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明日選3月号

「国家なき憲法学

長尾一絋中央大学教授

 

(引用開始)

 

東アジア共同体地域主権外国人参政権などの主張がなされている。

これらは国家相対化論、言い換えれば国家解体論でもある考えが根底にある。

これらは憲法違反なのだが、これらの主張は護憲勢力と言われる学者も賛成する。

このような非常識な議論がなぜ出てくるのか。

 

国家相対化論のソースを考えてみよう。

まず国家とは政府と言う意味と共同体としての国家という2つの意味がある。

戦後の日本は共同体としての国家という意味が失われた。

どうして共同体としての国家が失われたのか。

 

その原因の1つは日本国憲法だ。

 

日本国憲法は国家の存在意義が極度に軽視されている。

元首の規定がない、国防の規定がない、緊急非常事態の規定がない。

前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とあって、

外国はすべて平和を愛する諸国民で、日本は悪い国という前提。

これらに共通するのは国家の存在が極度に軽視されていることだ。

こうした前提は外国軍隊であるアメリカが占領目的を達成するために作ったものだからだ。

 

憲法制定当時は平和の敵として日本を徹底的に弱体化する政策がとられた。

このため国家の影の極端に薄い憲法を日本に押し付け、日本人の国家意識を希薄化させた。

古くから、アメリカは日本をライバルとみるか大陸の防波堤とみるかによって政策を変えてきた。

戦争直後はを憲法に代表されるように日本弱体化政策が取られ、

その後冷戦開始とともにソ連に対抗するため強い日本政策に転換した。

しかし憲法は改正されることなくそのまま推移した。

改正されない理由はアメリカによる検閲や日教組教育などの洗脳工作のためだった。

 

アメリカ占領軍が作った憲法を日本人が守ろうとした原因にはもう一つの要因として、

憲法学説の動向があった。

その動向の中心になっていたのが東大教授の宮沢俊義だった。

宮沢憲法学の特徴は反天皇、反自衛隊、反国家だ。

今に至る国家相対化論、国家解体思想の源流は彼の学説だった。

この学説は限りなく国家の影が薄いのが特徴。

これが現在にも影響している。

 

宮沢はどうしてそういう学説を立てたのか。

彼は戦争中に神権天皇説やナチスの積極的擁護、

英米のアジア支配を批判し真珠湾攻撃大絶賛など行い、戦争に協力していた。

これにより当時20万人以上のエリートが対象となった公職追放の危険性があった。

そこで8月革命説を唱え占領軍GHQに迎合しその危機を回避した。

本人は助かったが、これが計り知れないダメージを日本に与えた。

 

8月革命説とは何か

日本がポツダム宣言を受諾したとき革命が生じた、と主張している。

明治憲法天皇主権が放棄され、国民主権になった。

敗戦による8月革命によって新しい主権者になった国民が自発的に作ったのが日本国憲法だ。

つまりアメリカ占領軍の強制でない日本人が作った憲法だと言うこと。

これでGHQは喜んだ。

これによって外国軍隊の強制によって憲法が作られたと言う事実が隠蔽され、

非常に大きなダメージを日本に与えた。

 

次に、その後の戦後における憲法学の動向を概観してみよう。

憲法学説は非常に多様なのでグループに分けるのは難しいが、

一応四つの流れに分類する。

 

・リベラル派憲法学

マルクス主義憲法学

自由主義憲法学

・保守派憲法学

 

リベラル派憲法学は宮沢憲法学を基礎として発展させたもの。

天皇、反自衛隊、反国家、総理大臣の靖国参拝違憲論、

共産主義は反共に反対する。

 

マルクス主義憲法学は日本に共産主義革命の実現を念頭に置くもの。

ソ連崩壊後ほとんどいなくなった。

しかしリベラル派に合流し、隠れマルクス主義で生き残っている。

 

自由主義憲法学は西欧の憲法論をモデルにしている。

共産主義に対しては反共の立場。

 

保守派憲法学自由主義諸国の価値観を前提にしている点では自由主義と共通するが、

日本の国柄を重視する点において区別される。

 

現在はリベラル派と自由主義と保守派の3つになるが、

憲法改正については、リベラルが護憲、保守派は改憲となる。

自由主義憲法学は論者の個性によって異なってくる。

 

これらのうち最初に問題としてあげた国家相対化論はリベラル憲法学によるものだ。

リベラル憲法学にとって日本国憲法は政治主張の道具となっている。

 

本来護憲派なのだから憲法に矛盾してはいけないのだが、

政治的主張が優先されるから憲法に矛盾する主張を平気でやる。

例えば、天皇制度を否定したいために天皇を君主でも元首でもない、という。

その為日本は共和制国家だと言う。

このような非常識な事を言えるのは

学問上の常識を政治的な願望が上回ってしまうからだ。

 

外国人の国政選挙権を合憲とする主張も憲法に違反しているが、

辻褄を合わせる為、定住外国人は国民だと強弁する。

このようにリベラル憲法学イデオロギー過剰の傾向が見られる。

 

また、彼らは、人権や平和を強調するが、

中国の軍事拡張やチベットの侵略人権侵害などを批判する事は無い。

 

人権をめぐる反国家的な捉え方もイデオロギー過剰のリベラル憲法学の影響だ。

国防は人権保障の条件でそれが世界の常識だが、彼らの憲法学ではそれが欠落している。

彼らの考えでは国家の価値と個人の価値が衝突した場合は個人が優先されるのだが、

これは逆に人権を危うくしている。

 

今後の憲法改正についてはどう考えたらいいか。

日本国憲法は終戦直後のヤルタ体制の中で作られ、それがそのまま残ってしまった。

日本を戦争する悪い国としてヤルタ体制の中に閉じ込めようと、

アメリカ中国韓国を始めとする国々は今も画策している。

国内の反日マスコミもこれと同様の立場に立っている。

 

日本が普通の国になるためには憲法に埋め込まれたこのような仕掛けを除去しなければならない。

今の前文はヤルタ体制のままだから、戦争責任が日本にあると書かれたままだ。

また国民が主役として登場せず、人類が主役になっている。

世界の国々は憲法の前文で長い歴史を持つ伝統と文化の国だから、

この国の国民であることに誇りを持とうと書く。

 

これらを改ためて普通の国憲法と同じようにすべきだ。

歴史的な存在としての国家という概念を前提にした憲法にしなければならない。

 

 

(引用終了)