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ブログ小坪しんや行橋市議会議員
http://samurai20.jp/2014/10/omoi-3/
(見出し)
「特攻隊の隊員らを「犠牲者」なのか、という問いに対して。」
(要約引用開始)
特攻隊の隊員らは「犠牲者」なのか。
実際がどうであったか、
それを論じることも私は控えたいぐらい。
しかし特攻隊様をエントリーに左巻きの人が来てコメント欄にさかんに犠牲者と書き込む。
議員としては普通はスルーした方が良いのだろう。
多くの議員はそうすると思う。
おそらく妙な揚げ足を取られたりレッテル貼りで攻撃される。
だが私はそれができない。
3倍くらいの長さで反論してしまった。
====以下、つけたコメント(ひとつ目)====
コメントありがとうございます。
ただ、貴殿の意見は意見として尊重いたしますが
私の考え方とは異なります。
>時の権力者たちの判断ミス?確信?による犠牲者
まず前段について。
権力者らの判断ミスがあったとすれば、
「共産主義者らのスパイ行為」に油断しすぎていたことでありましょう。
であれば、一部納得もいたします。
ハルノートを、日本を戦争に巻き込むため
「より厳しい内容」に書き換えたのは
「ハリー・ホワイト」というアカのスパイ、でございます。
史実でありますし、私は議会で述べたこともございます。
>でも戦争を始めてしまった
→はい、共産主義者ら、また朝日新聞の煽りにより政府が国民世論の統制がきかなくなったため、ですね。
>戦争しない決断・戦争に終止符を打つ決断をすればよかっただけです
→できなくしていったのは、ゾルゲ事件における日本人スパイ、朝日新聞記者であった尾崎ら一派のせいでございましたね。
よって、当時の政権にミスがあったとすれば。
日米両国に忍び込み、戦争を起こさせ
両国を疲弊させ、世界同時共産主義革命を起こさんと策動した、
共産主義者らの「狩り」がなまぬるかった、危機感が甘かった、
というのは「判断ミス」でございましょう。
ゆえに、私はその判断を失敗と言われるのであれば、
反省すると共に「改善案」として、より厳しく赤旗問題を取り上げるまで、でございます。
さらに、戦争犯罪新聞社として、朝日新聞社をさらに追撃していくこと。
戦争犯罪人、コミンテルン日本支部こと、日本共産党への攻勢を厳しくすることが、
貴殿の述べられた「時の政府の判断ミス」を認め、ゆえに改善する私なりの案でございます。
====
いかがでしょう、
まず初弾で足止めをかけます、
強く強く、スタンスを示す。
議論はここからスタートでございます。
本論。
特攻隊が犠牲者であるか、の点について。
ここが私を駆けさせた。
スルーすばよい、誤魔化せばよい。
一瞬、頭をよぎった、それは否定しない。
そして、思ったのだ。
「これを繰り返して、日本はこうなった。」と。
ここは譲れない、譲ってはいけない部分だ、と。
私の名を冠したブログにおいて、このスルーは、できない。
私が私でなくなる、そう思ったのだ。
抑えて、書きました。
「~による犠牲者です」というくだりへの反論
○○様
長いため、また分けて書く必要があると感じたため、分割させて頂くことをご了承ください。
似て非なるものであり、「同時に議論の俎上にあげるべきではない」と、論点を提示するマスターとして判断したためです。
ここは私のブログでございますから、そのような線引きの判断は、当方がさせて頂きます。
犠牲者か否か、でございます。
そこを論点にするにあたり、唾棄すべき「コミンテルン日本支部」及び「戦争犯罪新聞社 朝日新聞社」と同じく論じたくございません。
>彼らは時の権力者たちの判断ミス?確信?による犠牲者です
以下の後段、つまり「犠牲者」という言葉。
これは失礼だ。
他、以下のセンテンスについての反論でもございます。
>特攻隊の若い兵士たちは犠牲者です。
>年端もいかない特攻隊員たちは犠牲者
犠牲者、犠牲者と連呼されておりますが、
それは貴殿の考えでありましょう。
断定をもって押し付けないで頂きたい。
当方は、思想信条の自由を行使させて頂く。
自ら笑顔で飛び立った者、本人の自発的意思であったものを
「強制された」ことに歪曲するのは如何なものか。
全てがそうだとは言いません。
遺書や逸話を紐解くに、私はそう感じた次第。
そのように述べると、検閲があっただの同調圧力があっただの。
確かにあったかもしれない。
