1809-17-1360-9/22メルマガブログ転送左翼思想は大虐殺に繋がる

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ソ連の「クラーク」と、ゲルマンの「カール」と、お菓子の「カール」
2018-09-19
「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義 単行本(ソフトカバー) – 2018/1/30
岩田 温 (著)


(見出し)
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続き
(私のコメント)

前回の記事でリベラル左翼がどういうものか、という解説があった。
要約すると、下記の通りです。
1.黒人など弱者階級が居なくなっては困る人たちがサヨク、リベラルは黒人という特徴を無視しようとする。
2.リベラルは資本主義を容認、左翼は反対、
3.リベラルは国民国家ナショナリズムを容認、サヨクはそれを否認して階級で世界を分けようとする。
4.リベラルはアメリカ国民だったらアメリカを愛すべきだと思っています。左翼は左翼が希望だといい、アメリカを否定する。
5.リベラルは言論の自由を尊ぶ。反対意見も尊重する。左翼はヘイトスピーチなどといって反対意見を弾圧する。
6.リベラルは歴史文化伝統を尊重する。左翼は過去というものは悪で捨てるべき物であり、未来こそが希望だ、という。

上記の左翼の特徴は、マルクス主義そのもの事を言っているのだが、それではマルクス主義とはどんな特徴か。
その前に、マルクス主義ソビエトロシアの崩壊で誰も信じなくなったので、リベラルすなわち自由主義に紛れ込んできたということを基本押さえておかないといけない。
つまり、マルクス主義とリベラル自由主義は別の思想だ。
上記の六つの特徴は、マルクス主義の後ろにあるユダヤ教で説明がつく。
すなわち、簡単に言えば、世界は支配者と奴隷の二つからなっており、支配者を無くせば幸せになれる、というわけだ。
それをマルクス主義で言えば世界は階級で出来ており、上の階級が資本家、下の階級が労働者だ。
世界はこの二つの階級で出来ており、両者は常に闘争しているが、最終的に労働者が勝ってユートピアが訪れる、という。
だから、上記1.黒人はマルクス主義で言えば階級が無くなることは防がないと立場がなくなるのだ。
2.資本主義は文字通りの敵だ。3.マルクス主義で言えば階級は思想の根幹だから死守する。国民国家とか宗教とか別の統合は否定しなといけない。
4.マルクス主義は左翼の主張する未来のユートピアを信じてもらわないといけないから、それ以外の愛国心は邪魔になるのだ。
左翼はその意味で過去を罪悪として否定するが、これはユダヤ教で奴隷だった過去を忌まわしいものとして否定するのとおなじだろう。
5.左翼は、ごまかしているが、本質は階級闘争史観だから戦って相手を殺してこの世の中から抹殺するのが目的だから手段を選ばない。
言論の自由の否定などは、まだまだ甘い方だ。最終的には人殺しも辞さないのだ。
今日の記事はその人殺しの実例を示している。
6.左翼は過去の文化を否定、未来の希望を信じろ、というが、奴隷の身になって見ればそれが正しいのだろう。
左翼は皆が奴隷の境遇でないといけないのだ。昔「疎外」という言葉がはやったが、これは無理やり皆を奴隷にしているのだ。

 

さて、前回はこれくらいにして、今回の記事は、リベラル左翼が理想とする世の中というのは、こうなる、という実例を書いたものだ。
左翼マルクス主義は「社会の敵」を設定してその敵を消滅すれば幸せになれる、という考えだ。
社会の敵は最初は貴族や資本家だったが、それらが一掃されると今度は共産党が指定する国民が人民の敵となった。
そして、切なしに人民の敵が作られて殺されていった。
その記録が今回の記事になる。

ところで、左翼の考え方は「あれが悪い、これが悪い」「私が不幸なのはあれのせい、これのせい」という風に自分の外に敵をつくる。
その敵が全ての不幸の根源だ、だからそれらを殺せば幸せになれる、ということになる。
その敵を国家が勝手に決めて殺せ、と扇動する。
だっが、そもそも敵を殺せば幸せになれる、といっても現実を無視していて、敵と自分の幸せがどうつながっているのか分からない。
一般にサヨクの考えはリアリズムに欠けているのが特徴だ。

