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1602-3-867-2/5メルマガブログ転送長谷川神敗れず

優良メルマガブログ紹介

http://nihonshiki.sakura.ne.jp/thought-war/hasegawasan.html
日本式論
  管理人「モト」が運営する、日本の思想を大事にするウェブサイトです。

(私のコメント)
長谷川三千子著『神やぶれたまはず』は非常に面白い本だ。
一読をおすすめする。
長谷川三千子さんは埼玉大学の哲学の先生で日本を原点とした思想を展開している。
例えば「男女共同参画社会に反対、女性が家で子を産み育て、男性が妻と子を養うのが合理的」と言っている。
そこで、新聞テレビのサヨクからは嫌われている。
この人の祖母は野上弥生子という小説家で、私も子供の頃「お能の物語」など子供向けの本を読んでいたからとても懐かしい。

この本は日本が昭和20年8月15日に日米戦争に負けて戦後が始まったのだが、その思想の変遷について神様をテーマに分析して書いている。
なお、あの戦争は日本側からは大東亜戦争と命名され、戦後はアメリカが命名した太平洋戦争が使われている。
だが実際は日米戦争と言うべきなのだ。そうしないと本質が隠れてしまう。

日本は神国日本と言って神様が必ず守ってくださると信じられていた。
だが負けてしまった。信じていたのに裏切られてしまったのだ。
これをどう考えるか、ということだ。
1つは信仰心が足りなかった、という考えがある。
この本では信仰心が足りない、というのはキリスト教のような一神教の考え方であって日本の神様はそういう神様でない、と主張している。
つまり下記ブログにあるように日本の神様は人と共に戦って負けたり死んだりする神様だ、というのだ。

また、日本の敗戦はあくまで戦おうとする国民と、戦争をやめようとする天皇の対立の上にあった、と言う。
そして天皇は「私はどうなっても良い、死んでも良い。だから国民は生きろ」と言って戦いを収めた。
国民の生と天皇の死が対置された瞬間が8月15日だ、という。

しかしこれは本土決戦で死のうと待ち望んでいた人々にとって残酷な結果となった。
彼らの死ねなかった恨みが戦後の左翼平和運動につながった、と言えるのではないか。
だから彼らは憲法9条を信仰していて敵が攻めてきたら奴隷になるか死ねば良いと言っている。
これは本土決戦で死のうと言う考え方の裏返しで、本当は彼らが純粋な日本人ではないか、という話になる。
そういう意味では戦前と敗戦と戦後の三つは繋がっているのだろう。

また、天皇は「国民は自分の大宝」と大切にし、
国民は「天皇に忠節を誓い、天皇の馬前で死ぬことを名誉に思う」と言う考えが国家をなりたたせている。
本来の日本人にたちかえろうとするならこれを押さえないといけないのだ。
ただし、これは私の考えでは昔海を鎮めるために女が身を投げたり、橋を架けるとき、人柱を立てたりする、
神様に生贄を捧げる信仰が根っこにあるのではないか。
つまりきわめて素朴な信仰が背景にあり、つまり縄文時代から日本の宗教が続いている、という事ではないか。

いろいろと面白い考え方が随所に出てくる本で紹介していると本を全部書き写すことになるからこの辺でやめておきます。
最後に1つ付け加えると太宰治という人はなかなか偉い人のようで、この本を読んで見直した。
昭和23年当時米軍がやってきて言論の自由が蘇った、と言うなら今こそ「天皇陛下万歳」と言わなければならない、と言っている。
つまり言論の自由といっても天皇陛下の悪口が言える代わりに、アメリカの悪口は言えなくなっただけなのだ。
広島と長崎の原爆投下は民間人の無差別虐殺で、明らかに戦争犯罪なのだがそれは誰も言わない。国民には分からないように完全に検閲されていた。

その検閲は今も自主的に続いているようだ。


この本は戦後の日本と戦前を神様を通じてつなげようという試みではないか、
と思うが戦後教育を受けた我々の世代では何かすきま風を感じるところもある。
それが何かはよくわからないか、それだけいろいろと考えさせられる本で何回も読むべき本かもしれない。

(私のコメント終)
(見出し)

