏教の僧侶のように出家して修行に励むということもない。
この点は神道の「ない宗教」の伝統を引き継いでいる。

第18章 神道の戦後史。

戦後は神社神道は国家による財政的な支援を受けられなくなった。
神社は宗教法人として他の宗教と同様の法的な位置を獲得した。
戦後の神社についての一番大きい話題は靖国神社だが省略する。
戦後の高度経済成長により都市の人口集中が起きたが、
都市の人々は初詣や七五三を祝うために神社を訪れるようになった。

神道は戦前と異なる形で国民の間に浸透した。
神道には神を祀るための簡単な礼儀や作法があるだけで教義もなく、
信仰を押し付けられるという感覚を伴わない。
その点で神道は現代の日本社会に確実に根を張り生き続けていると考えられる。

神道は無い宗教であるが故に融通無碍で、
時代に応じて状況に応じてその姿を自由に変えていく。
それでいて古代から変わっていない、という点が特徴として強調されている。
パワースポットのブームが生まれ神社の価値が見直されている。
神社の空間は開かれており、いつでもその清浄な空間に入ることができる。
教団がないから、逆にあらゆる人のためのものになる。
教派神道でもメンバーとメンバーでない人を区別しない。

グローバル化が進んでも海外に広げる必要も無く、日本にきた外人も参拝できる。
だが他の宗教についてはさまざまに語られるが、神道については語られることがほとんどない。
神道は語られない宗教でもあるが、今後は大いに語られるべきだろう。

以上。