1610-21-1072-10/28メルマガブログ転送日露平和条約は反日の元

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世界のニュース トトメス5世

(見出し)
2016年10月27日11:00
日露平和条約でロシアが「反日国」に変わる 中韓は平和条約で反日

(私のコメント)
このブログは誰が書いているかよくわからないが、面白い。
知りたい情報をイデオロギーや偏向なしで書いている。
経済的な視点が中心でカテゴリー欄を見ると、ビジネス的な項目が並んでいる。
日本歴史とか日本文化などの項目がないから、金融商事などの実務的な仕事上の見方でニュースを分析しているのだろう。
三笠宮薨去とか生前退位などは全く触れていない。
実務的なビジネス視点というのは、つまり金銭的な価値観があるということで、これが今日の記事にも表れている。
このように金銭は人を正確に見通せる目安にもなる。
親しい間柄の親子兄弟友人だって金銭では別の面を見せるから油断できない。
儒教、特に朱子学では金銭をさげすむが、それは間違いだ。
金銭は道具の一つで良くも悪くもない存在で全ては使う人間次第だ。
ただ、イデオロギーや理想から物事を仕切ろうとするいわゆるサヨク的な考え方はここが弱い。
勉強エリートはイデオロギーや理想ばかり勉強するからこういう点では、実際面で使い物にならない。
この記事の中国韓国だって理想から言えば、平和条約を結べば仲良しになれるはず、というのが友好の理想や平和イデオロギーから見れば正しかった。
東大エリートが外務省などの役人になって理想から考えると、現実から遊離して結果は悲惨なことになり、庶民が苦しむ。
彼らエリート役人は平和条約結べば仲良しこよしの理想郷が出現するとナイーブに思っている。
それと違って、ビジネスでは間違えると、すぐ金銭的に問題が生じるからイデオロギーや理想でやっていられない。
だから、このブログのような現実を見据えた実務的実際的実証的な情勢分析が出来る。


(私のコメント終)

 

(引用開始)
2016年10月27日11:00
日露平和条約でロシアが「反日国」に変わる 中韓は平和条約で反日


平和条約を結んだら反日国になった中韓

日本とロシア両国は12月15日からのプーチン大統領来日で、北方領土交渉や経済協力の合意を発表するのではないかと予想されています。

あるいは北方領土4島返還がされた場合には、日露平和条約締結まで至るという期待ももたれています。

仮に北方領土などの問題が解決したとして、日露平和条約が締結されたら両国は本当に友好関係を築けるのか、甚だしく疑問が生じます。


過去の戦争で紛糾した韓国、中国と日本は平和条約を締結して問題を解決したが、その後むしろ問題が拡大し関係が悪化しました。

中国、韓国ともに平和条約締結までは、過去の戦争を問題にしなかったのに、平和条約締結後は次々に日本に難題を吹っかけました。

これを中国や韓国の側から立場を変えて考えると分かりやすく、平和条約を締結して経済援助や友好関係を築くのは彼らの国益でした。


1960年代や70年代の中韓は経済的に困窮しており、日本とは比べるべくも無い貧困国家で、国民は食べるものが無く飢え、政府に不満を募らせていました。

ここで日本と中韓は平和条約を締結し経済援助をし、貰うものはもう貰ったので、我慢する必要がなくなった。

むしろ新たな経済援助を勝ち取るには日本に無理難題を吹っかけて、戦争犯罪をでっち上げて金を強請るようになっていきました。


ロシアも現在、欧米から経済制裁を受けて経済的に困窮していて、昔の中韓に似た状況に立たされています。

ロシアとしては日本と平和条約を交わして経済援助を勝ち取るまでは「親日国」の振りをしようと考えている筈です。

だが平和条約を締結して目的を達成したら、かつての中韓と同じく「従軍慰安婦」や「侵略」などで日本を叩き始めるでしょう。

 

平和条約は憎しみを増幅させた

なぜならそうする方が儲かるからで、それがロシアの国益に適っているからです。

日本と韓国は1965年に日韓基本条約を締結したが、これ以前の韓国では反日運動などあまり存在していませんでした。

だからこそ朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は「過去の全ての請求権を放棄する」と署名するかわりに、日本から経済援助を受ける条約を交わした。


ところが韓国の世論は日本と平和条約を結んで、貰うものを全部貰ってしまうと、「もっとよこせ、まだ足りない」と言って反日運動が巻き起こりました。

つまり反日運動の原因は日韓基本条約で日本がお金を与えたからであり、お金を与えれば与えるほど韓国人は日本人を憎悪するようになりました。

例えは悪いが野生の猿に食べ物を与えてしまうと、猿達は次から人間を襲って食べ物を奪うようになります。


治安の悪い国で貧しい人に食べ物やお金を少しずつ配ったりしたら、高い確率でその人は強盗に襲われるでしょうが、そういう事でした。

日中平和友好条約が締結されたのは1972年で、田中角栄首相が「よっしゃ」と言いながら北京を訪問し、パンダを貰ってお金を渡してきました。

やはりこれ以前には中国に反日活動なんてものはなく、中国人は食べ物がなくて木の根っこまで食べていたのでそれどころではなかった。


中国でもやはり日本と平和条約を締結し、貰える物はすべて貰ってしまうと、「もっとよこせ」と反日運動で日本叩きを始めました。

中国人が日本の侵略だの南京事件などを騒ぎ始めたのは日中平和条約締結してかなり後になってからで、毛沢東などは反日運動を禁止していました。

なぜかというと当時中国の最大の敵は中華民国ソ連、アメリカだったので、なるべく日本を懐柔したいと考えていたようです。


日露交渉や日露平和条約で過去の問題が解決するかというと、平和条約締結によって、より一層日露は憎みあうようになるでしょう。

時計の針を戻せるなら、日韓基本条約や日中平和友好条約も、締結しないほうが両国のために良かったかも知れません。


(引用終了)