長谷川三千子『神やぶれたまはず』ともう一つの解答木下元文
はじめに

 長谷川三千子さんの『神やぶれたまはず 昭和二十年八月十五日正午』は、素晴らしい作品だと思います。
この本を参考にして、大東亜戦争の敗戦と戦後体制について少し考えてみようと思います。
(引用開始)

大東亜戦争の敗戦の瞬間

本書の序において、
〈わたしがいまここでしようとしてゐるのは、その瞬間をもう一度ありありとわれわれの心に甦らせ、
その瞬間の意味を問ひ、そしてその答へを得ることである〉と長谷川さんは述べています。その瞬間とは、
昭和二十年八月十五日正午のことを指しています。
この大東亜戦争の敗戦の瞬間を徹底的に考え尽くすことで、
日本人がわれわれの歴史を再び歩み出すことができると考えられているのです。
 こういったテーマでは、関連する情報を雑多に紹介するだけとか、
今後も考えて行きましょうという掛け声で終わることが多いのですが、本書は違います。
長谷川さんは、感情面と論理面の両面において、極めて高度な答えをはっきりと示すことに成功しています。
このテーマにおける歴代の各論者のそれぞれの意見に対し、その意見が出て来た背景を正確に把握し、
その意見の限界を的確に指摘し、その意見の先へと論理を進めています。
本物の天才が緻密に思考した成果であり、実に見事だというしかありません。
 他にも、第八章の『カラマーゾフの兄弟』の大審問官に対する見解、
および第九章のイサクの視点からの見解、これらは凄まじいの一言です。

敗戦後の選択肢

 本書の論理を追体験した上で、本書では(おそらく長谷川さんの優しさゆえに)語られなかった論点を明確化しておきます。
 第九章で長谷川さんは、
〈戦後の吉本隆明氏が熱心な反天皇制主義者となつたことは、少しも不思議でない。
それはただ当然のなりゆきであつた〉と述べています。
〈神からの拒絶〉による〈絶望や汚辱や悔恨がいりまじった気持〉、
そこから導かれる〈生きることも死ぬこともできない状態〉におかれた人間は、
〈神に背を向けて歩み去ることしかできないであろう〉というわけです。
 これは、当然のなりゆきではありません。
〈生きることも死ぬこともできない状態〉というジレンマにおいて、吉本氏は結局、生きることを選んだわけですから。
 この吉本氏のおかれたジレンマの状態において、大きく分けて三つの選択肢があると思うのです。一つ目は、
『改訂版 世紀の自決』に示されているように、死ぬという選択肢です。
二つ目は、長谷川さん自身が『旧約聖書』のイサクの視点に立って、
〈イサクは黙つてモリヤの山を後にし、二度とふたたび神に祈らうとはしなかつた〉と述べているような立場です。
つまり、生きることを選び、かつ、黙って祈ることをやめるという選択肢です。
三つ目は、生きることを選び、かつ、反天皇制主義者となってグダグダと呪詛を吐くという選択肢です。
 この三つの選択肢を鑑みるに、自死を選ぶ者・黙する者・呪詛を吐く者の順で、
明らかに精神の高潔さに差があることが分かると思います。
そして、最も高潔な者は死んでしまうため語れず、次の黙する者も黙するが故に語れず、
最も高潔でない者の言葉が世に響くことになってしまったのです。
 この深刻な事態そのものが、日本の戦後が本当の意味で終わることのなかった大きな理由の一つだと思うのです。
つまり、三番目の呪詛を吐く者に対し、死を選んだ者と黙した者の沈黙の声を救う人物の登場を待たなければならなかったのです。
すなわち、第四の選択肢です。
 その第四の選択に、『神やぶれたまはず』は明確に答えています。
ただし、長谷川さんが示した解答の他に、別の可能性もありえるように思えるのです。
そのもう一つの解答を模索する前に、まずは長谷川さんの示した論理を追っていくことにしましょう。
長谷川三千子の「神やぶれたまはず」