しかしそれはサブストーリーに過ぎず、「本論」であったはずの手紙らはどう扱うのか。
論点ずらしではないか。
遺書等を自ら見るにあたり、私はそう感じたのです。
誇りをもって、自ら日本を守りたいと願った思いを、
事実がどうかはわからぬとて、
本人らが自著で述べているものを、
後世の人間が「勝手に歴史を修正」するのは如何なものか。
私は唾棄に値すると思う。
頑張った者がいる、誇りをもち戦った。
その意思、思いを歪める行為に関しては、私の一切に対し「NO」と答える。
私の意思であり、私の思いである。
何人たりとも侵すこと、許されざる、私の思いである。
よって、「犠牲者」という言葉の連呼に対し、
はっきりとNOと答えさせて頂きます。
私は、そうは考えませんし、その物言いは失礼だと考えております。
====
これでも抑えて書きました。
そして、これは、逃げてはいけないレスだと思ったのです。
だから真正面から行きました。
きっとバカのすることです、
でも、許せなかった。
許せるとか許せないとか
好きとか嫌いで、それぐらいの感情で政治をやっております。
手段こそ理系らしい緻密な組み方をいたしておりますが
私の原動力は感情であり、それを否定するつもりはないのです。
思いが、私を駆けさせます。
他はない。
====最後のレス====
最後の返信になります。
>靖国に行かれて
>A級戦犯以外の戦死者たちの声が聞こえませんか?
>「なぜ一緒に祀るんだ?」
聴こえません。
声が聞こえませんか?」→聴こえません。の続き
最後の返信になります。
>靖国に行かれて
>A級戦犯以外の戦死者たちの声が聞こえませんか?
>「なぜ一緒に祀るんだ?」
聴こえません。
A級という言葉は後付であり、当時なかったためでございます。
また、これは英文では「カテゴリA」であり、一等二等三等のように用いることが間違っております。
そもそも戦勝国による、遡及しての判決、これは法廷を侮辱した行為であります。
先進国を名乗る国家において、行為が行われたのち法律をつくり、事後に裁くこと、これを許しているのは韓国ぐらいであります。
ゆえに、国際法に基づけば、東京裁判自体が無効だという立場を私はとっております。
立法府の人間ではございませんが、法を論じる政治家としては当然の判断でありましょう?
しかし、
戦争に勝てば何をしてもいい、これが世界のルールだとすれば。
そんなものなのかなぁとも、現実的に事象を追いかける観点も持ってはございます。
例えば、強姦・虐殺・放火の限りを尽くした、ベトナム戦争における韓国軍のような存在を指します。
事実、東京裁判において判事を務められたパール判事は、そのように述べられております。
対しまして、コミンテルン日本支部こと、日本共産党は以下の動きをしております。
>日本共産党によれば、平和に対する罪、人道に対する罪を事後法だと位置づけたパールの主張は、第一次世界大戦後に生まれた国際連盟規約や不戦条約等の存在を矮小化していると主張しているが、パールは意見書の中で、これらの条約も日本の戦争を違法とする根拠にならず、まして個人を裁くことは不可能だと判示している。
いまも、戦争に突入させた、あの時と何ら変わりはございませんね。。。
【時代の動く音】印首相「パール判事に言及」安倍首相に夕食会で。
====転載ここまで====
パール判事から遡及法、国際法まで持ち出しております。
政治家の全力射撃、ごらんください。
(抑えておりますけど。)
そのうち揚げ足とられてしまうのでしょうけどね。
それでもいい、それでもいいんだ。
専守防衛とは「撃たない」ではない。
「撃たれたら」「ちょっと考えて」「反撃する。」だと思う。
そのため私は、憲法九条をしっかりと守り、
日本国の政治家として憲法に基づいた振る舞いをしているつもりだ。
とやかく言われるものではない。
逃げない、スルーしない、違う意見でも真っ向勝負。
大人げないと言われるときもあるかもだし、煙に巻いてるだけじゃんと言われるものもあるかもしれない。
それでもポリシーをもって、
一本軸を通して、レスを返すのは楽ではない。
あっちでは「そうですね。」と言って
こっちに言っても「なるほど、なるほど。」では、
やがて無理がくる、矛盾が出てくる。
自分をしっかり持つ。
そのためには、意見の反駁も恐れない。
いや、本当は怖いときだってある。
だけどそこで逃げるのであれば、私はきっと、選挙に出てない。
戦うために、ここに来た。
それにしても、私はとことん攻撃型なんだろうなぁ。