では、マルキストになる人々は、どうして上記の思想を信じるのか。
人間は怨念とか嫉妬とか羨みとか言うようなマイナスの心を持っている。
仏教などはその心を不幸の元として戒めているし、キリスト教もそういう心の対極にある「愛」を持て、と教えている。
ところが、上記の左翼マルクス主義思想はそれらを正当化出来る。
イギリスのサッチャー首相は「左翼というのは嫉妬だ」と言っている通り、無意識に嫉妬や恨みが働く、という心理が根底にあるから信じやすいのだ。
サヨクマルキストは弱者を助け、強気をくじく勇者のような立場を気取るが決して弱者を助けるわけではない。
ただ、自分の社会に対する怨念から利用しているだけだ。
では次に、元になる左翼思想はどうして生まれたか、をおさらいしてみよう。
その元々の考え方は、ユダヤ教の「救世主が現れて奴隷状態の我々を助けてくれる、悪い支配者をやっつけてくれる。」という思想だ。
ユダヤ教はその前の時代のゾロアスター教善悪二元論すなわち、光と暗黒、天使と悪魔、というような両極端の二つで世界を説明する、という思想が入っている。
世の中を単純に善悪に切り分けてしまうのだ。この思想も分かりやすくて信じやすいものだ。
なお、仏教にもこの二元論は形を変えて入ってきているから我々もなじみが深い。
天国と地獄、善玉悪玉、など分かりやすいから、皆良く使っていて、それ自体が悪い思想というわけではない。
ユダヤ教の場合は支配者が悪玉で奴隷が善玉という二元論で、支配者が居なくなれば奴隷は幸せになるはずだ、となる。
ユダヤ教キリスト教の母体で、イエスキリストはユダヤ教の改革を行おうとして、それに反発したユダヤ人に密告されて死んだ。
だから、当然この思想はキリスト教の中にも入っている。
ユダヤ教キリスト教の関係やその後の経緯も面白いのだが、割愛する。
本題に戻るが、ユダヤ教マルクス主義の関係はどうかというと、そもそもマルクス主義創始者のカールマルクスユダヤ人だ。
ソビエトロシアを作ったレーニントロツキーユダヤ人だった。
だから、共産主義というのはどうしてもユダヤ教が入ってしまう。
ユダヤ教における善悪二元論は、支配者と奴隷だが、マルクス主義のそれは資本家と労働者の二つの階級に置き換えられた。
そして、歴史というものは常に階級闘争によって形作られており、最終的に労働者階級が勝利してユートピアとなると考えた。
例えば、マルクス主義史観によれば、原始共産制社会はまだ階級がなく理想の国だ、などという。
これは考古学で否定されるが、カンボジアポルポト共産政権はこのドグマも一部分作用して、医者や先生など社会の指導層を皆殺しにした。
ポルポト政権は自国民を二百五十万人殺したが、奇妙なことにいくら殺しても社会を良くすることにならなかった。
「あれが悪い、これが悪い」という思想の成れの果ては、カンボジアで実験されているのだ。
マルクス主義歴史観は、原始共産制から封建制、資本主義、そして革命、労働者ユートピアと発展してゆく、というものだ。
これを発展段階説といって、歴史は一直線にかつ必然的にこういう経過をたどる、とした。
そして歴史の変革は、先に述べたように上の階級と下の階級が戦って下の階級が勝って行われる、と考えた。
これはユダヤ教の支配者と奴隷が、その名前は変わるが、どの時代にも居て、常にして闘争している、と言うようなイメージになる。
そして、最終的に階級が無くなったらユートピアが訪れるのだが、これはユダヤ教の支配者が居なくなって奴隷が解放された状態と同じだ。
だが、現実の世界では、実際支配者が居なくなっても奴隷が幸せになるかは別問題だ。
だから、それを宗教として信じるしかないのだが、その結果は下記の記事のようなスターリンソビエトの惨状となる。
今のリベラル左翼はこういったユダヤ教マルクス主義の背景があって、本質は宗教戦争なのだ。

 


(私のコメント終)

 


