三橋朝日捏造戦争責任1409-11-507-9/14メルマガブログ転送

新世紀のビッグブラザー三橋貴明ブログ
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/
(見出し)
朝日新聞と吉田調書」

(引用開始)

 

(前略)
 
なぜ、朝日新聞は吉田調書に関し、これほどまで酷い「誤報(と呼びたくないですが)」を犯してしまったのか。無論、社内のチェック体制云々は分かりますが、それ以前に、わざわざ調書を読み替え、明らかに印象操作である「嘘」の記事を、記者がなぜ書いたのか?
 


 いわゆる従軍慰安婦問題で、植村隆がなぜ金学順について真実を伝えず、慰安婦問題に火をつけたのか。吉田清治の嘘証言を、なぜ朝日新聞の記者が採用したのか。
 

 上記を解き明かすカギは、手前味噌のようになってしまいますが、「三橋貴明の「新」日本経済新聞」の施先生の記事だと思います。
 

【施 光恒】朝日新聞の深層心理
 http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/09/05/se-44/
 『(前略)
 (1)「知識人」は、「俺は一般人とは違う。かしこいのだ」と思いたい。そのときに「自己批判的」=「知的」という日本的な図式を利用するから。
 (2)よく指摘されることですが、戦後のGHQの「日本がすべて悪かった」という政治宣伝の影響もあるでしょう。
 (中略)
  自らの意識の奥底にある「日本的なもの」が何かのきっかけで活性化し、悪夢のような事態をもたらさないようにする必要がある。そのためには、外部の主体や事物に自分を開き、自分の深層意識を外部から取り入れたものと混ぜ合わせ、薄めていかなければならない。他国との相互依存を深め、日本が自分の意志で行動できる範囲を狭めていかなければならない。
  こういう心理があるからこそ、自称「リベラル派」の「知識人」は、構造改革でもTPPでも、あるいは最近の移民受入れの議論でも、グローバル化を推進することにやみくもに賛成してしまうのではないかと感じます。
  またこういう自己嫌悪・自己恐怖の心理のあり方に合致するからこそ、「従軍慰安婦」の問題でも、福島原発の吉田所長の調書の問題でも、日本人の邪悪さ、主体性のなさを裏打ちするような話を耳にすれば、事実の検証が少々甘くても、肯定し受け入れてしまうのでしょう。
  日本のいわゆる「知識人」のこのような心理のあり方に着目し、是正策を考えないと、今回の朝日のような虚報は繰り返されるように思います。またグローバル化をめぐる議論も不健全かつ非建設的なもののままに留まるように感じます。』
 

 

 まさに、今回のケースは、
 「日本人の邪悪さや主体性のなさを裏打ちするような話を耳にすれば、事実の検証が少々甘くても、肯定し受け入れてしまうのでしょう」
  に該当します。
 


要するに、
 「日本は悪い。特に、日本政府は悪い」
  と、国民主権国家の国民としては考えられないような「常識」を身に着けた日本国民が、確かに存在するという話です。彼らは、基本的に日本の全てを「旧態依然としている」「古臭い」「アジアに悪いことした」などと否定しようとしてきます。
 

 公共事業原発(政府の関与が強い)が彼らに問答無用で否定されるのは、これらの事業が「悪い日本政府に管轄されている」ためなのだと思います。
 

 そして、彼らは「日本が悪い」「日本政府が悪い」ことを示す「話」を目にし、耳にすると、大喜びで飛びつき、世界に拡散する。
 

 わたくしに言わせれば、この種の連中の存在こそが、本当の意味での「戦後レジーム」そのものです。今回の朝日新聞の吉田調書関連の報道を巡り、改めて「日本の問題」について考えて頂ければと思い、二日間にかけて取り上げました。
 

***(後略)

 

(引用終了)

 

(私のコメント)

>彼らは「日本は悪い。特に、日本政府は悪い」と、…大喜びで飛びつき、世界に拡散する。(1/2)


先月の正論に長谷川三千子先生もこれらの自虐思考について書かれています。
端折って言うと、自虐の元になっているのは「戦争責任」だというのです。
GHQが押し付けた「戦争責任」を受け入れたから自虐的になったと言うわけで、
施光恒先生の(2)と同じ考えですね。
この戦争責任受け入れによって日本人は自己の邪悪さを何時も意識させられるわけです。

