メルマガブログ

http://toyokeizai.net/articles/-/79245?page=4
東洋経済オンライン
心が強い人が持つ「他人に反応しない」技術

草薙 龍瞬くさなぎ りゅうしゅん

僧侶、興道の里代表

(見出し)


(長い記事なので要約して引用開始)


(前略)

最初に「承認欲」――認められたい願望――について考えてみましょう。
 
なぜなら、実はこれが、現代人のあらゆる悩みのタネだからです。承認欲が強いばかりに勝ち負け・優劣を気にする人や、「評価されたいけど、自分にはそれだけの能力がない。だから自分がキライだ」という人が大勢いるわけです。

(以下要約)
1.一部の心理学では承認欲を否定しろ、「認められたい欲求」は自己嫌悪につながるから良くない、という。
しかし、仏教では誰もが持っている「承認欲」を否定しない。
2.「承認欲」を否定しない、ということはそういうものがある、とまず理解し、それがどんなものかと考えることだ。
そうするだけで、「他人に承認してもらう、それがどうした」と一つ抜けだした感覚になる。
3.承認欲からくる悩みもその正体を理解すれば、ではどう考えればいいか具体的な解決のステップに入っていける。
例えば「嫉妬」を考えると、嫉妬の正体は承認欲不満という怒りだ。
自分が認められない怒りを第三者に向けている状態、つまり、八つ当たりだ。
4.嫉妬がどういうものか理解できたらではどうすればいいか合理的(正しく考える)とどうなるか。
認められるために自分は何をすべきか、という自分の努力工夫の問題になってくる。
そう考えれば、嫉妬が前向きなエネルギーに変わっていくことになる。
変わっていくなら最初にもどるが、「承認欲」を否定する必要はない、ということになる。
5.一般に仏教は肯定も否定も「判断」ということをしない考え方をする。
判断は悩みを生むから、無駄な判断はしない、というふうに考える。
上記の嫉妬の例で言えば、認められるために努力するのもいいが、
「他人に認められる、といってもそれがどうした、意味ないね(価値がない)」と考える選択肢もある。
6.承認浴も何でもそうだが、悩みが出て来た時が大切だ。
我々の日常は悩みに満ちている。
仕事の成果に喜んだり、落ち込んだり、他人に負けたくない、などの心の反応が悩みに繋がっている。
こうした悩みは要するにどれも無駄な反応なのだ。
本当は誰もが「動揺しない、反応しない、タフでクール」で居たいのだ。
では、無駄な反応をして、悩み、ストレス、虚しさを感じないためにはどうしたらいいか。

(要約終、以下本文)

ひとつは「心の状態を理解する」という心がけ――“瞑想タイム”のススメです。まずは、デスクの前でも、電車の中でも、目を閉じて「心を見つめる」時間を作ります。
 
そして、「怒り」を感じているときは、胸のあたりを見つめて「怒りが湧いている、怒りがある」と、冷静に理解するようにします。仕事で大きなミスをしてしまって、かなり動揺したときには、「動揺しているな、落ち込んでいるな」とありのままに理解します。
 
大事なのは、このとき「腹を立ててはいけない」とか「動揺してはいけない」と「否定」しないことです。そのために、アタマの中で「怒りがある」「動揺している」と客観的に“言葉で”確かめるとよいでしょう。
 
こうして、「心の反応を理解する」にとどめて「それ以上に反応しない」ように心がけるのです。最初は難しく感じるかもしれませんが、だんだんできるようになります。
 
もうひとつの方法は、「カラダの感覚を意識する」という方法です。たとえば、
 
・出勤途中の「歩いている足の裏の感覚」を意識します。右足、左足、右足……と歩きながら、足の裏を感じ取ります
 
・仕事の合間に目をつむって深呼吸をして「お腹のふくらみ・縮み」を意識します(初めての人は手のひらをお腹に当てて「ふくらんでいる、縮んでいる」と意識するとよいでしょう)
 
 
 
こうして「カラダの感覚」に意識を向けることは、ムダな反応を洗い流す効果テキメンの方法です。お寺の「座禅」の正体はまさにコレ。ぜひ試してみてください。


「その悪口は、あなたが持って帰ってください」
 
もうひとつ面白いエピソードを紹介しましょう。当時、ブッダは「悟った人」としてどんどん有名になっていきました。そのことにジェラシーを感じる宗教家(つまりブッダの同業者)も大勢いたのです。そんなひとりがある日、ブッダのところに行って、非難中傷・悪口の言葉をこれでもかと投げつけたのです。
 