 本書の題名である「神やぶれたまはず」は、折口信夫氏の「神 やぶれたまふ」に対応しています。
対応としているというより、折口氏の〈神様が敗れたといふことは、我々が宗教的な生活をせず、
我々の行為が神に対する情熱を無視し、
神を汚したから神の威力が発揮出来なかつた〉という意見に対抗しているといった方が適切かもしれません。
当時の折口氏の状況や言説を参照し、長谷川さんは、
〈おそらくこのとき、折口氏の心の目は、よほど暗く閉ざされてゐたのであらう〉と述べています。
さらに当時の若者の残した言葉を参照し、〈折口氏の言葉は、このやうな日本の若い戦人の心から、
まるでかけはなれてゐる〉ことを明らかにしていくのです。その手法は鮮やかです。
 折口氏の「神 やぶれたまふ」という論理を否定し、長谷川さんは「神やぶれたまはず」の論理を構築していきます。
問題が大東亜戦争に関わる以上、キリストの神と日本の神々の対比によって論理を紡ぐことが不可欠になります。
そのとき参照しているのが、フランスの哲学者ジャック・デリダの著書『死を与える』になります。
あとがきで長谷川さんは、〈必要不可欠の補助線がここで得られた〉と述べています。
 「死」という概念を巡って、キリスト教の神と日本の神々の対比がなされていくのです。
まず、〈ユダヤ教の神もキリスト教の神も、死ぬことのできない神〉だという理論が示されます。
〈全知全能、唯一絶対の神に唯一不可能なことがあつて、それは死ぬことである〉というわけです。
それに対し、日本の〈われわれの神は、死にうる神々である〉という理論が示されます。
〈『古事記』に語られてゐるとほり、われわれの神は、全知全能でもなければ絶対的最高善の体現者でもない〉のであり、
〈人間と同じやうに手さぐりし模索する神々である〉というわけです。
そのため日本の神々は、〈ただ一点、ユダヤキリスト教の神に真似のできない特色があつて、
それは、死にうる神々だといふこと〉が強調されることになるのです。
この死にうる神々という論理と大東亜戦争の降伏という事態が、一つの解答へと収斂していきます。
長谷川さんは『日本書紀』や『花園院宸記』という具体例を提示しながら、
〈「降伏」といふ選択は天皇ご自身の生命を危険にさらすことになるのであるが、実はすでにそのこと自体が、
日本の「国体」思想の内に織り込まれてゐるのである〉と述べています。
 その上で、〈大東亜戦争の末期、わが国の天皇は国民を救ふために命を投げ出す覚悟をかため、
国民は戦ひ抜く覚悟をかためてゐた。
すなはち天皇は一刻も早い降伏を望まれ、国民の立場からは、降伏はありえない選択であつた〉という事態を描写するのです。
この事態は、〈美しいジレンマである、と同時に、絶望的な怖ろしいジレンマでもある〉と語られています。
なにしろ、〈ポツダム宣言を受諾して降伏するといふことは、すなはち天皇陛下の生命を敵にゆだねるといふことを意味する。
そんな決定を、多数決であれ何であれ、閣議決定で行ふなどといふことは不可能なことなのである〉からです。
 この美しくも絶望的な時代状況において、一つの奇蹟が起こるのです。
本書の第十章、「昭和天皇御製「身はいかならむとも」」において、次のように記されています。
"

 神風は吹かず、神は人々を見捨てたまふた――さう思はれたその瞬間、よく見ると、
たきぎの上に、一億の国民、将兵の命のかたはらに、静かに神の命が置かれてゐた。

 ただ、蝉の音のふりしきる真夏の太陽のもとに、神と人とが、互ひに自らの死を差し出し合ふ、沈黙の瞬間が在るのみである。
"
 ここで、〈歴史上の事実として、本土決戦は行はれず、天皇は処刑されなかつた〉という経緯は重要です。
それでも、〈昭和二十年八月のある一瞬――ほんの一瞬――日本国民全員の命と天皇の命とは、
あひ並んでホロコーストのたきぎの上に横たはつてゐた〉ことは記憶に留めておくべきだと思われるのです。
 これらの論理および事実によって、長谷川さんは「神やぶれたまはず」という結論に至るのです
"

