1709-4-1332-9/5メルマガブログ転送上下サヨクとウチソト右翼

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http://mojix.org/2010/10/15/matsuo-uyosayo
ジログ旧「Zopeジャンキー日記」


(見出し)
2010.10.15
世界を上下に分けて下に味方するのが左翼、世界をウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼


(私のコメント)
この記事は右翼や左翼のものの考え方を理解する上で非常に分かりやすい。
このように図で示されると、理解が深まり、いろいろな社会現象を分析するのに役立つ。
特にテレビなどに出てくる論者などはこのタテヨコの図を当てはめると考え方の立ち位置が簡単に分かって面白い。
簡単に要約すると、「サヨクは横線の上下図で自分を下に置いた考え方、ウヨクは縦線のウチソト図で自分をウチに置いた考え方(それぞれ反対側は敵)」ということだ。
これを押さえておくと、人と議論するときとか、意見を読んだときに相手が基準をどこに置いているかが分かって理解しやすい。
なお、サヨクウヨクは便宜的に分かりやすく傾向を示したものだから、異なる者も含むし、「内ゲバ」みたいに混ざり合ったのもある。
これは一つの「モデル」概念だから、現実は単純でないこともわきまえたうえでのの話だ。
経済学などは殆ど「モデル」を研究している学問で、「モデル」内では高等数学などを駆使して正しいが、残念ながら「モデル」と現実は違う。
だから、経済学者は頭はいいが現実からするとバカの集まり、ということになる。
また、脱線したが、言いたいことは「モデル」は現実を切り取って、単純化して分かりやすくしたものだから、現実はもう少し複雑だ、ということだ。
しかし、ここから色々なことが分かってくる。
私が一番納得したのは韓国人が日本の共産主義主義者となぜ共鳴し合って共闘したか、という疑問だ。
説明すると、ソビエトロシアが崩壊して共産主義が誰の目にもダメだと分かったとき、日本のサヨクの思想の代表である岩波書店編集長(名前忘れた)は韓国に飛んだのだ。
それまで、共産主義左翼は韓国を攻撃し、北朝鮮を礼賛していたが、手の裏を返すように韓国へ行って日本革命のために共闘を呼び掛けた。
昨日の敵は今日の友というわけだが、今まで攻撃していたのだからそんなにおいそれと仲良くなれるわけがないのにすぐ仲良くなった。
理由は「日本を叩くため」という共通目標があったこともあるだろうが、この記事を読んで分かった。
つまり、両者とも世の中を横に線を引いて上下に割って、自分を下に置く、という考え方で一致していたのだ。
これについては「よもぎネコ」さんのブログで証明できるので、後日それもアップしよう。
韓国人は別に共産主義を理解したわけでなく、李朝朝鮮から伝統の横線的な上下の考え方が身についていてそれが共鳴したのだ。
また、別の考え方として、サヨクは下に正義、ウヨクはウチに正義を置くという見方もできる。
そうすると、反対側は不正義、邪悪、敵、ということになる。
先日、テレビのコメンテーターを下ろされた人が、「私は安部を批判したのでおろされた」と言って話題になった。
この人はテレビで安倍さんを批判するのだが、内容が根拠もなく妄想的なので外されたのだが、そういう反省はない。
上記のモデルから見ると、この人は上下に物を見る人で、下に自分を置き、かつ下に正義を置いた考え方なのだろう。
だから、叩くこと自体が絶対的正義なんで、その内容はどうでもよいことになる。
叩く内容が正しいかどうかを問題にするのはタテに線を引いて考える立場の人だ。
彼らはウチが正義だから、ウチ内で上を批判すること自体は良いが内容は正しくないといけない。
こういう風に色々なことを、このモデルを使うと分かりやすくなる。
長くなるので、ここまでにするが、しばらくはこのモデルを話題にしてみたい。

所で、この左右の思想を図で示すのは、昔から知られている事のようで、この原型はノーランチャートというものだそうだ。
ノーランという人はアメリカのリバタリアン(自由自律を最優先する思想でリベラリズムと相反する)で、いわゆる新自由主義の人だ。
ついでに次回以降ノーランチャートも勉強しておこう。

 

(私のコメント終)


(引用開始)

(見出し)
2010.10.15
世界を上下に分けて下に味方するのが左翼、世界をウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼

