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(私のコメント)
前回
「1511-17-826-11/19メルマガブログ転送少子化問題」の続き。
(引用)
祖先帰りで大いに参考にするため、次回、新渡戸稲造の「武士道」に書かれた女性についての部分を紹介する。
なお、新渡戸稲造東京女子大創設者の一人だ。
子供を武士として教育し作るのは女の仕事だから女は武士以上の武士なのだ。
1511-21-830-11/22メルマガブログ転送少子化問題要約
(引用)
男女が平等に働く、と言うのは共産主義の思想で、歴史的な男女関係とは相容れないのだ。
歴史的な男女関係とは男女の違いに基づいた役割分担、協力関係のことだ。
歴史的伝統的な男女関係は新渡戸稲造の「武士道」に書かれている。
参考に「武士道」を別途要約したものを紹介する。
(今回の私のコメント)
人は社会の中でそれぞれの能力に応じて役割が決まる。
それがそれぞれの人の持つ宿命だ。
宿命は平等でもなく勿論自由でもない。
宿命に気が付き、それを活かすときに運命が微笑む。
前回「1511-13-822-11/15メルマガブログ転送宿命と運命」で記事にした
「執行草舟著「生くる」に運命と宿命について書かれた部分」の引用だ。
もう少し引用しよう。
(引用)
宿命を知ることと民主主義が抵触するのは、民主主義の根本を成している万人平等思想がその病根としてある。
人間は平等では無い。人間はそれぞれ違うからこそ価値がある。
それを悪平等思想が完全に破壊してしまった。
そのため民主主義の平等思想に侵されている人間は平等の名の下に羨み、妬み、(うらやみ、ねたみ) 人と比較してしか自分の価値を認識できなくなっているのだ。
悪平等思想が自分固有の宿命を認識する術をそれぞれの人から奪い去った。

まず悪平等思想の汚染から解放されなければならない。
そうしなければ自分の個性を否定し他人と比較ばかりすることになってしまい、宿命を認識することができない。
我々の人生は自由に選択できる範囲は非常に少ない。
ほとんどの事柄はすでにして出生以前から決められている。
特に個人的に重大な事は全て選べないと言っていい。
いかにつらくても悲しくてもこれを受け入れるしかない。
すべてを受け入れればそのひとつひとつは生きてくる。
宿命を活かすには嫌うものも受け入れなければならない。
そうしなければ良いものを生かすことができないのだ。

宿命が活きれば初めて「運命」を語ることができる。
運命は各人に選択の自由と生の躍動と人生の喜びを作ってくれる。
運命とは動くものをいかにして活用するかにその本質がある。
生きた宿命を知って自己の立脚点を持つ人にして初めて運命に挑戦できる。
運命から宿命を見ると宿命は動かざる者として刻まれた運命の堆積(たいせき)とも言える。
歴史と同じで動かざるものがわかれば動かすことができるものも自然と分かってくる。
この認識によって躍動と柔軟思考が生まれ、これが運命を切り開くのだ。
動かしていいものは遠慮なく動かす、これが人生の醍醐味だ。

***
上記引用の通り、男女雇用機会均等法憲法24条は現代の病根として少子化を生んでいる。
沢山の不幸な結婚できない男女を産み、産めれるはずの命を沢山奪い虐殺し、日本人の衰退滅亡を招いている。
下記の新渡戸稲造の武士道にある通り、夫婦は男女としての違いを宿命として受け入れ、役割の違いとして認めるから、
自由とか平等より与えられた責任とか義務を全うする方に主眼が置かれる。
自由とか平等はそれぞれ制約制限の中にしかないし、時と場合で変化するし、それで充分なのだ。

今の憲法明治憲法の持つ「家長制モデル」から「平等主義モデル」へ進歩したように宣伝されるが、
その為に責任や義務が曖昧に成ってしまった。
平等とは権利ばかり主張し、責任や義務の押し付け合いになりがちだ。
責任や義務は宿命として受け入れるべきもので、自由や平等はその次に来るものだ。
宿命は神様に繋がるから信仰も活きるが、自由や平等は神様の守備範囲ではない。

