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宮崎正弘の国際ニュース・早読み(農民一揆、労働運動に新型
(見出し)
「読者の声3」

(引用開始)

貴誌前号書評にあったハミルトン・フィッシュ、渡邊惣樹訳『ルーズベルトの開戦責任』(草思社)ですが、素晴らしい資料で近代史の研究者として期待しています。
 修正主義については、米国の歴史家、モーゲンソーは「近代ではあらゆる戦争責任は敗戦国にきせる習わしになっている。だから開戦事情を調べることは喜ばれない」と述べている。
歴史修正反対主義とは政治に屈した独善的な反歴史家イデオロギーであろう。したがって米国では真珠湾以前の日米関係の研究は米国では禁物のようだ。ヘレンミアズ女史が「アメリカの鏡日本」で記しているように、米国の対日圧迫があまりにも明らかだからだ。
奇襲が卑怯というのは、戦争とスポーツをすり替えた詭弁である。敗北者の言い訳に過ぎない。英国の歴史家は、首にナイフを当てらえた日本が振り払っただけであると述べている。正当防衛なのだ。
米国の執拗な反日の動機は何か。それは19世紀以来の満洲狙いであった。
これはポーツマス会議直後の米国ハリマンの南満州鉄道買収を日本政府が断ったことから、排日が始まったことで明らかだ。1920年代のワシントン体制も米国の支那満洲進出体制であり、先行国の既得権を破壊することだった。だから米国の極東専門家マクマリは、「ワシントン体制を一番守ったのは日本、破壊したのは米国」と批判している。日本人にとって意外だろう。また彼は1935年、国務省の要請に対して極東政策の建言書を作成し、日本を滅ぼしてもソ連が南下するだけ。蒋介石は米国を利用しているだけで米国の自由にならない。日米戦争は双方に大損害。米国は支那から手を引くべきと述べた。
これはホーンベック極東部長に黙殺されたが戦後的中し、Gケナンは激賞している。
 
ヤルタ会議は意味深い。米ソが満洲支配をめぐって支那処分、日本処分を決めたからだ。
スターリン満洲の代理占領に同意し、代償に支那、日本の領土、米国の兵器80万トンを手に入れた。この席に蒋介石が呼ばれなかったことは、支那事変の黒幕がソ連、米国であり蒋介石が傀儡に過ぎないことを示している。
 戦後、チャーチルはこんな世界を作るために戦争をしたのではなかったと嘆いたが後の祭りだった。
ウェデマイヤー将軍は「第二次大戦の勝利者はスターリンただ一人。それは彼はルーズベルトチャーチルと違い、戦後世界の構築を考えて戦争をしていたからである」と述べている。
戦後、クレムリンスターリンが、新しい世界地図を最高幹部たちに見せると一同讃嘆して声も出なかったという。まったく恐ろしい敵ながら水際立った手際であった。
米国のソ連スパイは、大統領特別補佐官から原爆研究所、口紅製造にまでおよんだ。米国の油断はロシア皇帝への反感と、キリスト教の終末論のパクリである共産主義にだまされたものと思われる。スターリンはただの冷酷な現実主義者でありマルクス主義は、独裁支配の正当化に利用しただけであった。
ヒトラーとの違いはヒトラーがリベラル主義の虚構性を見抜いて否定したのに対し、スターリンはその虚構性を逆用して独裁に使ったことにあると思う。悪党としてははるかに上手である。今もヒトラー以上の大殺戮をしていながらスターリンの非難は少ない。
  ルーズベルトスターリンに魅せられたのは、スターリンを普通の人と思ったからである。大役者スターリンは普通の人の芝居もできた。
また下半身不随の心理的な弱みから強者にあこがれた。それがナチスをまねた青年団体の結成や、日系人強制収容所だった。スターリンはそんなルーズベルトの弱みを見抜いて自由に操った。
ルーズベルトがこだわった無条件降伏の要求は絶滅戦を意味したので、終戦が遅れ米兵を含めて敵味方に無駄な被害を出すことになった。これは欧州の支配圏拡大を目指すスターリンを喜ばせるだけの愚策だった。
 
スターリン毛沢東を援助したが、支那の統一には確信がなかったようだ。フルシチョフ中共に原子炉を売ったが、スターリンだったら売らなかっただろう。事実中共核武装後に中ソ国境戦争が発生している。
スターリンの敵を滅ぼす方法は漁夫の利作戦であり天才的だった。
敵対するグループを仲間割れさせて、半分を滅ぼし、そのあと残りを片付けた。支那事変も反共同士の蒋介石と日本を戦争させて、東部国境の反共勢力を無力化した。そして両方滅ぼした。彼はいつも地球儀を見ながら戦略を練っていたとフルシチョフは記している。しかしそれを知っていたのはスターリンただ一人であった。
以下ご参考 アマゾン電子本:「日米戦争の真実」
ユーチューブ歴史講座:索引語 tkyokinken  29万アクセス更新中。
(東海子)
(私のコメント)
日本の歴史家は「蛸壺史観」で日本国内の側からしか歴史を見ない。
勿論世界の事件も書くが日本から見た重要性で選択するからどうしても偏る。
特にサヨク学者は誰も同じパターンで歴史を書くから海外の事件も出てくるのは同じだ。
だから、この著者のように海外に住み、海外の視点から歴史を書くと全然違ってくる。
この著者の本を今読んでいるが知的な興奮でついつい読んでしまう。
読み終わったら要約を紹介したいが500ページもある本なのでなかなか読みきれない。
上記のコメントはその要約の代わりになるので取り上げた。


(私のコメント終)