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本の紹介要約のまえに


宮崎正弘著「吉田松陰が復活する」

本の要約を書こうとして「大和魂」を検索したら質問コーナーに次のような物があったので先に紹介します。


(引用開始)

質問;「大和魂」とは何でしょうか?
 太平洋戦記を読んでいるとある海軍将校が「大和魂で突貫すべき」と発言する場面がありました。
 ここでいう大和魂とは何でしょうか?
この大和魂の精神が、その後の神風特攻作戦につながっていったと思われます。
あるいは国家神道ヤマトタケルノミコトと関係がありますか?


回答その1;
面白そうなので検索してみたら…
 
「大和心(魂)」=「四季を愛する女心」で、これに対立するのは
 
「漢才」=「漢学に熱中する学問馬鹿の男」となるらしい。
 
ちなみに「大和魂」の初出は 紫式部源氏物語とか。
 
まさに、目から鱗が落ちる思いでした(笑)

質問者のコメント;源氏物語が初出とは、驚きですね。
 しかも意味が、「四季を愛する女心」とは!
 自然と調和して生活してきた日本人の精神を言い表しています。
 この原型を本居宣長が発達させ、吉田松陰が国の危機に臨んで昇華させたのでしょう。
 小林秀雄著「本居宣長」は、途中で挫折した書物です。
 読み返してみようかと思います。


回答その2;あるいは国家神道ヤマトタケルノミコトと関係がありますか?

ほとんど何の関係もありません。軍人に求められる「勇気」を示す言葉であり、古今東西を問わないことです。
大和魂という言葉を「ファイティング・スピリット」もしくは「最大限の勇気」という言葉で置き換えてみると、
だいたい文脈が通じます。
 
どの国の軍隊でも、勇気は尊ばれます。例えば、イギリス海軍のネルソン提督の戦績を見れば、
一瞬の戦機を捉えての果敢な行動が勝利に結びついているのが分かります。
ネルソン提督は、イギリス魂(大和魂と同じ)を最大限に発揮して戦っていたわけです。
 
レイテ沖海戦を例に取ります。主隊である栗田部隊のレイテ湾突入を実現するため、
北方の小沢艦部隊、別働隊の西村部隊は全滅するまで粘り強く戦いました。
ただし、肝心の栗田部隊がどう考えても納得の行かない拙劣な戦闘に終始しました。
結局、小沢部隊と西村部隊の全滅、栗田艦隊のほぼ半分の犠牲にも係わらず、
「レイテ湾突入、敵上陸部隊の殲滅」という作戦目的は達成できませんでした。
 
「小沢と西村には大和魂があったが、栗田には大和魂がなかった。だから帝国海軍は負けた。
多くの軍艦・飛行機と将兵の犠牲は無に帰した」
 
大まかに言えばこんな話になります。「**魂」の重要性がお分かり頂けたでしょうか。

質問者のコメント;レイテ沖海戦の「栗田艦隊謎の反転」は、大和魂がなかったわけですね。
 また「大和心」と「大和魂」は違うもののようにに感じます。

回答その3;
ジョン・ブル魂というものが、イギリスにはあります。
  ヤンキー魂というものが、アメリカにもあったりします。
  ゲンルマン魂というものが、ドイツにあったりします。
  スラブ魂というものが、ロシアにあったりします。
 
 内容は、似たり寄ったりです。
 
 要するに、民族なり国家なりの共同体に勇気と忠誠心を持って貢献しようという気持ちは、
比較的人類共通にあるもので、それをそれぞれの共同体なりの言葉で表現しているのです。
 
 もっとも、シナ魂とか朝鮮魂というものは、寡聞にして聞きませんがね。
あの辺は、共同体の伝統を破壊する左翼思想がいまだに支配的ですから、必然的にそうなるのですが。
回答その4;

