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2014/02/21 ()メルマガ

 

グローバル化と「押込」

 

三橋貴明の「新」日本経済新聞

 

グローバル化と「押込」

 

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学

 

 

 

(引用開始)

 

 

 

***(前略)

 

 

 

…ただ、楽観できる部分もあると思います。

 

日本社会には、欧米にも勝るとも劣らない合議重視の歴史があり、

 

指導者の専横を許さないところも確固としてあるからです。

 

 

 

日本の合議の伝統を表すものとしてよく取り上げられるのが、

 

主君「押込」(おしこめ)の慣行です

 

(参照、笠谷和比古『主君押込の構造───近世大名と家臣団』平凡社選書、1988年)。

 

 

 

江戸時代、藩主に悪行・暴政が重なり、これを家臣が諌めても聞き入れられない場合、

 

家臣団が合議のうえ、藩主を強制的に座敷牢などに押込める慣行があったそうです。

 

そして、それでも藩主に反省が見られないときは、

 

隠居させ、もっとましな新藩主を擁立しました。

 

これは、違法なクーデターなどではなく、

 

武家社会における家臣団の正当な行為として広く認識されていました。

 

 

 

「押込」の慣行について明らかにした歴史学者笠谷和比古氏の研究には、

 

いくつかの事例が挙げられています。

 

たとえば、九州の久留米藩の事例です(参照、笠谷『武士道と日本型能力主義』新潮選書、2005年)。

 

 

 

久留米藩では、1706年に六代目の藩主に就任した有馬則維(のりふさ)は、

 

急進的な財政改革を推し進めました。

 

 

 

たとえば、家臣に対しては、以下のような改革を断行します。

 

 

 

・ 身分の低い新進の士を抜擢。

 

・ 旧来の役人48名を解任。

 

・ 財政問題に関する従来の家老合議体制を廃止。藩主の直接指導に。

 

・ 家臣団に対し「地方知行制」(ちかたちぎょうせい

 

(上級家臣に藩内の村を所領として認める制度)を廃止し、藩の所領はすべて直轄地としてうえで、

 

米をサラリーとして支給する俸禄制に。

 

 

 

領民に対しては次のようなことを行ったそうです。

 

 

 

・ 新田開発のために必要だとして新税(付加税や労働提供)の賦課。

 

・ 米以外の収穫物に対する税率の引き上げ(10分の1から3分の1へ)。

 

 

 

この久留米藩の有馬の殿様は、

 

「カイカク」「カイカク」と叫ぶ現代の某・首長さんと似たような人物だったのかもしれません。

 

 

 

しかし、一連の改革は急進的かつ強引だったため批判が多く、

 

17288月には久留米藩領内で、大規模な農民一揆が生じます。

 

 

 

このような状況のもと、家臣団の不満も高まります。

 

そして、久留米藩の家老・稲次正誠(いなつぐ・まささね)を中心とする家臣団は、

 

藩主・則維を押込め、強制的に隠居させ、

 

則維の嫡子の頼僮(よりゆき)を新藩主に擁立し、事態の収拾を図りました。

 

 

 

武家社会では、一般のイメージと異なり、上に立つ者の横暴は許されず、

 

合議が重んじられたといえるでしょう。

 

 

 

武家社会だけでなく、村や町にも寄合の伝統がありました。

 

下からの合意形成を尊重する伝統の流れは、日本社会に確固として存在していました。

 

 

 

ちなみに、笠谷氏が言及している興味深い点に、

 

明治になってからの日本の近代的な官僚制でも、道に反した政治に対しては、

 

たとえ目上の者であっても

 

その誤りを正すのが下の者の務めだと認識されていたということがあります。

 

 

 

明治政府の下で官僚制度を運用するための法律であった「官吏服務規律」には、

 

次のような規定がありました(『武士道と日本型能力主義』、240頁)。

 

 

 

官吏は、その職務につき本属長官の命令を遵守すべし。

 

但しその命令に対し、意見を述ることを得」。

 

 

 

つまり、明治の官僚制の下でも、上に立つ者の専横な振る舞いを諌め、正すことは、

 

目下の者の正当な行いであり、権利であると一般に認識されていたわけです。

 

 

 

「エリート」の独断的な振る舞いを好まず、下からの声に耳を傾け、

 

合議を重んじるのは、日本社会の伝統でしょう。

 

