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世界のニュース トトメス5世

 

(見出し)
2018年07月23日07:00
日本の移民増加と「渡来人」の歴史

(私のコメント)
日本にも昔から移民がいた。
前は帰化人と言っていたが、今はリベラル教という宗教が蔓延して渡来人と変わった。
リベラル教は、平等が教義だから、それに合わせて名称を変えたがる。
帰化人と渡来人の違いは、先住民族を主体に考えるか、移民の側を主体にするか、ということだ。
リベラル教徒は移民の文化を尊重して民族が共生するのが平等だ、と考える。
だが、昔の人は移民が来たら先住民族と同化させて自分たちと同じに扱おうとする。
同化させることによって自分たちと平等に仲間として待遇しようとしたのだ。
平等、という点ではリベラル教と同じなのだが、やり方が違った。
リベラル教は、同化によって過去の民族文化を捨てさせるのは差別だ、それぞれの文化を認めるのが平等だ、という。
下記の記事にある通り、それぞれの言語や文化を認めるなら、混じり合うことは無いから分かれて住むしかない。
横浜や神戸のチャイナタウン、現在の新大久保界隈を見れば歴然としている。
中東のパレスチナあたりも小さな民族がひしめき合って住んでいる。
彼らは、人種や宗教の違いで集団を作って住んでいるが、その違いは我々から見るとほんの少しだけの違いだ。
でも、一緒には暮らせないのだ。
何が言いたいか、というと、平等と称してバラバラを認めると却って平等でなくなるのだ。
平等というのは、仲間内でないと実現できない。
人種や民族の違う集団は、そのメンバー内では各人が平等に扱われる。
そして、当然のことだが、メンバーの外に向かっては平等でない。
外から来た人を平等に扱おうとするなら、メンバーの掟に従わせるしかない。
昔の人は帰化人と言ったのは、平等にするためだった。
だが、今は逆に渡来人としたので仲間でないから、平等でなくなった。
すなわち、リベラル教のいう平等はある一面からみた平等で、ほかの面から見るとそうでなく、矛盾しているのだ。
リベラルが宗教だ、というのは、こういうダブスタが多いことが理由になっている。
ある教義を建てると、どうしても矛盾することが起きてしまい、あちらを立てるとこちらが立たず、という事になる。
そういう矛盾することが起きても、それは現実が間違っている、と言って教義を押し通そうとするが、そこが宗教だ、とする理由だ。
下記の記事にあるように今後の日本は次の様になるだろう。

「外国の例を見ても、ひとつの国の中で分断し、別々の人種や文化を作り、縄張り争いが始まります。」

(私のコメント終)

 


(引用開始)

国内の外国人は300万人か

日本政府は事実上の移民になり得る外国人労働者を増やしていて、外国人就労者人数は約127万人に増えました。

2007年に50万人だったのが10年間で約80万人増、毎年平均8万人外国人労働者が増えている計算です。

中長期在留外国人数は256万で、10年前は約205万人だったので、毎年平均5万人ずつ増加しています。

中長期在留者は必ずしも労働者ではなく、労働者は短期滞在の場合もあるので、全体ではもっと多いでしょう。

政府はさらに労働者の受け入れを加速するとしているので、年10万人増にペースアップします。

すると10年後には観光客を除く外国人滞在者数は、350万超になり、日本の人口の3%になります。


継続して仕事を得て住居を構えて家庭を持ったら、このうちの何割かは永住し、子供は日本に帰化するでしょう。

(父母ともに外国人の子供は、帰化しないかぎり日本国籍にはならない。)

増えていった外国人在留者は何世代かかけて、日本国籍を取得して日本人になっていくと予想できます。


アメリカなど一部の国では、自国で生まれた子供は、父母の国籍と関係なく自動的に国籍が与えられている。

今後日本で生まれた外国人の子供について、差別的だと国籍問題に発展する可能性があります。

増え続ける外国人に法律など受け入れ準備が、まったく追いついていない状況です。


渡来系弥生人の集落が現在の「人権地域」に重なっている
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画像引用:http://yasugawa-iseki.yayoiken.jp/images/kangou-bunpu.gifg

 

渡来人はどうなったのか

移民というと日本には無関係だったと思われていますが、日本には数千年前から「渡来人」という移民が存在しました。

教科書にも出てきましたが、最初の渡来人が上陸したのは今からおよそ3000年前、福岡の北側の海岸だったと考えられます。

この渡来人が最初の本格的な水田を作ったので、最も古い水田跡をたどれば、最初の上陸地点までおおよそ推測できます。


3000年前の西日本は縄文時代後期の寒冷化によって人口が激減し、1平方キロあたり0.1人しか住んでいませんでした。

東日本では10倍の人口密度でしたが、渡来人は縄文人と争ったのではなく、無人地帯に住み着いたと考えられています。

九州の縄文人と渡来人が混じり合って「弥生人」という人種が生まれ、さらに関西の縄文人と混じり合って関東の縄文人とも混じり合います。


こうして縄文時代から弥生時代に移行し、古墳時代へと続いていきます。

渡来人はどうなったのかというと、最初に九州に上陸した人たちは完全に縄文人と混じり合い、弥生人すなわち日本人と同化しました。

古墳時代以降、特に百済滅亡前後に渡来してきた人たちは、長く同化せず独自の文化や風習を保ち続けます。


今でも渡来人集落の周辺はいわゆる「人権地域」が多く、他とは違う文化を持つ地域が多い。

地域的な偏りを見ると、こうした地域の始まりは百済滅亡後に移住してきた人たちと推測できる。

最初の渡来人は文字や国家を持たなかったので、同じような縄文人と同化したが、百済新羅はすでに完成した国家だった。


受け入れた日本側も独自の日本文化を築いていて、両者は1000年以上を経た現在も完全には混じり合っていない。

外から来た人たちと前から住んでいた人たちが、「一緒に住めばいずれ一つになる」ような事は決してないのが分かります。

外国の例を見ても、ひとつの国の中で分断し、別々の人種や文化を作り、縄張り争いが始まります。

 

(引用終了)