男は家長になることにより(女が家長になることもある)重い責任を背負った。
女はその責任を家庭内に限って(場合によっては限らないこともある)分担し、家長を助けた。
責任や義務はその分担割合や軽重で立場地位に格差ができるのは当然だ。
新渡戸稲造が武士道で言う「(権利でなく)互いに半身だ」というのがこれだろう。
全員が大将司令官だったり、兵士ばかりの軍隊は機能しないし、全員が自由に振る舞う軍隊なんてありえない。
自由や平等では組織が成り立たないのだ。自由や平等は否定されるべきものだと断言したほうが良い。
但し、新渡戸稲造が言うようにそれは奴隷になる、ということでもない。

そして、大将になるか兵隊になるかは宿命を基本として運命がきめるのだ。
家族も組織であるからにはそう言う組織のおきてが適用される。
その掟は組織の中で自由や平等をどう制限しどう活かすか、社員が自由にいきいきと動く会社は発展するだろう。
平等や自由は範囲でなく深さだ。

平等と称して社長が二人居ていがみ合ったり、責任を押し付けあったりしている会社があったらすぐ潰れる。
社長が二人いたら、役割分担や責任範囲を決め、どちらかが当面でも代表にならないとうまく機能しない。
それを日本の家族も結婚も平等を至上とするから、バラバラ二人社長の会社のように潰れてゆき、
日本は滅亡の途を走っている。

(私のコメント終)


(見出し)
http://yururi.aikotoba.jp/samurai/spirit/nitobe.html

新渡戸稲造が伝えた「武士道」
5000円札のおじさん

(引用開始)
14.武士道が求めた女性の理想像
 武士道は男性のために作られたものである。
その武士道が求めた女性の理想像は、家庭的であると同時に、男性よりも勇敢で決して負けないという、英雄的なものであった。
そのため武家の若い娘は、感情を抑制し、神経を鍛え、薙刀を操って自分を守るために武芸の鍛錬を積んだ。
この鍛錬の目的は戦場で戦うためではなく、個人の防衛と家の防衛のためであった。
武家の少女達は成年に達すると「懐剣」と呼ばれる短刀を与えられた。
その短刀は、彼女達を襲う者に突き刺さるか、あるいは彼女達自身の胸に突き刺さるものであった。
多くの場合、懐剣は後者のために用いられた。
女性といえども、自害の方法を知らないことは恥とされていたのである。
さらに、死の苦しみがどんなに耐え難く苦しいものであっても、亡骸に乱れを見せないために両膝を帯紐でしっかりと結ぶことを知らなければならなかった。
 武家の女性には、家を治めることが求められた。
彼女達には、音曲・歌舞・読書・文学などの教育が施されたのも、その目的は、普段の生活に彩と優雅さを添えるためであった。
父や夫が家庭で憂さを晴らすことができればそれで十分だった。
娘としては父のため、妻としては夫のため、母としては息子のために尽くすことが女性の役割であった。
男性が忠義を心に、主君と国のために身を捨てることと同様に、女性は夫、家、家族のために自らを犠牲にすることが、たいへん名誉なことであるとされた。
自己否定があってこそ、夫を引き立てる「内助の功」が認められたのである。
ただし、武士階級の女性の地位が低かったわけではない。
女性が男性の奴隷でなかったことは、男性が封建君主の奴隷ではなかったことと同様である。
対等に扱われなかったのは事実であるが、それは男女の間に差異が存在するためであり、不平等ではなかった。
例えば戦場など、社会的、政治的な存在としては、女性はまったく重んじられることはなかったが、妻として、母としての家庭での存在は完全であった。
父や夫が出陣して家を留守にしがちな時は、家の中のことはすべて女性がやりくりしていた。
子女の教育もその仕事の一つである。時には、家の防備を取り仕切ることもあった。
 日本の結婚観は、キリスト教の結婚観よりもはるかに進んでいると思われる。
アングロ・サクソン系の個人主義のもとでは、夫と妻は別の二人の人間である、という考え方から抜けることができない。
そのため、二人がいがみ合う時は、それぞれに「権利」が認められることになる。
日本の場合、夫と妻は独りでは「半身」の状態であり、夫妻がそろうことで一個の形になると考えている。
言わば、お互いがお互いの一部になっているようなものである。
社交上、夫が自分の妻を「愚妻」と表現することがあるのは、妻に対して蔑みの言葉を投げているのではなく、自分の半身を謙遜しているからなのである。
 このような武士道独特の徳目は、武士階級だけに限られたものではなかった。
時と共に、それ以外の階級の日本人たちも武士道に感化されていき、日本の国民性というものが形成されていったのである。


