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2016(平成28)年1 月 29 日(金)頂門の一針
天皇と「般若波羅蜜多心経」

(私のコメント)

般若心経は仏教の教えの結晶のようなものなので、いろいろな場面で使われる。
だから教養として知っておくといろいろ役に立つだろう。
今日紹介の文章は般若心経と数学の0、そして天皇を結び付けている。
前のメールで説明している般若心経と脳生理学との関係も同じで、つまりいろいろなものと結びつけて考えられる。


脳生理学では意識野と無意識野の関係を説くが、その間に0と言う場があるようだ。
心の中にいろいろな思考が湧いてくるが、それにとらわれることなくいったんゼロに戻ってみる。
0に戻ってまた新たに湧いてくる思考を観察するとよい。
だが、普段の生活は真剣勝負だからいちいち観察などしていられない。
そこで心を0にして外から来たものに反応していく。
もちろんその反応が間違っている場合もあるからそれを前提に動いていく。
そしてなるべく間違った反応を少なくするように修行していけばいいのではないか。
般若心経が昔から伝わっているのはやはり生活の知恵としての有用性があるからでしょう。
下記の文章でも「宗教=生活習慣の本」と書かれているが、宗教は実際に生きていく上でのノウハウが詰まっている。
人間は0までは実務的な目の前の具体的なこととして把握できるが、(-)マイナスつまり虚数は知ることのできない世界なのだ。
知ることのできない「空」の世界と隣り合わせになっていて、その世界がどうなっているか実はわからない。
神様がいるんだかいないんだか分からないのと同じだ。
だが人間の見える社会は確実に虚数の世界からコントロールされている。
いやコントロールされているように見える。
神様がいるようにも思えるが、本当のところはわからない。
般若心経はそのような世界を「空」として意識させようとしている。
そしてその「空」は、すなわち「色」、つまり我々が見える世界そのものだと言っている。
人間が脳の中で無意識野がどんなメカニズムで思考しているか人間にはわからない。
たからよくそれを観察して、0状態からなるべく上機嫌で肯定的な思考を出すように働きかけるしかない。

共産主義や自由リベラルなどの思想はほんの数百年のヨーロッパと言う地球上の1地方の雑音のようなものだ。
こういうものをありがたかって宗教を馬鹿にする左翼リベラルは基本のところで間違えているのだ。

(私のコメント終)
(見出し)
天皇と「般若波羅蜜多心経」大江 洋三

(引用開始)

       

理系の解析力は素晴らしい。

数学出身の小室直樹氏著「日本人のための宗教言論」に拠ると、
仏教経典 は釈迦入滅後、数百年にわたり積み重なった膨大なお教である。
ここら辺 りが旧約書系の宗教(キリスト教イスラム教ユダヤ教)とは異なる。

膨大だから、部分として抜き取ると浄土宗などキリスト教と重なる部分が ある。
ただし、宗教は個人救済を目的としているから重なるのは当たり前 である。

薬師寺の坊主殿から教わった話では、「般若波羅蜜多心経」は日本仏教の 共通テキストだそうだ。
266文字しかないから仏教を凝縮したテキストに 相当する。

ただし、ウイキペディアに拠ると浄土真宗、日蓮宗法華宗はこのテキス トを用いない。
それでも必携みたいな存在である。
坊主以外に保持している方が多いし、事実、筆者も持っている。
という訳 で「色即是空空即是色」に格闘した男子は多いと思われる。因みに、我が 家は浄土真宗である。
回りを正確に記すと「空空不異色色即空空即是色」
空(から)念仏は止めて、小室氏の空の解釈の「まとめ」を紹介すると下 記の通りである。
ただし、仏教の碩学・故中村元博士の引用からなる。

「空は有でもなければ無でもない。それと同時に、有でもあり無でもあ る。
有と無とを超えて、これらを統合している。「有」と「無」とは「結 ぶ」ことによって、たちまち自由に変換されるものである」
ここまで来ると、数学のゼロ(0)を思い起こす人も多いだろう。
事実、ゼロも空と同様インドで発見された概念である。
数学者の藤原正彦氏によると、数直線を用いて「概念ゼロの可視化」をし たのはドイツの紀元後の大数学者ガウスである。

数直線によると、ゼロはマイナス数とプラス数を結ぶ場であり、どちらに も属さない。

同じくガウスによれば、ゼロは実数と虚数を繋ぐ場であり、どちらにも属 さない。

虚数iの平方はー1)

そうすると、ゼロは「ど真ん中」のことになる。
暇人と思われるだろうが、般若心経から空の文字を数えてみた。
すると、たったの6文字しかない。圧倒的に多いのが「無」で21字もあ る。因みに「有」は2文字しかない。

羯諦(ギャテイ)が最後の行に4ケ所も出てくる。辞書に拠ると「羯」の 旁(つくり)部は「厳しく求める」「止めを刺す」になる。

一喝の意味もあるから、羯諦は「有」を諦めるのは当たり前、「無」まで 徹底的に諦めよとなる。
そうすると、空は「悟り」或いは「涅槃」のこと で、ど真ん中を指すと思考する。

かなり前、林秀臣氏の講義を得て、ストンと府に落ちた事柄ある。
天皇陛下のご存在は具体的存在。天皇は概念であって常に在り続ける存在」

現行憲法でも、天皇は国民統合の象徴である。つまり天皇という概念の存 在をもって各種の人が日本国民として繋がる。

そうすると、天皇は現実世界の空なる存在ということになる。

おそらく、未来では随神(かむながら)神道は仏教やキリスト教と同じく イスラム教も成り立たせるだろう。

小室氏は、マックス・ヴェーバーの説を借りて、大きく言えば「宗教=生 活習慣の素」と述べている。

宗教は、年月をかけて地域風土に土着すものである。土着の素は何か?再 考を要するところである。

日本共産党は頭の良い集団にも拘わらず「ゼロ」を理解していないようで ある。

 

 


(引用終了)