(引用開始)
(下記の本からの引用)
「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義 単行本(ソフトカバー) – 2018/1/30
岩田 温 (著)

http://oyakochoco.jp/blog-entry-2388.html

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ソ連の「クラーク」と、ゲルマンの「カール」と、お菓子の「カール」
2018-09-19

『 1929年12月、【スターリン】は【恐ろしい発言】をした。

「われわれは、【富農】の搾取に制限を加える政策から、【一つの階級としての富農を撲滅する】政策に移った」

スターリンの発言から、ロシアにおいて、「富農撲滅運動」が展開されることになった。

これは共産主義者の悲願である集団農場化を進めること、そして、前年から展開されていた「五ヵ年計画」を遂行するためだった。スターリンはできるだけはやくロシア経済の近代化を図ろうとした。工業を中心とした経済への移行を目論んだのである。しかし、ロシアには【経済の近代化のために必要な資本】が存在しなかった。【この資本を無理矢理捻出するために農民から「余剰収穫物」を取り上げ、海外へと輸出し、その輸出で得た外貨で近代工業に必要な機械を購入しようと考えた】。

 この計画自体は別段奇妙な計画というわけではないが、【現実を無視】して、【計画を断行】したために、【農民たちは、「塗炭の苦しみ」との表現以上に悲惨なこの世の地獄へと送り込まれる】こととなった。

常識的に考えて、【「富農」】という言葉から、多くの人は、巨万の富を得た地主を想像するだろう。だが、当時のロシアにそのような裕福な農家は存在しなかった。実際には、【農民を搾取する「富農」など存在しなかった】のである。ごくわずかな農民が数頭の牛や馬を所有するだけで、【ほとんどが「貧農」に等しかった】。【「富農」とされた人々の収入】は、「富農」の迫害を命じられた【村の役人よりも低かった】のだ。だが、この「富農」こそが諸悪の根源と見なされ、【「階級の敵」として抹殺されるべきだとされた】のである。

「富農」は三つのカテゴリーに分類された。第一カテゴリーは「反革命の活動に従事している富農」で、彼らは逮捕され、【強制収容所に送られるか、処刑される】こととなった。第二のカテゴリーは「それほど積極的に反対活動はしていないが、反革命を助けることになる極め付きの搾取者」で、彼らは【逮捕され、家族ともども僻地へ強制移住させられる】ことになった。第三のカテゴリーは「体制に忠実な富農」で、居住する地域の番外地に移され、土地改良に従事することが決定された。

実際にはロシアに【「富農」は存在しなかったが、政府は、追放されるべき「富農」の数を定めた】。まさに【机上の空論】というべき算出方法で数が決定され、【第一カテゴリーには6万3000人】が該当するものとされ、【第二カテゴリーには15万世帯】が該当するものとされた。

現実には存在しない「富農」を追放するためになされた方法は過激だった。州は地区に対して富農の数を通達した。地区は定められた富農の数を各村ソヴィエトに割り、村ソヴィエトが【富農のリストを作成】した。リストの作成にあたったのが、【国家警察の捜査官、現地共産党の指導者、検察官で構成される三人委員会(トロイカ)】だった。そもそも農民を搾取する「富農」が存在しない以上、【「富農」を選ぶ基準は出鱈目なもの】だった。トロイカを構成する誰かが【個人的な憎悪の念】を持っていたために、【貧しい農民が「富農」とされる】ことも多かった。また、同時に行われていた農地の集団化に反対した人間も「富農」とされることが多かった。何しろ実際に「富農」が存在しないのに、【定められた数だけ「富農」をリスト・アップしなければならない】のだから、【その選出方法が恣意的で、出鱈目であるのは当然であった】といわねばならない。

富農撲滅運動は残酷きわまりないものだった。

ロシア国内の集会、ラジオ、映画で繰り返し、繰り返し「富農」の非道さが強調された。著名な作家、そしてスターリン自身も「富農」がいかに卑劣な存在であるかを強調した。人々は徐々に諸悪の根源が「富農」であると思い込むようになり、「富農」さえ存在しなければ、ロシアにユートピアが到来すると夢想する人々も出現した。』

 

 

 

 

 

(引用終了)

(長くなるので続きは次回)