(引用終了)

(見出し)
新渡戸稲造著“BUSHIDO,THE SOUL OF JAPAN”

(引用開始)

新渡戸稲造著“BUSHIDO,THE SOUL OF JAPAN”は英語で書かれ、明治32(1899)年にアメリカで出版された。
その後、日本語はもちろん、ドイツ語、フランス語はじめ様々な言語に翻訳され、今も読み継がれている。
 
「新渡戸(1862-1933)は、武士道の淵源(えんげん)・特質、民衆への感化を考察し、
武士道がいかにして日本の精神的土壌に開花結実したかを説き明かす」(岩波文庫版『武士道』のカバー解説より)
 
近年この本は、映画「ラストサムライ」の公開とともに脚光を浴びた。
その後、ベストセラー『国家の品格』(藤原正彦著)が本書を引いて「情緒を育む精神の形として『武士道精神』を復活すべき、
と20年以上前から考えています」等々と書いたことから、今も書店に平積みされ売れ続けている。
 ※参考:共感・同感!『国家の品格』(当ブログ内)
 http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/d5d2f5331e836175e3465ba9816750d5
 
しかし一方ではこの現象を「国家主義や偏狭なナショナリズムの復活だ」と(本書を読まずに)決めつける人もいる。
なので、以下この本の要点を素直に整理し列挙してみる。
 
参照したのは岬龍一郎訳『武士道』(PHP文庫)と奈良本辰也訳『ビジュアル版 対訳武士道』(三笠書房 原文の抜粋とその訳)である。どちらも相当「意訳」してあるので、自分で原文を「直訳」し直してまとめた。受験勉強の知識は、数十年を経て思わぬ所で役立つものだ。要点とはいえ、やや長くなってしまうがご辛抱を。
 

 第1版への序文
  ある時私は、ベルギーの法学者に「日本には宗教教育がない」と話したところ、「宗教なしで、どうやって道徳教育をするのか」と驚かれた。思い返すと、自分に善悪の観念を吹き込んだのは武士道であることに気がついた。封建制と武士道がわからなくては、現在の日本の道徳観念はまるで封をした「巻物」と同じことだとわかったのである。
 
第1章 倫理システムとしての武士道
  武士道は、戦う貴人が職業だけでなく日常生活においても守るべき道で、「騎士道の規律」「ノーブレス・オブリージュ」(身分高い者に伴う義務)である。それはむしろ不言不文の語られざる掟、書かれざる掟であったというべきだろう。それだけに武士道は、いっそうサムライの心の肉襞に刻み込まれ、強力な行動規範としての拘束力を持ったのである。
 
第2章 武士道の源(sources)
  武士道は仏教と神道から大きな影響を受けているが、源は孔孟の教えであり、知識を行動と一致させよという王陽明の「知行合一」の実践であった。
 
第3章 義(rectitude)もしくは正義(justice)
  義は、サムライの規範の中で最も厳格な教えである。裏取引や不正な行為ほど嫌われるものはなかった。林子平は、これを「決断する力」と定義して、「義は自分の身の処し方を道理に従ってためらわずに決断する力である。死すべきときには死に、討つべきときには討つことである」と語っている。
 