昨日のエントリ「右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である」に対するはてなブックマークのコメントで、経済学者の松尾匡(ただす)氏による「右翼と左翼」の用語解説にリンクがあった(bando_alphaさんによる)。

松尾匡のページ - 用語解説:右翼と左翼
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html

<世界を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分けて、その間に本質的な対抗関係を見て、「ウチ」に味方するのが右翼である。
 それに対して、世界を横に切って「上」と「下」に分けて、その間に本質的な対抗関係を見て、「下」に味方するのが左翼である(図1)>。

(図表あり;左翼は横線の上と下、右翼は縦線の左右でものを考える。左翼は社会を階級的な横線で理解し、自分を横線の下に置く。
右翼は縦線を引いてウチとソトに分け、自分をウチにおく。)
<ところがややこしくなるのは、まずもって、右翼も左翼も自分の切り分け方を当然の土俵のように思い込んで、相手との対抗軸を組み立てていることにある。お互い敵である相手が、自分と同じ切り分け方を共有して、自分と逆側に立つ者と考えるのである(図2)>。

(図表あり;左翼は横線の上と下の図で自分を下に置き右翼(敵)を上に置く。右翼は縦線の左右の図でウチに自分を置きサヨク(敵)をソトにおく)


<すなわち、左翼の考える敵=右翼は、世界を横に切って「上」と「下」に分けて、「上」に味方する者とみなされている。
 それに対して、右翼の考える敵=左翼は、世界を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分けて、「ソト」に味方する者とみなされている>。

これは実に本質的かつシンプルな説明で、見事な解説だと思う。

この松尾氏による図式では、左翼と右翼が「世界(の人々)をどのように分けるか」が主題になっている。左翼は「上下」に分けて「下」に味方し、右翼は「左右」に分けて「右」に味方している(「ウチ」を右側に、「ソト」を左側に描いた場合)。左翼と右翼では、線引きする方向が違っており、基準になる軸そのものが直交しているわけだ。

 

(後略)

 

(引用終了)


(要約引用開始)


http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-6697.html
右翼と左翼の簡単な違いの説明 世界を上下に分けるか、内外に分けるか? : 知識連鎖  (旧・千日ブログ)

右翼と左翼の簡単な違いの説明 世界を上下に分けるか、内外に分けるか?
2015-04-05 政治・政策
 右翼と左翼というか、右派と左派でも良いような気がしますが、元は右翼と左翼としていました。

 

(前略)

非常におもしろいと思った右翼と左翼の違いの説明が、世界を上下に分けて下に味方するのが左翼、世界をウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼 - モジログ(2010.10.15)です。

 ただ、モジログさんのオリジナルではなく、元は経済学者の松尾匡(ただす)さんによる「右翼と左翼」の用語解説だとのこと。
用語解説:右翼と左翼 松尾匡のページ

 世界を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分けて、その間に本質的な対抗関係を見て、「ウチ」に味方するのが右翼である。
 それに対して、世界を横に切って「上」と「下」に分けて、その間に本質的な対抗関係を見て、「下」に味方するのが左翼である。

 元は図になっていますが、テキスト化すると以下のような感じです。(ズレまくるような気がしますが)


  上

―――――

  下
 (左翼)


  |
  |
ソト|ウチ(右翼)
  |
  |


●右翼と左翼は、世界を違う分け方で見ている

 重要なのは、右翼と左翼がお互いに世界を違う分け方で見ているということです。同じ世界を見ているわけではないんですね。

 ところが、とてもややこしいことに、"右翼も左翼も自分の切り分け方を当然の土俵のように思い込んで、相手との対抗軸を組み立てている"のです。"お互い敵である相手が、自分と同じ切り分け方を共有して、自分と逆側に立つ者と考える"わけです。

 前述の図に敵の位置を書き込むと以下のようになります。


  上
(仮想右翼)
―――――

  下
 (左翼)


   |
   |
 ソト|ウチ(右翼)
(仮想 |
左翼) |

 お互いに全然違うところを見ているのに、相手がそこにいると勘違いするので、的外れな批判をしてしまうようです。


リバタリアニズムを説明するノーラン・チャート

 さて、ここからモジログさんの話になりますが、リバタリアニズムの政治思想的ポジションを説明するのにしばしば使われるという「ノーラン・チャート(Nolan Chart)」を多少書き加えた図を出していました。