 折口信夫は、「神 やぶれたまふ」と言つた。
しかし、イエスの死によつてキリスト教の神が敗れたわけではないとすれば、われわれの神も、決して敗れはしなかつた。
大東亜戦争敗北の瞬間において、われわれは本当の意味で、われわれの神を得たのである。
"もう一つの「神やぶれたまはず」

 長谷川さんが至った解答は、論理的にも思想的にも高度で素晴らしいものです。
ですから、その論理の先を示すなどということは恐れ多くてとても言えません。
私が示すのは、もう一つの思想の可能性に過ぎません。
それはおそらく、長谷川さんの見解とも無矛盾で成り立つものだと私は考えています。
 そのもう一つの可能性とは、「死」ではなく「敗北」という概念の対比によって示されるものです。
 本書の第一章で、長谷川さんは柄谷行人氏の『〈戦前〉の思考』の言葉を引いていますが、
その中に「ふつうの宗教では、神は戦争に負けたら捨てられる」という文言があります。
ここには、もう一つの対比の可能性が隠されていると思うのです。
すなわち、戦争に負けても捨てられることのない神々の可能性です。
 ユダヤキリスト教の神を思想的に解釈するなら、負けたら捨てられるという事態を回避するため、
原理的に敗北することのない神に祭り上げられたということを指摘できます。
この属性は、死ねない神と同系です。
死ねない神は、負けることがない神でもあるのです。
たとえ神に祈って負けたとしても、その敗北は神のせいではないのです。
その敗北の理由は、祈った者の信仰心の不足などに求められるのです。
そういう設定を構築したのです。
 この「設定」は極めて強力です。
それゆえ諸民族がかつて祈っていた神々は、敗北することで捨て去られてしまったのです。
それらの神々の代わりに、キリスト教の神は民族や国境を越えて広がり、世界宗教となっていったのです。
 その歴史的経緯を踏まえれば、大東亜戦争の敗北後にはもう一つの奇蹟が起こったといえるのです。
 確かに、折口氏の理論とはまったく異なる次元において、「神 やぶれたまふ」は成り立ちます。
なぜなら、我々が敗北したのですから、共に戦ってくれた我々の神々も敗れたことになるからです。
しかし我々は、我々の神々と共に立ち上がったのです。
日本の神々は、われわれ人間と共に戦い、ときには共に勝利し、ときには共に敗北する神々なのです。
そして日本人は、共に戦ってくれた神々を見捨てることはないのです。
 ここにおいて、人間と神々の関係における解釈が成り立ちます。
すなわち、我々人間と共に戦い、共に敗れたにも関わらず、捨てられることなく共に歩み続ける神々という解釈です。
この明らかに一段高い思想的次元において、我々日本人は、「神やぶれたまはず」と言えることになるのです。

 


1407-5-467-7/5メルマガブログ転送原点五箇条の御誓文
明日への選択7月号
日本政策研究センター30周年記念集会講演記録
長谷川三千子埼玉大学教授
NHK経営委員

演題「戦後日本の原点はなにか。」

私の解説と講演記録の要約がごちゃごちゃになってしまった。
講演に対する私の説明と感想として呼んで下さい。

(引用開始)

 

九条の会とか憲法を守る市民の会とかいわゆる戦後サヨク
戦後日本の原点を「ポツダム宣言」におく。
しかし、ポツダム宣言は降伏勧告であって日本が矢折れ刀尽きた状態だった時につきつけられたものだ。
そして、サンフランシスコ講和条約で日本はポツダム宣言の降伏状態から開放され独立国となったのだ。
つまり、ポツダム宣言状態はそこで終わっているのだ。
なぜ、サヨクはその敗戦状態を原点とするのか。
それはサヨクの理屈からすると日本が負けた状態は結果的に革命が起きた状態なので都合が良いからだ。
日本が負けて今迄の支配階級が吹っ飛んでしまい、サヨクが夢見る革命が成功した状態なのだ。
彼らの考えでは支配階級がいなくなると労働者だけの理想の国が出現するはずなのだ。

簡単にサヨクの思想を言えば、
サヨクはこの世の中を支配階級と被支配階級の2つに分けて考える。
支配階級を無くし、被支配階級だけの国を作れば理想の社会夢のような素晴らしい社会になる、と信じている。
その国は理想の国だから世界中に普遍的に通用するので国境もなくなる。