そして長谷川先生は、もう一つ日本人には外国の思想などをごく素直に受け入れる土壌があって、
それがこの受け入れを無意識のうちにスムーズに行わしめた、というのです。
この外国文化の受け入れは日本文化の特徴で、
戦争責任受け入れはそれにそってごく自然に無意識的に受け入れられたような処がある、というのです。
つまり、施光恒先生の(1)の考えに似ており、お二方はよく似たことを言っている。
また、外国を受け入れてしまう性質はすでに本居宣長が指摘しており、
日本人は自分たちがそういう性質を持っていることを認識しないといけない、という。
だからといって、外国の文物をいたずらに排斥するのでなく、
日本とは、日本人とは、と問い詰めてゆくことによってその性質を克服すべきものだ、という。
本居宣長古事記などの研究で、日本人を極めようとしたわけですね。
本居宣長の批判の対象は当時の儒学ですが、いくら本居宣長儒学のシナ崇拝を攻撃しても
日本の儒学は日本的な儒学だからシナを排除してもあまり意味が無いと思われる。
山崎闇斎なんかは儒学から神道に行ってしまったくらいだ。
遠藤周作は棄教した宣教師に「此の国に異教が来ても皆日本教になってしまう。
キリスト教も例外でない」と云わせている。
東北大震災の時も、日米戦争当時の被害と同列に扱う論調があった。
日本人は「敵」という概念が薄く、前の戦争を災害と同じに考えているフシがある。
大災害が起きたのは何か我々が悪い事をしたからだ、神様に謝まんなくちゃ、
というような気持ちが戦争を考える時にも影響しているのではないか。
こういう日本人の善良な面が戦争責任受け入れに力を貸していると考えられる。
ただ、長谷川先生も本居宣長も、その特質を排除するのでなく、それらをしっかり認識した上で、
日本とは何かを追求して行こう、というわけです。

で、次に長谷川先生はこの戦争責任受け入れによる我々の永続敗戦(=戦後体制)を終わらせる為には、
この{戦争責任」という言葉の欺瞞を暴くことから始めないといけない、と語っておられます。
戦争責任とは第一次世界大戦以降に新しく国際的に認知された言葉で、
「敗者のみ」が戦争についての全面的な有罪責任を負う、と言うものです。
だから敗者は未来永劫戦争犯罪者として有罪責任を果たさなければならないのです。
長谷川先生は戦後の呪縛から脱却するために戦争責任論を批判しなければいけない、
おっしゃるが、ということはまだ戦争は続いている、と言って良いのかもしれない。

渡辺惣樹著「日米衝突の萌芽」という本には第一次世界大戦が始まったばかりの1914年に、
すでに英国のプロパガンダとして、「レイプオブベルギー」と銘打って、
ドイツ兵のベルギーにおける残虐行為を世界に発信している。
子供を槍で串刺しにして殺したとか、女の乳房をえぐり取り、そういう死体がゴロゴロしているとか、
絵入りで新聞が書き立てている。
こういうプロパガンダと第一次大戦後にドイツに課せられた「全面的な戦争責任、全額賠償」という有罪判決は無縁でない。
だから戦争責任と従軍慰安婦みたいな捏造宣伝は当時からセットなんですよ。
また、「敗者のみ」が戦争責任を負うのでなく勝者も負うべき、という考え方は、
アメリカなどでは「修正主義」として嫌悪され否認される。
「修正主義」という言葉は共産党が使う用語で、そういう言葉を使う側は原理主義者ですね。
こんな言葉を使うというのはマルキシズムの影響もあるということでしょう。

朝日新聞が32年も嘘を垂れ流してこれたのは、こういう色々な背景があるわけで、
「日本の問題について考える」事はとても多いですね。
これから「朝日はあやまっているのに叩いちゃ可愛そうだ、イジメだ」とか何だとか
「この種の連中」の巻き返しが始まるでしょう。
なかなか一朝一夕では片付かないでしょうけど、三橋さんや上記優秀な方々が出て来て日本も希望が持てます。

 


(私のコメント終)