 これまたズレまくると思いますけど、テキスト化してみます。


左   精神的自由    自
     ↑
社会主義← →経済的自由
     ↓
全    国家主義    右

左…リベラリズム 左翼
自…リバタリアニズム 自由主義
全…全体主義 ナチス
右…愛国保守主義 右翼
このノーラン・チャートでは左翼が左上にあるが、左方向の「社会主義」が主要成分である。右翼が右下にあるが、下方向の「国家主義」が主要成分である。左翼を「左」に、右翼を「下」にあると見なせば、これはちょうど、松尾氏による図を時計回りに90度回転したものになっているのだ。

松尾氏の図が、左翼と右翼が「世界(の人々)をどのように分けるか」が主題になっているのに対して、ノーラン・チャートでは、「経済的自由と精神的自由に対して、政府が介入してくる度合い」が主題になっている。

●左翼と右翼は1次元的な対立関係にはない
どちらの図においても、左翼と右翼は1次元的な対立関係にはなく、「上下」と「ウチソト」、「経済的自由」と「精神的自由」という2つの軸を持つ、2次元座標の上に配置されている。この2次元的な把握ができれば、左翼と右翼を1次元的に反対のものと見るよりも、政治に対するさまざまな考え方・立場の位置づけが格段にやりやすくなるし、自分の考え方はどこに位置するのかというポジションの把握もやりやすくなると思う。
(後略)
 


(要約引用終了)

(要約引用開始)

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html
松尾匡のページ
用語解説:右翼と左翼

(前略)

【世界の切り分け方が違う】
 右翼と左翼の違いの最大のポイントは、世界を切り分ける見方の違いである。稲葉振一郎さんの新著で紹介されている田島正樹氏も似たようなことを言っているようだが、もっと大胆にすっきり図式化するとこうなるだろう。
 世界を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分けて、その間に本質的な対抗関係を見て、「ウチ」に味方するのが右翼である。
 それに対して、世界を横に切って「上」と「下」に分けて、その間に本質的な対抗関係を見て、「下」に味方するのが左翼である。(図1)
私見では、これが本来の右翼と左翼の定義であり、これ以外の定義はあり得ない。
【敵が自分と同じ分け方だと思う】
 ところがややこしくなるのは、まずもって、右翼も左翼も自分の切り分け方を当然の土俵のように思い込んで、相手との対抗軸を組み立てていることにある。お互い敵である相手が、自分と同じ切り分け方を共有して、自分と逆側に立つ者と考えるのである。(図2)
 すなわち、左翼の考える敵=右翼は、世界を横に切って「上」と「下」に分けて、「上」に味方する者とみなされている。
 それに対して、右翼の考える敵=左翼は、世界を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分けて、「ソト」に味方する者とみなされている。