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AG のコメント:
2014年10月28日 6:09 PM
特攻隊は「犠牲者」見える視点
結局、今回の人物だけではなく特攻隊を「犠牲者」と見る視点のグループがあるわけです。
それが護憲派であり、侵略史観派であり、自虐史観派という共通した者たちです。
今彼らの発信源である朝日新聞に亀裂が入りだしています。
これらの者たちにすれば、この大きな発信源は何が何でも死守したいという核心的利益とでもいうものでしょう。
しかし、朝日新聞のメディアとしての欠格が明らかになったように、
過去の朝日主導で日本全国に拡散された歴史観も遠からず陳腐化して行くと思います。
その次の題材が「百人切り」などです。
「犠牲者」に話を戻すと、産経新聞にしても関行雄大尉の出撃前の様子は美化していません。
事実を記し、歴史を冷静に判断する(勿論歴史をまったく正しく全て間違えず網羅は出来ないでしょうが、
特定メディアの恣意的歴史観からの捏造がなければ、おおむね事実に沿う方向に向かうでしょう)。
そして特攻隊を「犠牲」と見る視点は同時に公と私にも関係します。
私を絶対化し、国家を矮小化し、国家ではなく市民による世界という能天気な思考は現在でいえば、
イスラム国をはじめとして世界の現実を無視した井戸の中の思考です。
もちろん、逆に国家が全てであり私は国にどんな場合でも絶対的に従う極端さにも注意は必要だと思いますが、
ここはバランスの問題でしょう。
そして、あの時代、国家に比重が重くあったのはそれは歴史の中のそういう時代であり、
そこで若くしてやるべき仕事をした特攻隊を「犠牲者」と言うのは本人たちにもご家族にも、
日本国にも失礼なことだと思います。
多数の特攻隊関係者は「犠牲者」と思ってはいないと思います。
議論に入り発言していることに市議会議員としての枠からはみ出したと言えるほどのものではないと考えます。
単に一人を相手にしているというものではなく、多数の相手がディスプレイの前にはいるわけです。
その不当的多数に対しての言葉でもあることです。
羽ばたけ日本人 のコメント:
2014年10月29日 12:32 AM
父は特攻隊員でしたよ
16才にて終戦を迎えました。鹿児島駐屯基地です
海軍と陸軍を受験し、海軍を選んだそうです
当時は、飛行機乗りは人気者だったそうです。
憧れたそうですよ
父は、見送ってるんです。後から逝くから会おうって
志願してます
アンパンマンの主題歌ではありませんが
父は、「何の為に生まれて、何の為に生きるのか考えて答えを出したんだ」
そう言ってましたね
特攻隊員は、「犠牲者だ」と戦後の戦争を知らない日本人は
どうして、特攻隊員の話を聞かない??
当事者の声を聞かないで、自分の気に入る結論だけを正義の様に振り翳す
a のコメント:
2014年10月31日 12:57 PM
科学技術的に、数学統計的に見た場合は、特攻隊員の方達は「犠牲者」でしょうね。
でも、「自分が頑張れば皆が助かる」の精神的考えなら「英雄」ですね。
うーん、どっちの視点から見れば良いんですかね?
個人的には「英雄」のほうが良いと思うんですが、振武寮の様な例も有りますからねえ。
(要約引用終了)
(私のコメント)
特攻隊は作戦的には最悪だったが、そういう合理性で判断することを、
とっくに通り越した極限状態だったのだろう。
上記では触れていないが、世界的歴史的に見ても特攻隊はそんなに特異なものでない。
それは前回でも触れたようにアメリカでさえ、国のために犠牲を志願した人は沢山いる。
音速を超える戦闘機を開発した時はテストパイロットの犠牲者はたくさん出たが、
それでも志願者は絶えなかった。
地上に向かって急降下して音速に近づくのだが、地上に激突して仕舞う事が多かった。
今話題のオスプレイは40年近く研究開発に時間がかかったものだが、
非常に難しい条件の飛行機なのでテストパイロットの犠牲者は数百人に登っている。
こういう志願者は特攻隊と同じなわけだ。
ただ特攻隊は日本が負けてしまったから犠牲者になってしまい、アメリカは勝ったから英雄なのだろう。
日本人だったら負けた人々も英雄として祀ってあげないといけないのだろう。
結局「特攻隊は犠牲者」と言い募るサヨクの人々は日本人でないから、と言うしか無い。
第二アメリカ人に寝返ってしまった卑怯な奴ら、といってもいいだろう。
(私のコメント終)