敗戦は支配階級が外国の軍隊によって消滅し、国家も国境を蹂躙されているからなくなった状態だ。
だからサヨクの理想の国に1歩近づいた形になる。
アメリカ軍は日本を占領した時、先ず最初に刑務所に入れられていた共産党員を解放した。
共産党員は日比谷のGHQ本部に行きアメリカ占領軍万歳、敗戦革命万歳、マッカーサー万歳と大喜びした。
こういう経緯があるからサヨクポツダム宣言の昔に帰りたがる。
また、戦後の原点として彼ら左翼は日本国憲法をありがたがる。
しかし日本国憲法は米軍の圧倒的な軍事力による脅かしの下に作られたものだ。
つまり銃を突きつけられて否応なく受け入れたのだ。
そのホールドアップの状態を原点とするのはサヨクがいかに知的退廃、知的欺瞞であるかを示している。
宮沢俊義の東大憲法学を含めサヨクは日本の敗戦を革命と捉えている。
だから敗戦を素晴らしいと考え、その結果である憲法を何としても護りたい、と考える。
こういうサヨクの戦後の原点の考え方は革命幻想を元にしており、
冗談言うなと吐き捨てるべきものだ。

では我々日本人は何を戦後の原点とすべきだろうか。
戦後日本において生きていくにあたって実際には何を指針にすればいいのか。
戦後の日本の原点とは我が国が第二次世界大戦において完全に敗北した、
その敗北を跳ね返すものだとも言えるだろう。
わが国はこれを拠り所にして敗北をはねのけ歩んでいくことができるというポジティブな原点だ。
戦争というのは国と国との戦いなのだが、別の見方をすれば正義と正義のぶつかり合いという側面を持っている。
利害関係に目が行ってしまって分からなくなるのだが、自分の国の正義を貫徹しようとするのが戦争なのだ。
2つの国の正義が正反対だから戦争が起きるのだ。
そこで、お互いの正義のどちらが正しいかを闘いで決めるのが戦争なのだ。
そして戦争の本質は勝ったほうが負けたほうの正義を全て奪い取り消滅させてしまうということなのだ。
旧約聖書ジェリコの戦いというのがある。
これはユダヤ人がカナン人が住んでいるジェリコの町を襲って皆殺しにし、
家畜などを奪い、その場所にユダヤ人の町を築いた話だ。
襲う側のユダヤ人の正義の根拠は、ユダヤ人の神様があいつらを皆殺しにして奪え、そこはユダヤ人の土地だ、
と言ったから、というものだ。
カナン人からしてみると到底受け入れられない正義だ。
だがカナン人の正義は戦争に負けたからこの地上から消滅してしまった。
どんなに理不尽でも勝ったからユダヤ人の正義だけが正しいことになったのだ。
日本もアメリカと戦争にするにあたって日本人の正義というものがあった。
しかし負けてしまったのでその正義は奪われ消滅し、アメリカの正義だけが世界と日本人全体を支配した。
日本人の正義が消滅して無くなった、ということは日本人の誇りも存在価値も何もなくなってしまったということだ。
戦後日本人が敗北を跳ね返すような原点を求めるという事はその原点に正義と誇りを持ち直せるかどうか、
ということになる。
その原点として昭和21年元旦に、昭和天皇が「年頭の詔書(みことのり)」を発せられている。
これが原点になるだろうと作者の長谷川は言っている。
前年8月15日に敗戦が決まって余燼冷めやらぬ、まだ4ヶ月少しの時だ。
昭和天皇は敗戦によって日本人の誇りが失われることを深く憂いていた。
その年の歌開始、戦後最初の歌会始めで昭和天皇は次のような歌を示されている。
「降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色かえぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ」
この歌は明治天皇日露戦争の時に歌った歌と対応している。
「敷島の大和ごころの雄々しさは事あるときぞ表れにけり」
今回の東北大震災の時に今上天皇陛下はお言葉を発せられたが、その中にもこれに対応した表現がある。
「…これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く感動しています…」