他人を攻撃するときの「右」「左」というレッテルが、多くの場合、外から見て非常に違和感のあるレッテルになるのは、これが原因である場合が多いと思う。
【「上」に味方するのは「逆左翼」】
 しかし事態をもっとややこしくしているのは、このみなし方がただの誤解やレッテル貼りではなく、本当にそういう立場に立つ者が少なからずいることである。
 世界を横に切って「上」と「下」に分けて、「上」に味方する立場の者は、たしかにいる。端的にはホリエモン達のイメージである。
 しかし本来はこれを「右翼」と呼ぶのは間違いである。本当の右翼ならば、「ウチ」の内部では、共同体としての団結と助け合いを求める。したがって、その団結を乱す競争は制約しようとするし、共同体が「上」と「下」に分裂していくことを肯定したりはしない。
 だから彼ら「上」に味方する立場の者は「右」なのではなく、切り分け方を左翼と共有する、いわば「逆左翼」と呼ぶべきである。
【「ソト」に味方するのは「逆右翼」】
 また、世界を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分けて、「ソト」に味方する立場の者も、たしかにいる。端的には、平壌政権擁護派をイメージすればよい。
 これも本来は「左翼」と呼ぶのは間違いである。切り分け方を右翼と共有する「逆右翼」である。本当の左翼ならば、どの国であれ、虐げられた民衆に連帯して、それを支配する「上」の者とたたかう立場に立つはずだからである。
【「逆左翼」を自覚しない右派が問題】
 しかし「逆左翼」も、それを自覚して徹底すれば、まだましである。同じ1ドルを持ってくるお客様は何人(じん)でも同じお客様として扱う。こきつかえるなら何人(じん)でも同じように雇う。どの国の人からでも出資を歓迎し、どんな肌の人が取締役に入ってきてもいっしょにやれる。世界中の誰とでも分け隔てなく取引する。これができるならば、それは一つの徳、「商人道」である。
 真の右翼の方も、徹底すれば、それはそれでまた別の一つの徳である(私はとらないが)。身内である同胞のために互いに深い責任を感じて最後まで尽くしあう。時には同胞のために命も捧げる。これは「武士道」につながる。
 困るのは、本当は「逆左翼」なのに、それを自覚せず、自分は世界を縦に分けて「ウチ」に立つ右派だと思っている者が少なくないことである。こんな立場が蔓延すると何がもたらされるか。「ウチ」の内部に格差と競争を持ち込み、共同体精神をブチ壊しておきながら、他方で、顧客や取引先や出資者や従業者を、国や民族で分け隔てして扱うことになる。「ウチ」も蹴落とし、「ソト」も食い物にし、結果として残るのは「力だけが正義」という原理だけである。確実に世の中は腐敗していくだろう。
 これが「小泉系」のもたらした風潮なのだと思う。
【「逆右翼」を自覚しない左派も問題】
 同じことは左派側にも言える。「逆右翼」も自覚して徹底すればそれはそれでたいしたものだ。典型的には、どこかの発展途上国の未開発地域の伝統村落に惚れ込んで、くらしぶりも習慣も同化して骨を埋める人。
 他方で本当の左翼には左翼の道義がある。この立場からは、世界のどこであれ、「上」の者の強くて不正な力にひるまず、弱者に分け隔てなく手を差し伸べる態度が目指される。
 たとえば、中国の労働者の賃金が上がり、労働条件がよくなった方が、日本の労働者も競争が緩んで楽になる。中国の消費者運動が発展した方が、日本の消費者にとっても安全になってトクになる。しかし本当にそれをやろうとすると、中国共産党の支配とぶつかる。だから民衆どうしが分け隔てなく助け合って「上」の不正とたたかったならば、めぐりめぐって自分のためにもなる。
 これは「逆左翼」に徹したときの商人道と同じ構図である。世界を横に切る図式に立つ限り、「上」に立とうが「下」に立とうが、人を国や民族や身分で差別せずに、すべての人間を個人として尊重する道徳観が身に付くのである。
 困るのは、本当は「逆右翼」なのに、それを自覚せず、自分は世界を横に分けて「下」に立つ左派だと思っている者が少なからずいることである。9.11テロの犠牲者には子供もお年寄りも貧しい人々もたくさんいるのに何の同情心も持たず、アメリカはみな敵とばかり喝采する心情の者。発展途上国の政府や因習による人権抑圧の犠牲者に対して、「先進国の欧米流価値観で介入してはならぬ」と言って、見て見ぬ振りをしておきながら、自分はちょっとでも権利を侵されると、欧米流民主主義体制のおかげで最低限守られた立場を使って、政府にも因習にも逆らう。結局こんな立場は、途上国から比べれば豊かで人権が守られ、アメリカから比べれば保障を受けている自己の既得権を守ることだけに汲々とする、身勝手な態度につながるだろう。

(中略)
【横に切るか縦に切るかに中間はない】
 世の中を横に切って見る現実認識をとった上で、「上」と「下」で折り合いをつけることを望む中道路線はあり得る。また、世の中を縦に切って見る現実認識をとった上で、「ウチ」と「ソト」で折り合いをつけることを望む中道路線もあり得る。
 しかし、世の中を横に切って見るか縦に切って見るかの間には中庸はあり得ない。現実には、たしかに世の中は縦にも横にも分かれているだろう。私自身は、世の中を縦に分けていた壁はますます崩れ、世の中を上下に分ける亀裂が世界中で広がっていると現実を認識している。しかしそのこと自体はここでは論じない。縦の壁も横の亀裂もそれぞれそれなりにあるのは事実だ。だが、道徳の問題としては、両者の見方を混同することはできないのである。横に切る見方と縦に切る見方を混同すると、上述したとおり、それぞれにふさわしい道徳が打ち消し合い、弱肉強食の身勝手な風潮が生み出されるからである。
(2008年4月6日執筆)


(要約引用終了)