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(私のコメント)

 

歌の歌詞と言うのは歌っていても意味がわからないことがある。

 

「ノンちゃん雲に乗る」という児童小説にもそんな話が出てくる。

 

のんちゃんが一家団欒の時、たまたま運動会の歌をみんなで歌う事になった。

 

当時はテレビがないので一家団欒は家族皆の楽しみだった。

 

ところが、兄が歌詞を間違え、「気も清し」という所を「気持ちよし」と歌った。

 

それで、兄弟喧嘩になってしまうストーリーだが、こういう勘違いはよくある。

 

 

 

「ノンちゃん雲に乗る」は児童文学の傑作で、1951年昭和26年発売のものだ。

 

大宮の氷川神社の近くに住む家族の物語で、主人公は小学生の信子という女の子だ。

 

戦後間のない頃で未だ古い日本の典型的な良い家族が残っていた事が分かる。

 

日本の家族がどんなものだったのか、その良さがよく分かる面白い本だ。

 

 

 

本題に戻る。

 

「夕焼け小焼けの赤とんぼ

 

負われてみたのは何時の日か。」

 

これは子守の女の子におぶわれて赤とんぼを見た、という意味だ。

 

だが、子供の時聞いた時は、

 

私もそうだが沢山の人が「追われて見た」と勘違いした。

 

 

 

今度「ホタルの光」の歌詞を読んだら長年わからなかった部分がわかった。

 

それでその部分を含めて意味を紹介しよう。

 

 

 

 

一番

 

ほたるの光 まどの雪

 

 書(ふみ)よむつき日 かさねつつ

 

 いつしか年も すぎのとを

 

 あけてぞけさは わかれゆく

 

 

 

二番

 

とまるもゆくも かぎりとて

 

 かたみにおもう ちよろずの

 

 こころのはしを ひとことに

 

 さきくとばかり うたうなり

 

 

 

三番

 

筑紫のきわみ 道のおく

 

 海山とおく 隔つ(へだつ)とも

 

 そのまごころは 隔て無く(へだてなく)

 

 一つにつくせ 国のため

 

 

 

四番

 

千島のおくも 沖縄も

 

 やしまのうちの 守りなり

 

 いたらん国に 勇(いさ)おしく

 

 つとめよわが背(せ) つつがなく

 

 

 

 

 

 

1)蛍の光や雪に反射して窓から差し込む月の光を使って

 

書物を読む日々を重ねていると

 

 いつの間にか年月が過ぎ去っていき

 

今朝は杉でできた扉を開けてクラスメートと別れていく

 

(過ぎると杉の戸を掛詞(かけことば)にしている)

 

 

 

2)ふるさとに残る者もふるさとから出るものも

 

今日限りでお別れということで

 

互いに思う何千、何万という

 

心の端々をたった一言

 

 「無事で」とばかりに歌うのである

 

(幸く(さきく)、と書いて無事に、という意味)

 

 

 

3)九州の果てであろうと東北の奥であろうと

 

海や山が遠く隔てたとしても

 

真心だけは場所に関係なく

 

 ひたすらに力を尽くせお国のために

 

(三番は国内のこと、四番は国外のことを歌っている)

 

 

 

4)千島列島の奥も沖縄も

 

日本の支配下にある

 

日本の支配が届かない国には勇敢に

 

「仕事」をしてください男性のみなさん、どうぞご無事で

 

(妹背といえば夫婦のこと、背の君は兄や夫のこと)

 

 

 

解説

 

 

 

今、「蛍の光」は卒業式で在校生が卒業生を送り出す歌です。

 

そして、卒業生は「仰げば尊し」を歌って去っていく・・。

 

これが卒業式の姿ですが、今ではこれさえしなくなった学校が多いようです。

 

 

 

しかし、この唱歌「蛍の光」は、元々は卒業生を送り出す歌ではなく、

 

我が国の領土防衛の歌であったのです。

 

 

 

明治14年、我が国の北と南の守りの国境が画定してから作られたのが唱歌「蛍の光」です。

 

祖国防衛の任務のため、国境に赴く夫を妻が送る別れの歌なのです。

 

 

 

蛍の光」の歌詞は四番までありますが、戦後、「国を守ることなど教える必要がない」、

 

「侵略して領土拡大した日本の歌詞などもってのほかである」と言って

 

蛍の光」の三番と四番が消されてしまいました。

 

 

 

しかし、「蛍の光」は三番と四番を歌って初めて

 

この歌の意味するところが理解できるのです。

 

それを理解させない、消してしまうのが戦後教育なのです。

 

 

 

国を愛し、国を護ることを避けてきたところに我が国の問題があり、

 

それが日本人の多くが領土問題への無関心とつながって、

 

今頃、領土で大きな問題となっているのです。

 

 

 

(解説引用終)

 

 

 

私は二番の「さきくとばかり」というのが分からなかった。

 

なんとなく「先に行くぜ」という意味かと思っていた。

 

だが、「お幸せに」「ご無事で」という意味だったのですね。

 

 

 

次に「進撃の巨人」の主題歌です。

 

 

 

これも「死せる餓狼の自由」という意味が分からなかった。

 

何となく特攻隊のことかな、と思っていた。

 

 

 

(引用開始)

 

 

 

死せる餓狼の自由ってどういう意味ですか?

 

 

 

進撃の巨人というアニメの主題歌の歌詞の一部です。

 

 

 

 勢いがあってかっこい曲だなと思っていたのですが、よくよく考えてみると

 

 

 

死せる=死んでいる?

 

 餓狼=飢えた狼

 

の自由?

 

 

 

 意味がわかりません。。

 

 

 

 以下歌詞

 

 

 

 踏まれた花の名前も知らずに

 

地に堕()ちた鳥は風を待ちわびる

 

 

 

祈ったところで何も変わらない

 

今を変えるのは 戦う覚悟さ

 

 

 

(しかばね) 踏み越えて

 

進む 意思を 笑う 豚よ

 

家畜(かちく)の安寧(あんねい) 虚偽(きょぎ)繁栄(はんえい)

 

死せる餓狼(がろう)の自由を

 

 

 

囚われた屈辱(くつじょく)は 反撃の嚆矢(こうし)

 

城壁のその彼方(かなた)

 

獲物を屠(ほふ)

 

Jager(イェーガー)

 

 (ほとばし)る衝動に

 

 その身を灼()きながら

 

黄昏(たそがれ)に緋()を穿(うが)

 

紅蓮(ぐれん)の弓矢

 

 

 

***

 

回答ありがとう御座います。

 

 死せるの意味は死んでも死ぬしかない、死ぬ運命が決定しているですかね。

 

 死ぬしか無いがそれでも飢えた狼は自由を求める。ですかね。

 

 主人公の事を指してるんですよね。多分。

 

 

 

「食うには困らないが、その生命さえ人間に握られている家畜より

 

例え飢えて死んだとしても、野生の狼のように自由でありたい。

 

自らの意志で戦い道を切り開くものでありたい」

 

 

 

というような意味ではないかと思います(^ ^)

 

 

 

(引用終了)