「雄々しさ」という表現は天皇陛下が国民とともに1つになって頑張らなければいけない、
という時に使われる言葉なのです。
さて話がそれたが昭和21年年頭の詔書(みことのり)はどんな内容か。
これは実は一般には天皇人間宣言と言われているものだ。
底だけ強調されて今に至っているが、実はそんな人間宣言のようなアメリカのプロパガンダでなく、
昭和天皇が敗戦後の日本人を励まし、もう一度立ち上がるよう激励するものだったのだ。
巷間に人間宣言なるものを見てみよう。
この年頭詔書は、天皇は自ら現人神であることを否定し人間であると言ったと言われているがそうなのか。
まず、このみことのりはアメリカ占領軍GHQによって英文で書かれ翻訳されたものだから、
アメリカの意向によってアメリカ占領軍のプロパガンダ作戦の一環として出されたと考えて良い。
日本のマスゴミなどはすでにアメリカの手足として動いていたから内容などお構いなく人間宣言としたのだ。
そしてそういう閉塞状況の中で、天皇陛下の希望として五箇条の御誓文をそこに入れることにしたのだ。
GHQは五箇条の御誓文の英訳を読んで、民主主義と何ら異なることが無いので、
逆に積極的に詔書に入れる事を許したという。
天皇の目的は日本人の誇りを蘇らせるのが目的だったが、それをあからさまに言えばアメリカに警戒され、
許可されないだろう。
アメリカに許されるぎりぎりの事でそれをしなければならなかった。
その為民主主義というアメリカも否定出来ない共通の価値観を使って国民を鼓舞しようとしたのだ。
アメリカGHQによる人間宣言のプロパガンダは天皇にとって二の次の問題なのだ。
つまり昭和天皇は戦後日本の原点として五箇条の御誓文をお示しになって、
それを指針としてこれから進んでいこう、と国民に訴えたのだ。
人間宣言というが昔から天皇は人間で神様ではない、ということは日本人の常識だ。
そもそも初代天皇である神武天皇は人皇初代(人としての初代天皇という意味)と言われ、
それ以前を神代と言って分けている。
日本人にとって、天皇が人であることは当たり前のことだ。
現人神(現御神)と言うのは人間だけど皇祖神の子孫として一体であるがゆえに霊性を持っている、
その霊性によって皇祖神を祀るという意味だ。
その霊力が日本を統一し日本国と日本国民の育成発展の本源になっているというものだ。
上記の「現御神」という言葉の説明は1935年に発表された「国体の本義」という文書にある。
人が神様だ、というのは日本人だって合理性に欠けるからアメリカに言われなくても否定する。
戦前の「国体の本義」の現人神に関する説明は、
天皇の持つ伝統という非合理に対する合理性ギリギリの説明だ。
だが、これは洋の東西を問わず似たような事例はたくさんある。
ヨーロッパの神権政治イスラム世界でも王が神の代理として擬似的な神性を帯びるなど様々な形で存在する。
アメリカ占領軍GHQは日本人の根幹が天皇の存在であることを知っているから、
天皇としてのレジテマシー(権力の正統性)を自ら否定するように仕向けたのだ。
これも敗戦による日本の正義の剥奪の一つなのだ。
でも、それは天皇の本質からするとナンセンスなことなのだ。
アメリカからすると天皇が神でその神が命令したから戦争したり特攻隊が出撃したように見える。
しかし、実際は日本人の信じる正義が侵されたから戦争に立ち上がったので、
天皇に命令されたのではなく天皇もその正義の下にいたのだ。
アメリカという国はヨーロッパの王権神授説を否定するフランス革命啓蒙思想を取り入れてできた国だ。
だから日本の天皇を遅れた野蛮なものとしてまず否定しようとしたのだ。
それを戦前からの日本の外国崇拝隠れマルキストが西欧啓蒙主義を信仰していたから飛びついた。
日本の戦前からの朝日新聞などの新聞記者や学者などが喜んだのはそのためだ。
今だにこの詔は人元宣言としてしか話題に上らないが、実際は昭和天皇が言いたかったのは
それでなかったのだ。
では、昭和天皇が言いたかったのは何か、