普通なら「何を言うか」とムキになって口論が始まるところです。気弱な人なら相手の言葉に傷ついたり落ち込んだりするかもしれません。ですが、ブッダは反応しません。感情を上げもせず、下げもせず、“超クール”にこう返したのです。
 
「あなたが家で客人に差し出した食事を、もしその客人が食べなければ、その食事は結局あなたのものになるだろう。それと同じように、私はあなたが差し出した悪口を受け取らない(食べない)。その悪口は、差し出したあなたのものだ。そのまま持って帰るがよい」
 
こうなると、相手は黙り込むしかありません。ブッダの意図は「ムダに反応せず、心をクリアに保つことが何より大事なこと、だから何を言われても反応しない」ことにありました。「相手を打ち負かす」ことより「相手に反応しない」ことが最高の勝利と考えたのです。
 
ムダに反応しない。心をクリアに保つ――これは、現代に求められるメンタルタフネス(心の強さ)の基本でもあります。勝負強い人、ここ一番で成果を上げられる人は、こういう心の状態にあります。逆に、メンタルが弱い(すぐ動揺する・気が散ってしまう)人は、小さなことについ反応してしまっているのではないでしょうか。
 
いわばビジネスの現場で求められるさまざまな能力の「土台」となるのが、「ムダに反応しない、クリアな心」です。
メンタルを強くしたいなら、心のエキスパートであるブッダに学ばない手はありませんね。

 

 

 

(引用終了)
(私のコメント)
ユングという精神心理学の草分け的存在の学者が居るが、この人は人の心の無意識の中に経験などのデータがいっぱい詰まっている事に注目し無意識の心を研究した。
人間が「考える」と言うことは78割以上は無意識下で行われ、それが意識分野に登ってくるのだ、という。
意識分野で考えるわけではないのだ。
そこで、意識分野をパソコンのディスプレイのように考えて無意識で作られた物がそれに反映している、という風に捉えることが出来る。
そうすると、白紙の状態の意識分野に今こういう考えを無意識分野が展開しようとしているのだな、と意識することも必要だ、ということになる。
又、ユングはこうも言っている。
「何かしらの性質や情動について、それを否定するばするほど、抑圧すればするほど、その性質や衝動の反発が強まり反乱が起こる」
つまり、嫉妬する気持ちをを否定すればするほど抑圧されて無意識分野で大きくなり違った形で意識分野に反映されてくる、というのだ。
認められたい、と言う承認欲が無意識下にあり、それが抑圧されて大きくなり嫉妬という第三者攻撃に意識部分が支配されることになる。
これを直すにはまず無意識下にあるものを理解し、それを意識することで無意識下の抑圧を取り除く事が必要だ。
そうすれば、無意識は正しい方向へ向かって物事を考えるようになる。
ユングは「意識化」という概念でまとめている。
「無意識の内容物を意識することで、無意識を意識に統合する事が出来る。その結果精神が安定する」
大体上記の記事の内容と同じようなことを言っていると見ていい。
ユングの後に出たイタリア人の精神科医アサジョーリと言う人は「脱同一化」と言う考えを提示している。
「苦しみ、つまり自分を悩ませる感情、気持ち、思考、記憶、体験などは全てもっぱらそれに「同一化」しているものだ。
とすれば、その苦しみの究極的解消は、その同一化から離れること、すなわち脱同一化することである。
それらは自分でないことに気づき、それらを脱落させていけば良いのである。」
また瞑想の研究者で精神科医のダイクマンは「脱自動化」と言う。
「脱自動化とは、自動的に沸き起こっている知覚や反応のパターンを観察することによって、そこからの解放がなされると言う考え」
「同一化のほとんどが無自覚に習慣的になされているものであるとすれば脱同一化とはこの脱自動化とほぼ同じことを別の角度から見たものと言える」
以上のとおり仏教の教えも西欧の精神医学の考えも類似している。
長くなるので今日はここまでにしますがこの話はもう少し続けます。
なお上記は広宮孝信著「日本経済のミステリーは心理学で解ける」から引用しました。
この本は面白いからそのうち、要約して解説紹介します。


(私のコメント終)