日本民族固有の精神です。勇敢で、潔いこと尊ぶ心です。和魂、大和心ともいいます。
 
かつて本居宣長はこう詠みました。
 
「敷島の大和心を人問わば
   朝日に匂ふ山桜花」
 
また、維新への道筋を開いた輝かしい先駆者の一人、吉田松陰が刑に就く前夜、こう詠じています。
 
「かくすればかくなるものと知りながら
   やむにやまれぬ大和魂

本居宣長吉田松陰に共通するのは、大和魂(心)は、
心穏やかで清く相手を上下関係で見ることなく互いに和する(例えば教えあい学びあう)という精神であったと思います。

 朝起きたときは心も穏やかで、清い状態で自然と調和している状況であると詠んだと考えます。
 松陰の松下村塾や獄舎での講義は有名ですし、その思想は封建思想と相容れないものでした。
 自分の行動は心も穏やかで清く相手を上下関係で見るものでもないという意味だと思います。
 しかし明治期の「大和魂」として教育されてマインドコントロールされたものは、
いわゆる「和魂洋才」の洋才の部分である皇国史観国家神道靖国神社のもとにあるので、
(つまり、天皇を中心とするピラミッド構造を持ち上のもののために死する事が大和魂という考え方)
その将校が言った「大和魂」が、どの「大和魂」なのかわかりません。

 神風特攻隊の乗員の方々、指揮されて「これは統率の外道」だといわれ敗戦直後自殺された、
大西指揮官、外道だと名指しされた上層部の方々が、果たして同一の「大和魂」を持っていたか疑問であります。
 時代や人によって解釈も異なるのだと思います。

回答その5;

私見ですが
 中国の儒教に「仁義礼智信忠孝悌」の8つの徳目があるように、
日本人には日本人としての徳目があるように思われます。
それらを総称して大和魂と呼ぶのではないでしょうか。
 さてその徳目を検証しますと
 「和」 争いをやめ仲良くする心。
 「誠」 誠意を尽くし嘘偽りをしない心。
 「潔」 桜の散り際のような潔さを尊ぶ心。
 「清」 穢れを嫌い清浄を求める心。
 「情」 他を思いやり自分の事のように心を重ねること。
 「尽」 自分を犠牲にしても相手に尽くそうという心。
 「根」 根気と不退転の決意を持つこと
 「誉」 礼儀を重んじ恥を知ること
 
これらの心を古来日本人は重視してきたと思います
 したがってこれらをもって大和魂と言って差し支えないように思います

(引用終了)

(私のコメント)

上記の記事のポイントは次の処。
「要するに、民族なり国家なりの共同体に勇気と忠誠心を持って貢献しようという気持ちは、
比較的人類共通にあるもので、それをそれぞれの共同体なりの言葉で表現しているのです。」
戦後教育では「大和魂」というのは戦争につながるものとして嫌がられ、忌避されていたが、
実は世界標準の常識的なものだ。
アメリカ自身アラモの砦でデビイクロケット以下500人がメキシコ軍により玉砕させられた。
これをきっかけにテキサスをメキシコから奪い取ってしまったのだ。
明らかに侵略行為なのだが、玉砕を美化し、侵略を正当化したのだ。
開拓者精神を誇るが、数百万もいたアメリカ原住民虐殺を美化正当化する道具にすぎないのだ。
また、イギリスの小学生の副読本になっている田舎の獣医さんの物語がある。
この獣医さんは作者本人で獣医の学校を出て直ぐ小さな村の獣医さんになった人だ。
この人は第二次世界大戦が始まると、直ぐ航空隊に志願した。
平和な祖国を守るために、平和な動物たちと村を守るために戦おうとしたのだ。
当時の航空隊は非常に死亡率が高く、一回の出撃で2割以上の犠牲者が出た。
だから10回出撃すると皆入れ替わってしまうのだ。
それを毎日出撃するのだから、殆ど特攻隊と同じだ。
しかし、この人は体が悪くて地上勤務に成り、村に戻って獣医となって本を書いた、と言う事だ。
小学生の副読本になっているのは、この人のようにいざというとき勇気を持って国難に当たれ、という教えも含んでいる。
教育勅語の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ 」も世界の常識だ。
戦後教育ではこういう世界標準の方から物事を見ないで日本を視野狭窄的に見て糾弾するようなことがまかり通る。
なるべく広い視野で物事を吟味する必要がある、ということだ。

(私のコメント終)