それは今後は「五箇条の御誓文」がこれからの日本人の指針だ、これで進もう、と言いたかったのだ。
この昭和二十年末にはすでに憲法改正の話がアメリカ占領軍から出ていたから、
その意味でも帝国憲法に代わるものとしての意味も天皇は示したかったのだろう。
それでは五箇条の御誓文の内容はどんなものだろうか。
まず、ここで注目しておくべきは「御誓文」という言葉だ。
これは明治天皇が皇祖神である祖先の神様に対して誓ったというものだ。
人だからこそ神に誓ったのだ。
天皇が神様なら別に神様に誓う必要なんか無いのであって、従って天皇は最初から神では無い。
つまり、アメリカ占領軍の命令する人間宣言プロパガンダは詔書の中で遠回りに否定しているのだ。
だから現人神などということは最初から意味がないことなのだ。
さて、五箇条の御誓文は明治天皇明治維新に際して、
これから日本を治めるに当たって方針を神に誓ったのだが、なぜそういう方法をとったのか。
天皇が主権者であり、独裁者ならそんなことをしないで自分の思う通りどんどんやればいいだけの話だ。
それをしないのは自分が人間で間違える存在だということを知っていてそれを前提にしているからだ。
毛沢東スターリンポル・ポト、などの共産主義者と比べてみればよく分かる。
彼らは人間の理性が万能と思っているから、自分の判断は無謬性を持っていると信じている。
だから神様など全くお呼びでない。
その結果が大虐殺に結びついてゆくことになる。
天皇が間違える存在であるというのは、この世の中には世の中に「正しい道理」というものがあり、
それを天皇も庶民も等しく守ろうとしていることが前提になっている。
天皇も庶民も道に外れることがあるかもしれない、だから神様に誓ってそういうことにならないよう気をつけよう、
と神に祈るのだ。
スターリンなどの共産主義者も西欧の王様もどちらも共通して人民と対立する存在だ。
パラレルに向き合ったイメージと考えれば分かりやすい。
日本の天皇はシリーズのイメージで左右に繋がっている、円の中心にいるのだ。
上下につながっていても意思の疎通は行われるから仲間としての上下関係だ。
そのシリーズの上に神があり、天の道(規範)がパラレルになっている形だ。
だから、社会に正義というものが支配者とは別にあって、
その正義を実現するために支配者が国民とともに神様のお力添えを祈ったのだ。
つまり神も人も別に存在する正義というものを天皇は指導者として具体化しようとしているわけだ。
その正義というのは道理とか義と言われるもので実際に分からない。
分からないものについては神様の領分だから神に祈るしかないのだ。
天皇と神の関係は以上の関係だが、現人神に関連して勿論一部の宗教者の中には天皇を神として崇める者も居る。
しかし、それはあくまで一部のもので日本人全体に定着した考えでない。
さて話を戻すと、 1番大切な事はこのとき昭和天皇が五箇条の御誓文を示すことによって
敗戦にうちひしがれる国民を励まされたということです。
われわれはそこに込められた陛下のメッセージをしっかり受け止めることによって
戦後日本の原点とは何か、戦後どのように生きていけばいいかという指針を読み取ることができるのではないか。
戦争からずっと後の昭和52年の天皇記者会見で昭和天皇はこの内容を次のように説明している。
「日本の誇りを日本の国民の忘れると非常に具合が悪い。
日本の国民は日本の誇りを忘れないようにああいう立派な明治大帝のお考えがあったということを、
知らし示すために五箇条の御誓文を発表することを私は希望したのです。」
大事なのは五箇条の御誓文は日本の誇りの基であると言うことである。
また天皇はその時同時に「民主主義というものは決して輸入されたものでない」とも言っている。
我々は民主主義と言っているものは実は明治以前の昔から我が国があって、
世界中で通用している民主主義というものよりはるかに洗練され上品で上等なものであるということが、
これを読めばよくわかる。
そういう民主主義を誇りに思ってそれをを原点として敗戦後の日本を立てなおしてゆこう、
ということを示されたわけだ。


