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思索ノート~リベラルな保守主義
(見出し)
今日のテーマ「小西ひろゆき参議院議員の論理的な飛躍」

(引用開始)
こんにちは岩田温です。今日のテーマは「小西ひろゆき参議院議員の論理的な飛躍」です。

 先日、余りに傲慢で無礼な質問をしていた小西ひろゆき参議院議員を批判しました。多くの人が驚くような傲慢さでした。ご本人は、全く反省の色もなく、ツイッターで次のように発言しています。

「狂信的な官僚集団」という発言については、外務官僚を中心とした官僚集団がまさに狂信というべき確信犯で解釈改憲を支えている事実を指摘したものです。

 まず、「解釈改憲」という言葉についてですが、今回の集団的自衛権行使に関しては、昭和47年の政府見解の基本的な論理の枠内で合理的なあてはめを変更したのであり、憲法に関する基本的解釈を変更したものではありません。
 そして、官僚のことを「狂信的」と呼ぶのは不適切でしょう。何を狂信しているのというのでしょうか。いわゆる「イスラム国」が狂信集団だというなら、理解が出来ますが、こうした誇張した表現は誤解を招くだけで、小西議員の考えに賛同する人ですら、びっくりしてしまうはずです。申し訳ありませんが、あの質問の仕方─何度も指で人を指し、興奮して、攻撃的に話す─の方が、よほど何かを狂信している方の態度のように思われます。

また、小西議員の論理の飛躍はこれだけではありません。例えば、次のようにも発言しています。


「子どもがおかしいと思い、親が子どもに説明できない」ことを強行する社会の行き着く先はファシズム全体主義)です。


これは絶対におかしい。親が子供に論理的に説明できないことは多いはずです。

「何故、お年寄りを大切にしなければならないの?」
「何故、弱い者いじめがいけないの?」
「何故、人を殺してはいけないの?」

こうした問いに対して、論理的に答えることは難しいのです。基本的な問いであるからこそ、論理的に答えることが難しい。では、答えられない、説明できないからといって、「わからないから、全部試してごらん、何ごとも経験だよ」というわけにはいきません。

かつて、会津藩には什の掟というものがありました。これは掟が10個あるという意味ではなく、6歳から9歳くらいまでの藩士の子弟10人前後で「什」という組織を作っていました。その中の掟が次のようなものです。


一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

 

女性と言葉を交えてはならぬ、などというのは、今日では通用しない価値観ですが、その外は、現代にも通じる道徳と言っていいかもしれません。何よりも重要なのは、この道徳を支えているのは論理ではないということです。「ならぬことはならぬもの」だ、という、非論理的な説明に道徳は支えられているのです。

小西議員は、大人が子供に説明できないことを強行する社会の行きつく先が「全体主義」だとおっしゃる。私には到底理解することの出来ない論理的な飛躍です。

そういえば、チェスタトンという作家が『正統とはなにか』という本の中で、「狂人」について説明しています。

「狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。」

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一国の総理に何度も指を指し、我が国を支える官僚を十把一絡げに「狂信集団」と括る無礼な質問を拝見しながら、私は改めてチェスタトンの慧眼に感服していました。

 

(後略)

 

(引用終了)
(私のコメント)
旅行に出かけるので、少しまとめてメルマガを送ります。
この岩田と言う人はこの人が大学時代から活動を応援してきた人で、保守主義の研究者だ。
私が応援してきた、と言っても本を買ったり、講演会に出かけたりした程度だけどね。
ただ、考え方の基準がはっきりしており、私と似ているので世の中の出来事の解説は参考に成り、勉強にもなる。

なお、上記の内容で「論理的に答えることは難しい」といっているが、ここがポイントだ。
人と人とのつながりや一般的な社会的物事と言うのは論理的繋がりだけでなく、論理以外のつながりもあるのだ。
以心伝心、直指人心見性成仏という非論理的な部分だ。
ここが西欧文明と日本文明の違いにもなっている。
「理性以外のあらゆるものを失う」というのは歴史文化伝統、道徳、神様等を無くしている、ということだ。
(私のコメント終)