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猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』
(私のコメント)
高橋是清226事件(昭和11年1936年)で殺されたが、生きていたら日本もだいぶ変わっていただろう。
彼はデフレ不況を積極財政で立て直したのだが、逆に景気過熱の兆候が出たので、陸海軍予算を削減しようとして軍部の恨みを買った。
226事件は陸軍内の派閥争いの要素もあるのだが、とんだとばっちりだった。
話が飛ぶが、226事件の発生当初は決起将校に同情する陸軍首脳部などが圧倒的で混乱したのだが、昭和天皇が断固としてそれを許さなかった。
この点は昭和天皇は正しく、非常に偉かった。
昭和天皇が怒った原因は高橋是清など優秀な人を殺されたからだろう。

ところで、今の財務省財政均衡主義、財政再建などという全くの嘘の観念的正義を振りかざして日本を滅亡に追い込んでいる。
この点では当時の陸軍の反乱将校とそれを擁護した陸軍上層部と観念的という点でよく似ている。
高橋是清もそうだが、現実との悪戦苦闘が世の中を動かしているので、理想的な正義は無くてもいけないしあってもいけないさじ加減の難しいものだ。
政治というのはそういう調整作業だから現在の現実無視の消費税増税などは反乱将校がもくろんだ独裁政治的手法と似たものだ。
当時の反乱将校の思想の背景には否定肯定ないまぜて国際的な共産主義などの影響があるから国内だけの現象としてとらえてはいけない。
今の財務省安倍総理はアメリカで間違いと失敗が明らかになった新自由主義を周回遅れでやろうとしている。
昔は共産主義、今は新自由主義いずれも失敗した経済思想を信奉している。
まあ、違う面もあるからあまり同じだと強調できないが、少なくとも今の日本の経済を立て直すには高橋是清積極財政が有効だ。
今の財務省高橋是清を評価していないが、逆にそれが正しい証拠だ。
朝日新聞の言うことの逆が正しい、とか財務省の言うことの逆が正しい、なんて言われたらその組織はお終いなのだがね。
人間何事も信用が肝心だ。

このままだと大東亜戦争のような災難が日本の草莽民衆に襲い掛かることになるかもしれない。
日本の政府が日本国民に襲い掛かる時代に備えなければならない。

舛添知事についてはこうなることが分かっていたから田母神候補を応援してビラ配りなどやったのだ。
陽明学ではないが、人間行動がすべてだからね。

 

(私のコメント終)
(見出し)
高橋是清とパリの超一流ホテル


(引用開始)

舛添知事が香港の記者に「香港のトップが二流のビジネスホテルに泊まりますか。恥ずかしいでしょ。」と反論したのは間違っていない。しかし、これでは既定の二倍以上の経費を使って一流ホテルのスイートをとった理由も目的も説明できていない。つまり、話をすり替えている。

別荘に公用車で通っていた件の「公用車は動く知事室」、「いい仕事をするためにリフレッシュが必要」との主張もかっこいい。ところがさらに突っ込まれと「私は病人だから」となどと言い訳をするから、かえってみっともないことになっている。

先日の『高橋是清とロンドンのお宿』で書いたように、日露戦争の戦費調達のために外債を発行するべくロンドンに乗り込んだ是清が宿泊したのはド・ケーゼル・ロイヤル・ホテルという宿だった。名前はロイヤルがついて立派だが、二流のビジネスホテルどころか三流四流の安宿だった。

高橋是清自伝』にはこのように実に細かいことまで書かれているのだが、その秘密は彼が懐中日記、今でいえばメモ帳に詳細な記録を残していたからだ。だから、外債発行のいきさつの部分でも実に詳細に述べられている。

英米の銀行団との交渉、ブローカーの策動への対応、新聞記者への働きかけ、日本政府とのやりとりなどの事実関係を中心に淡々と書かれているだけなのに、読んでいると一流の事業家の仕事ぶりをまじかに見ているような気になってくる。

二度の外債募集に成功して1年ぶりに帰国した是清は功労者として貴族院議員に勅選され、今度は特派財務委員という立派な肩書も得て再び外債募集のためにロンドンに向かう。今度はそれなりのホテルに泊まったが、仕事もそれに見合うかのように厳しさを増す。

戦況は奉天会戦の勝利、日本海海戦の大勝利、そして日露講和談判の成立へといい方向に進むのだが、そのたびに日本政府からは次々と追加の公債募集を訓令してくる。その間、英国皇帝陛下に拝謁したり、英国皇后陛下へ献上する狆の手配するなど、公債募集と直接関係ない仕事も増える。

公債募集も度重なれば英米だけで調達するのは難しい。第4回ではドイツを加え、第5回ではフランスでも募集することになるが、この時代にこの両国で同時に公債を募集するのは至難のことだった。しかも、敗戦国ロシアも公債募集を画策していたから話はややこしい。

ロシアとの新聞社を使った「世論の操縦」競争などもあったが、最後の5回目の公債募集でそれは実現する。それは公債募集という言葉からは想像できない、高度な専門知識のほかに政治力も外交力も人間的な魅力も求められる大仕事だったのである。

フランスでの募集がほぼ固まった段階で是清は首相官邸にフランス首相ルビエ氏を訪ねるが、是清はフランス語がダメでルビエ氏は英語が苦手なため通訳を介した会談となる。ところが、二人はなぜか意気投合し、その後ルビエ氏はたびたび是清の宿を訪れて午餐を共にするようになる。

是清は懇意になるにしたがって普通の話は英語でするようになったと述べているが、これは通訳を介する重要な話もしたということだろう。そして、このときフランスの首相閣下が訪ねてきた宿は三流四流のビジネスホテルではなく、有名なリッツ・ホテルだった。

詳細な記録を残している是清も部屋のグレードや部屋代には触れていないが、何人かが午餐を共にできるスイートだったのだろう。もちろん、日本政府の代表として一国の首相を午餐に招くのであれば、それが当然である。ここで日仏の外交が繰り広げられていたのである。

舛添氏が残念なのは、「トップが二流のビジネスホテルに泊まるわけにいかない」「公用車は動く知事室」を正論だと思わせるだけの実績も期待感もないことだ。批判をぶっ飛ばすくらいの成果を挙げていればともかく、要人が誰も訪ねてこないスイートルームは無駄でしかない。

それはともかく、この自伝は彼がこの外債募集に奮闘し、第五回の外債募集に成功して帰朝するまでで終わっているのは残念だ。一番興味を惹かれる昭和恐慌への対応や日本を世界で一番早くデフレから脱却させた高橋財政を彼自身がこのように詳細に語っていればなあと思う。

とはいえ、是清自身が語る波乱万丈の前半生の物語は実に興味深い。現役のビジネスマンの仕事の進め方の参考になりそうなエピソードも多く、連休中の読み物としてもお勧めだ。

 

(引用終了)