ここで五箇条のひとつひとつを読んで検討してみよう。
第一条は「広く会議を起こし万機公論に決すべし」とある。
この背景には日本書紀推古天皇の巻に書かれている聖徳太子の十七條憲法がある。
この中で有名な「和を以て貴しとす、逆らうことなきを旨とせよ」とあるが、
これは議論しないで済ませようということではなく
理にかなった議論をするためにはどうしたらいいかを示したものである。
自分の感情をコントロールして相手の言うことも一理あるかもしれないと顧みながら議論をする。
こうして初めて公の利益にかなった議論が出来る、というのが和というものであり逆らうなという言葉の趣旨だ。
そうして議論して始めて公論と言うものになる。
いかにして正しく公論(口論でははいけないのだ)を行なおうとかと言う事は、
ギリシャソクラテスの時代から悩み続けてきた問題だ。
弁の立つ人々やディベートに勝った人間の言い分が通るだけでは文字通り口論になって公論にならない。
また近代デモクラシーの思想家の1人ルソーはこの公論がいかに難しいか、ほとんど不可能だと考えていた。
しかしその困難な公論を行わないと民主主義は成り立たない。
それを古代の昔からやってきたのが日本人だったわけで、そこに誇りを持ちこれからもやっていこう、というわけだ。
第2条は「上下心を一にしてさかんに経綸を行うべし」
経綸とは政治と経済のことで上に立つ人も下の人も心を1つにして自国のために政治経済をさかんに行おうという意味だ。
実は近代の西欧のデモクラシーは下にいる人間は上を倒す革命を大前提として成り立っている政治思想なのだ。
上下心を1つにしたら近代民主主義は成り立たない。
しかしどこの国でも絶えず上と下、あるいは右と左がつの付き合うという有様では
大事な事を国のために判断すると言うことができない。
まさに公論は成り立ちません。
そこで角付き合わせずに力を合わせて政治経済を発展させる必要がある、これが第二条の意味だ。
第三條は「官武一途庶民に至るまでこの志を遂げ人心をして倦まらざしめんことを要す」
社長であろうと労働者であろうと、どんな部署にいても各々が自分の仕事に誇りを持ち、
生きがいを感じて働くことが必要だ、という意味だ。
国民のための政治とはこの第三条を実現するような政治でないといけない。
国民一人一人の働きが全て国家の活力の源であるとき、初めて国民各人の幸せも実現される。
第四条目の「旧来の陋習を破り天地の公道に基づくべし」
天地の公道というのは教科書的には国際法のことだと説明されているがそうではない。
公道とは水戸学の藤田東湖が「天地始まってこの方あり続けてきた大道のことだ」と言っている。
これは西欧で言えば自然法のことで、
いわば日本式自然法で内外の政治を行っていこうという気概にあふれた言葉になっている。
前段の旧来の陋習とは会沢正志斎が「新論」で言っているように江戸時代の平和ボケはもう通用しない、という意味だ。
最後の「知識を世界に求め大いに皇基を振起すべし」は
我が国は誇るべき伝統を持ち理にかなった政治というものがあった、そのことを確認した上で世界から謙虚に学び
国家の基礎をふるい起こしていくのだといっているので、気宇の大きさを感じさせる。
つまり古代から江戸時代までの政治経済の営みにに誇りを持ち、その上で世界が進んだ文明を取り入れて進もう、
と言っているのだ。
現在の日本は明治維新や敗戦のときの危機に劣らない危機の時代を迎えている。
われわれは昭和天皇が示した原点をもう一度自信と誇りを持って見直す必要がある。

何よりも大事なのは五箇条の御誓文は日本の誇りの基であるということ、その日本の誇りを忘れないように、
ということを戦後最初の年の初めに昭和天皇がお示しになったこの事実を確認しておきたい。
五箇条の御誓文と言うのは江戸時代までの日本の歴史文化伝統を凝縮させたもので、
そこに日本人の拠り所を置き、敗戦から雄々しく立ち上がって行こうと昭和天皇は訴えているのだ。
それを誇りとするというのは、その日本の歴史伝統文化を自己確認し、自己肯定を行うことだ。
その上で、敗戦に屈すること無く日本の新しい未来に向けて進んでいこうと言うのだ。

 

 

 


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