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万国共通時事周覧

(見出し)
国境のない世界「イマジン」と理想と現実

(引用開始)
国境のない世界こそ、平和で争いのない理想社会であるとする説は、ジョン・レノンの『イマジン』にも歌われております。地球市民の発想は、遠くはアレキサンダー大王のコスモポリタン思想に起源を求めることができますが、国境のない世界は、アーティストが訴えるような人類の理想郷なのでしょうか。
 
 『イマジン』は、人々に想像力を働かせることを勧めています。戦争や紛争といった人類の禍の原因は国境にあるのだから、国境を取り除けば、自ずと地球上に平和が訪れる、ということなのでしょう。しかしながら、今般、ヨーロッパで起きている”難民危機”は、国境のない世界の想像が誤りであったことを示しております。EU内では、シェンゲンエリアが設けられ、およそ加盟国間の間で国境がなくなった状態が現出しておりますが、シリアやアフリカからの大量の難民が、加盟国の国内、並びに、EU加盟国間で深刻な対立をもたらしているからです。移民受け入れについては、人道的な見地や理想主義から歓迎する声がある一方で、近年、ヨーロッパ各国では、移民政策に反対する右派政党も支持を伸ばしており、国内世論も分かれております。また、EU内部でも、難民割当制に対する反対に留まらず、ハンガリー首相に至っては、ドイツに対して国境の閉鎖を求めております。そのうち、数百万人を越える難民が押し寄せると…。現実の世界で起きている”民族大移動”を前にして、国境のない世界の理想は、脆くも崩れつつあります。
 
 シリア一国だけでも相当数の難民が発生しておりますが、国境が撤廃され、全世界の諸国の民が一斉に移動を開始したとしますと、どのような事態が発生するのでしょうか。理想郷とは程遠く、想像しただけでそら恐ろしくなるのではないでしょうか。


(引用終了)

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http://totb.hatenablog.com/entry/2015/08/21/235402
think outside the box


(見出し)
汎ヨーロッパ・ピクニック計画から26年

(引用開始)


政治・歴史・社会


共産主義体制崩壊、ドイツ再統一、ユーロ導入、EUの東方拡大と、ヨーロッパの一体化*1が大きく進む切っ掛けになったのが、1989年8月19日にハンガリーで行われた汎ヨーロッパ・ピクニック計画でした。

汎ヨーロッパ・ピクニック - Wikipedia
 
ハンガリーが東ドイツ人をオーストリア経由で西ドイツへ脱出させたことが、その後のヨーロッパと世界を大きく変えたわけです。
 
それから26年後、同じくハンガリーオーストリア経由でドイツを目指す人々が溢れています。

難民の波、欧州揺さぶる ハンガリーから大移動:朝日新聞デジタル
(中略)


26年前と異なるのは、ハンガリー政府が人々の流入を拒んでいることと、人々を引き付けるドイツを非難していることです。

26年前にはオーストリアへの越境を容易にするために国境のフェンスを撤去していたものが、現在では難民流入を阻止するためにセルビアとの国境にフェンスを設置しています。

(中略)

もちろん、この根本的理由は、ドイツや北欧を目指して流入する人々が非ヨーロッパ人だからです。

難民が流入する国から非難されているドイツですが、TV番組でメルケル首相の言葉に泣き出したパレスチナ人の少女が、人道的理由から居留許可を得ることになりました。
 
(中略)
少女の涙が「難民の数がドイツの対応限度を超えている」という現実的判断を覆したわけで、まさに「泣く子と地頭には勝てない」です。*2
 
「感情に訴えればドイツに住める」という前例は、難民たちのドイツへ向かうインセンティブになったと考えられます。
 
英独立党のファラージュも、メルケルの難民受け入れ方針が、アフリカや中東の人々に、ヨーロッパに向かう大きなインセンティブを与えてしまったと非難しています。

(中略)

難民のヨーロッパ流入阻止を訴える勢力がある一方で、歓迎姿勢を貫く勢力も強力です。その代表が、北欧に多いリベラル派です。


(中略)
もう一つ見逃せないのが経済界(経営者たち)です。彼らにとって難民とは、「安価な労働力」に他なりません。

(引用)

ところで、移民や彼らの子どもたちの多大な貢献がなければ、誰が我々のオフィスを掃除し、ゴミを回収し、家を建て、ビルの清掃を引き受けるのであろうか。自動車の組み立てや造船現場はどうなるのであろうか。誰が大型スーパー・マーケットのレジ係や小規模店舗の店番を引き継ぐのであろうか。誰が我々のレストランの厨房を切り盛りするのであろうか。[…]さらには、誰が我々の子どもの面倒を見るのであろうか。また、我々の病人の看護や、在宅であろうが、高齢者施設であろうが、高齢者の世話をするのは誰であろうか。

(引用終了)