 

 

(引用終了)

 

 

 

(私のコメント)

 

 

 

「主君押込の構造」という本は大変面白い本で、大変な良書だ。

 

江戸時代を考える上で非常に大きな事実や分析を提供している。

 

江戸時代は朱子学に代表される儒学で、君臣関係が非常に強く固定化された。

 

戦国時代を経て社会秩序を重視する歴史の流れになったわけだ。

 

 

 

ところが日本ではそれが君主独裁ということにはならなかった。

 

これは、シナやヨーロッパと比較すると分かりやすい。

 

シナの儒教では君主を批判したり、君主の悪いところを言うのもいけない。

 

君主は聖人だから悪口は言ってはいけないし、

 

嘘をついてでも良く言わなければならない。

 

 

 

話が少しズレるかもれないが、

 

論語に親が牛を盗んできたら子は訴えるべきか、という有名な命題がある。

 

シナはこの場合、訴えないのが偉いことになっている。

 

つまり、「忠孝」という2つの概念で「孝」という目上の人を大事にする方を優先させる。

 

日本は「忠」(おおやけ、つまり社会秩序)を優先させる。

 

だから、不正を正す事を優先させ、親を訴える事になる。

 

勿論、現実は訴えることと訴えないことの間に無数の選択肢があるから、

 

一概には言えない。

 

理論的には、そうなる、と言う意味だ。

 

 

 

シナや韓国の儒教国家と日本は決定的な違いがあり、

 

顔形や漢字を使うなどで同じだと勘違いするが全くアタマの内容ソフトが違う。

 

日本は君主を中心に団結するが意思決定には合議制が働く。

 

聖徳太子の十七條憲法の和の精神は江戸時代にも受け継がれている。

 

ヨーロッパも都市国家だからリーダーの権限は非常に大きい。

 

征服王朝も多いし君主独裁は伝統的なものと言えるだろう。

 

日本は農耕民族だがヨーロッパやシナは牧畜民族、狩猟民族と言う違いもある。

 

君主独裁で一神教でないと生き残れない軍事的な厳しい歴史環境もある。

 

 

 

面白いことに主君が押込められる場合で無能だとか遊んでばかりいるとかで、

 

隠居させられる、いうのは少ない。

 

あるかもしれないがこの本には無い。

 

頭が良くて世の中を良くしようと意欲的な人間が排除される傾向がある。

 

 

 

寛政の改革で有名な松平定信の三代くらい前の祖先は、

 

お家騒動で静岡の実入りの良い領地を改易させられている。

 

ただし、私の記憶だけで確認していないので事実関係は間違っているかもしれない。

 

この殿様は吉原に入り浸りで放蕩してカネを使い込んで親戚臣下一致して隠居させられた。

 

その騒動を幕府に咎められて貧乏な藩に改易させられた。

 

それを松平定信は昔に戻そうと頑張った、というわけだ。

 

 

 

しかし、なぜ彼が放蕩に走ったかと言うと、

 

殿様主導の藩政の改革を家老たちが反対したからだ。

 

彼は若い頃から非常に勉強が好きで、よく出来て優秀で頑張ったが潰されたのだ。

 

それでヤケを起こして放蕩した、という経緯(いきさつ)だ。

 

 

 

逆に改革がうまくいった例として上杉鷹山米沢藩がある。

 

また、信州真田藩の恩田木工や岡山の山田方谷の改革もうまくいっている。

 

会津、長州、鹿児島も経済的改革を成功させている。

 

これらはみな主君が優秀な臣下を選んできてやらせたものだ。

 

リーダーというのは人をうまく使うのが仕事で自分が直接やるとあまりうまくいかないようだ。

 

 

 

話は変わるが先日書いた

 

辻貴之著「強い日本を取り戻す」に記載の共産主義者の特徴について再録する。

 

これが優秀で改革しようとした殿様の特徴と共通しているところがある。

 

共産主義に限らず頭の良いエリートが陥りやすいものなのかもしれない。

 

 

 

共産主義者の特徴はキーワード的に列挙すれば、次の通り。

 

 

 

急進主義、全体主義統制経済、暴力肯定、

 

階級闘争史観、革命至上主義、設計主義、

 

観念的、非人間的、画一主義的、

 

自尊心自己愛的、排他的正義派、等。

 

 

 

(私のコメント終)