 第4章 勇気、勇猛心と忍耐
  勇気は、義のために行われるものでなければ、徳として数えられる価値はないと見なされた。勇気とは、正しいことを行うことである。
 
第5章 仁(benevolence)、惻隠の情(the feeling of distress)
  愛、寛容、他者への愛情、同情、哀れみは、常に至高の徳として認められてきた。仁は、優しい母のような徳である。孟子は「惻隠(そくいん)の情は仁のルーツである」と言った。か弱き者、敗れたる者、虐げられた者への仁の愛情は、とくにサムライに似つかわしいものと称揚された。
 
第6章 礼儀正しさ
 礼儀のルーツは、他人の気持ちを尊重することから生まれる謙虚さや丁寧さである。礼儀は、他を思いやる心が外へ表れたものでなければならない。
 
第7章 真実性(veracity)と誠意
  真実性と誠意がなければ、礼儀は茶番か芝居である。サムライの約束は、通常、証文なしに決められ実行された。証文を書くことは面子を汚すことであった。
 
第8章 名誉
  名誉は、この世における最高の善として尊ばれた。若者が追求しなければならない目標は、富や知識ではなく名誉だった。
 
第9章 忠誠の義務
  自分の命は主君に仕えるための手段と考え、それを遂行する名誉が理想の姿だった。
 
第10章 サムライの教育と訓練
  教育で第一に重視されたのは、品性の形成(to build up character)であった。
 
第11章 克己心(セルフコントロール)
  武士道は、一方において不平不満を言わずに耐える不屈の精神を訓練し、他方においては、自分の悲しみや苦痛を外面に表すことで他人の楽しみや平穏を損なわないように、という礼儀正しさを教えた。
 
第12章 自殺と仇討ちの法制度
  切腹は単なる自殺の一手段ではなく、法制度としての一つの儀式だった。仇討ちは四十七士の物語に見られるように、当時唯一の最高法廷であった。 
 
第13章 刀、サムライの魂
  武士道は適切な刀の使い方を強調し、誤った使用には厳しい非難を向け、嫌悪した。
 
第14章 女性の訓練と地位
  女性が夫や家庭、ファミリーのために自らを犠牲にするのは、男性が主君と国のために身を捨てることと同様、自分の意志に基づくものであって、それは名誉あることとされた。
 
第15章 武士道の影響
  俗謡に「花は桜木、人は武士」と歌われ、武士道精神を表す「大和魂」は、日本の民族精神(フォルクガイスト)を象徴する言葉となった。
 
第16章 武士道は生き続けるか
  武士道はこのまま廃れるのだろうか。芳しくない兆候が漂いはじめている。
 
第17章 武士道の遺産
  武士道は独立した倫理的な掟としては消え去るかも知れない。しかしその光と栄光は、廃墟を越えて生き延びるだろう。
 
 
以上が『武士道』の要点である。私は以前、薬師寺のお坊さんが「アメリカ人に『日本人は無宗教だ』と言われたので、『その代わり日本には武士道がある』と言い返してやりましたよ」と言うのを聞いたことがある。上記「第1版への序文」とよく似た話で、僧侶が言うのは何だかミスマッチだが、言わんとするところは本書を読んでよく分かった。
 
トム・クルーズは、本書を読んで「ラスト・サムライ」の制作を思い立ったそうだ。
台湾の李登輝・元総統は、本書を題材に『「武士道」解題』(小学館文庫)を書いた。

 サッカー日本代表の応援キャッチフレーズは「サムライ・ブルー」だそうだが、気高く生きた武士の精神は、耐震偽装事件、ホリエモン村上ファンド問題、親の子殺し・子の親殺し、幼児の誘拐殺人、というモラルハザード(倫理観の欠如)に満ちた現代の日本と日本人に対して打ち下ろす、鋭い警策となろう。
 

(引用終了)


(見出し)
新渡戸稲造

(引用開始)


新渡戸 稲造(にとべ いなぞう、1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)は、日本の教育者・思想家。
農業経済学・農学の研究も行っていた。
 
国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。
日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。
東京女子大学初代学長。

 (引用終了)