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1604-14-925-4/15メルマガブログ転送価値限定選択肢少く自由制限

面白い優良メルマガブログ紹介

(私のコメント)

下記のブログは株式売買を主にしたブログだ。
株式売買はここに
書いてある通りやり方や銘柄など多種多様で組み合わせはほとんど無限に近いだろう。
だからあっちこっち色々やるのでなくなるべく絞った自分の得意技を作らないといけない。
この人は長期投資と優待株(配当や株主優待)を中心にしている。
これは株式投資の王道でもあり、私もやっているやり方だ。
ただし、ここで株の話はわきにおいて、人生全般に言える事は「自由」が必ずしも幸福につながらない、ということを言いたい。

ここに出てくる「QOL」と言うのはクオリティーオブライフの頭文字で生活の質を高めようと言う意味だ。
主に福祉や介護の方面で使われている言葉らしい。

QOLを高めるには何でもありの自由よりも目標やその手段を限定した不自由の方がよい、ということだ。
ブログ主は質を高めるための目標値は低く見積もっておく方が良い、と言っている。
「我足るを知る」「少欲知足」という仏教の言葉があるが、それは現状満足という意味でなく次の目標の意欲を高めるために必要だ、というのだ。
次のステップのためには成功体験がモチベーションになる。
保守的生活というのは漸進的に行動し、変える部分をなるべく少なく止め、トライアルエラーで進むのだが、期待値を小さくすることはそれにもかなっている。
(なお、保守主義というのは漸進主義的、物事を懐疑的に考える、共同体重視の思想をいう。
その他にも理想より現実重視、伝統文化尊重など他にも特徴はあるがここでは深入りしない。
また、少欲知足というのは仏教の言葉だが、仏教というのは人間が持つ欲をいかに抑えるか、ということを問題にする。
だが、生命そのものが欲だから欲をなくすことはすなわち死ぬことだ。この矛盾にいかに折り合いをつけるか、それが仏教思想ともいえるかもね。)

自由な選択肢を持つのは、広く浅く見て回るときには必要で、時と場合によるのだが、何か事を成そうとする時は目移りがしてよくない。
先日小泉新次郎自民党若手グループ長が将来あるべき日本社会の提言をして、「レールを壊せ」という標語を次世代の目標とすべきという。
具体的には今まで日本人は「20年間勉強、40年間働く、後20年は養老」というレールの上を皆生きてきた。
年金などの社会制度もこのレールの上に構築されている。
しかし、これから世の中はこのレールを壊して、もっと自由にすべきだ、と言っている。
この考えは現代のレール的な制約をはじめから悪と決めつける先入観があって、自由でありさえすれば素晴らしい、という観念的な思考からきている。
リベラルサヨクの典型的な思考パターンだ。
彼らの言う、自由なレール外しというのは口でいうのは簡単だが、別のレールを構築するまでは前人未踏で物凄く大変だ。
また、例えばスポーツや芸術の才能があって、子供の時からこういうレールに当てはまらない人はいる。
だが、大部分の普通の人がレールを外して、さあやれ、と言われてもとても大変でレールを自力で構築するなんてできない。
人は先人が苦労して作った人生のノウハウを使わしてもらって初めて何とかできるのだ。
言い方を変えれば、そういうレールは普通の人を保護する役割もあるのだ。
つまりレールのように自由を限定するのは自由に伴うリスクを軽減させる役割もある。
リベラルサヨクの自由に対する賛美理想論はそのリスクをすっ飛ばしてしまい、現実から遊離するから、耳には甘く美しいがリスクには弱い。

落語に出てくるが昔の人は先人たちに教わって、お見合いで結婚し、親の職業を次いで子供を育て、孫ができて隠居、というような人生パターンを生きた。
現代では人は自由に生きることを奨励されているので、こういう生き方は自由な選択肢がない、ということで否定、非難されている。
確かに何らかの能力を持って生まれてきた人にはこういう枠組みがあるのは邪魔だろう。
女性の大学教授や女優など社会に影響力のある人がマスコミを使ってそういう生き方を非難し、自分たちの自由奔放な生き方を我田引水的に擁護する。
そこで、皆勉強ヒエラルキーがあるから、そういう人生こそ正しく素晴らしい、とだまされる。それは一概には言えないのだ。
みんな自由な選択肢の高い人生を良いものと思うリベラル思想を信じているが、それは才能のあるごく少数の人だけの幸せで一般人はまた違うのだ。
リベラルはエリートや知識人文化人などが信奉し推進するが、それは彼らに都合がいいからで、一般人は違う。
勉強秀才達すなわち試験で勝ち上がった人たちは現代社会では人間の模範として皆一目置くから彼らが間違っても通ってしまう。
特に新聞テレビなどのオピニオンリーダーは疑ったほうがいい。

大部分の普通の人は上記のような限定されて絞った人生コースの方がノウハウがたまっているだけリスクも少ないし幸せなのだ。
選択肢のない限定された、ある意味つまらない人生パターンの方が人生の質は高まり実りも大きい。
頭のよいエリート知識人の言うことを聞くより先人経験者の言うことや、遠いご先祖様からの言い伝えを聞いた方がいい。
リベラルサヨクが、これを古い遅れた思想、因習、封建的、などと攻撃するのは裏を返せば、自分たちの言うことを聞け、奴隷になれ、ということだ。

 


(私のコメント終)
(見出し)
ろくすけの長期投資の旅
投資を学び、資産と自分自身の成長を
追及していきます
http://blog.goo.ne.jp/6_suke
あえて選択肢を狭める。
(引用開始)
あえて選択肢を狭める。

このところ公私とも忙しく、好きなブログ更新もままならない状況が続いています。

投資に関してもほとんど見ることができていませんが、最近はスイングトレード的なものは止めており、
「安定成長株の長期投資」と「優待株投資を少々」といった感じに留めておりますので、特に問題はありません。

相場からの儲け方は多種多様、銘柄・手法を含めて選択肢は無限と言っていいほどあります。

そんな中でQOLを高めるために私が意識しているのは(投資だけでなく人生全般においてもそうかもしれません)、

 「期待値を低く見積もる」

 「あえて選択肢を狭める」

です。

期待値を高く置くと、必然的にいろいろな方法を駆使しなければなりませんし、時間がいくらあっても足りません。

「あのバイオ株は取れたはず」「売りヘッジをかけておけば良かった」「あそこで信用でもっと買っておけば」などと機会損失も感じやすくなり、うまくいった時の満足度から差し引かれてしまいます。

一方、ほどほどの利益で良いのであれば、シンプルな方法で事足り、チェックすべきポイント・銘柄数も少なくて済みます。
何よりストレスから解放され、ちょっとしたことでも満足を得られます。

選択肢が多いということは、自由なようでいて、必ずしも幸せとは結びつかないのではと感じます。
限られた人生の中、多くを追い求めすぎないために、選択肢を狭めることを考えてみてはいかがでしょうか。

 

 


(引用終了)