難民流入促進の背景には、リベラル(人権・多文化共生)とネオリベラル(金儲け第一)の共闘があるわけですが、これはフェミニズムネオリベラリズムの手先となった構図と同じです。

(中略)

移民・難民の受け入れを続けてきた結果、総人口に占めるイスラム教徒の割合は、仏7.5%、独5.8%、英4.8%に達しています。


(中略)
ロンドンでは、新生児の母の過半数が外国生まれになっています。オーストリア=ハンガリー帝国の末期を想起させる状況です。

(著書;青年ヒットラーから引用)

19世紀後半以降、首都ウィーンにはこれらの諸言語を使う多種の民族が流れ込み、アドルフが見聞したように、まさに諸民族、諸言語そして諸文化のカオスを形成していたのであった。

アドルフのウィーン時代には、市の2パーセントであったユダヤ人の人口は、その4倍以上にはね上がり、路上で異様な雰囲気をかもし出すとともに、反ユダヤ主義的風潮も盛り上がっていたのである。

こうした実情を目の当たりにした多感な青年アドルフが、オーストリア・ハンガリー帝国の在り方を恐ろしく嫌い、そうした諸民族的混淆の帝国の衰退、崩壊を熱望したのは当然であった。
(著書;青年ヒットラーから引用終了)

リベラル派が「正しい」とする諸民族的混淆(多文化共生)が次に何をもたらすか、(不謹慎な言い方ではありますが)面白くなってきました。

 

(私のコメント)
上記の記事の通り、ヒットラーのトラウマがあるから、ドイツの首相メルケルヒットラーの逆の政策を取らざるをえない。
つまり、多民族共生だ。
ということはドイツと言う国がバラバラになってしまい、収集がつかなくなる、ということだ。
そもそも国家というものは現在の国民でできているのでなく祖先からの蓄積だ。
つまり、死者も権利を持ったものなのだ。
難民だの移民だのいうが、彼らはドイツの死者の蓄積を収奪に来たようなものだ。
ドイツ国内資本家は3k労働の担い手として受け入れるようだが、そんな階層社会は政治的不安定をもたらすだろう。
政治的不安定とは景気が悪なって首を切られたりして、失業保険などの社会福祉が財政を圧迫し始めたときだ。
人は基本的に共同体の中で暮らすように出来ているもので、共同体の文化や伝統を共通の基盤とする。
それがないと相互扶助の精神が働かない。
人は共同体に属し、共同体に対する権利や義務が生じ、見返りに共同体のメンバーとして共同体の利益を共有する。

以前にこんな話がブログにあった。
「とある国にやってきた男がそこの住民を見ると、せっせとぶどうを植えている。
だが、その葡萄は100年後でないと実がならない品種だった。
そこで、自分たちが食べられないようなものを一生懸命植えている住民を、なんて馬鹿な奴らだ、とバカにしてみていた。
ところが、よく見ると彼らは美味しそうなぶどうを食べているではないか。
驚いて、聞いてみると100年前の祖先が植えてくれたぶどうが実っていてそれを食べていたのだ。
そこで、俺にもくれ、と言ったが子孫だけが食べることが出来るのでダメ、と言われてしまった。
そこで男は住人を皆殺しにしてぶどうを奪い、たらふく食べた。
だがぶどうが無くなってしまうと、もうぶどうを植えるものがいないから結局男も飢え死にしましたとさ。」

故郷を捨てた人間は異郷に行っても軽蔑される。
つまり、自分たちのぶどうを作れず他国にやってきて、他国のぶどうを収奪し、ぶどうがなくなればまた他国に往く人間だ。
共同体を守ろうとか、義務を負っているわけでもなく、敵が攻めてきたらサッサと逃げる卑怯な奴らだから嫌われる。
ヒットラーの時代のユダヤ人もドイツ人からそういう目で見られていた。
また、ユダヤ人を迫害し殺したのは全ヨーロッパ人が多かれ少なかれやってきたことなのだ。
それは、いいとこ取りして具合が悪くなったら逃げて仕舞うような民族に見られていたからだ。
今は被害者貴族としてドイツ人を下に見ているが、ユダヤ人も反省すべき点があるのだ。
アメリカは移民の国だが、決して平等でなく、先にやってきたものほどえばっている。
あとから来たアイルランド人や東欧諸国の人は階層的には下になっている。
イタリア人も下の階層で仕事がきついからマフィアになったのだ。
そして東洋人である日本人、シナ人がカリフォルニアで成功し、アイルランド人などより上に行ってしまったから排斥された。
今は各階層、各民族でゲート社会を作って暮らすことが広がっているそうだ。
移民の国であるアメリカでさえ中身は大変なのだ。
欧州はどこまで持つか、どこかで第二のヒットラーが出てくる可能性が大きいのではないか。

(私のコメント終)