1901-20-1428-1/26メルマガブログ転送韓国宣伝戦と儒教基盤

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(見出し)

2019年1月25日 韓国が日本にわけのわからない言動を繰り返すのはなぜか?


(私のコメント)
この記事で重要なのは、韓国の宗教基盤である儒教に言及していることだ。
一般に歴史や世界情勢など人間の動きを知るうえで重要なのは、宗教だ。
日本の色々な情報解釈では宗教は抜け落ちていることが多いが、これでは上っ面を撫でただけだから間違える。
宗教的基盤というのは人間の思想の岩盤基礎みたいなものだから、そこを押さえないと分からない。
思想的な名著や古典的な小説なども、宗教を基盤とするから一般教養として宗教を知っていないと読んでも分からない。
韓国は儒教思想が深く影響を与える国で、その儒教も日本の儒学とは全く違う、といっていいくらいだ。
私はこの記事に出てくる立命館大学の北村稔名誉教授の講演会に何度か出席しているのでなつかしい。
講演の内容は忘れてしまったが、シナ朝鮮は全然別の世界である、と気づいて面白かった。
欧州などのキリスト教世界は当然ながら別の世界、宗教思想伝統皆違うことは良く分かる。
しかし、日本人から見てシナ朝鮮は漠然と我々に近い存在に見えてしまう。
だが、まったく違うのだが、それを勘違いしてしまう。
そうすると、悪いことに日本人の常識すなわち日本人の宗教からみた常識を彼らに押しつけてしまうのだ。
押しつけてしまう、というのは日本人が考える善とか正義は通じないのに勝手に通じると思ってしまう、という意味だ。
キリスト教世界には、日本と同じような封建社会を経験しているので共通の基盤があるがシナ朝鮮はそれがない。
日本人は白人と対するときは日本人の思想は彼らに分からないだろう、と思ってそれを前提にする。
しかし、シナ朝鮮はそれがない。
結論を言えば、古田博司筑波大学教授が言うように「教えず、与えず、関わらず」が良いのだが、
よもぎネコさんが言うように破落戸(ごろつき)に因縁をつけられて言う状態だから身に振る火の粉は払わないといけない。
問題はアメリカで、子分の喧嘩をどうさばくか、植民地支配の限界が近づいているのではないか。

(参考)
https://kotobukibune.at.webry.info/201901/article_26.html
韓国の宣伝戦と日本の言論戦の違いに留意せよ
作成日時 : 2019/01/26
(引用)
けれども、だからといって日本は単に「そんな事実はない」と否定するだけでは足りません。韓国は加害者であり、被害者は日本であると宣伝しなければ、韓国の思う壺です。
***
それは表現を変えれば、主張を感情的に納得する「宣伝」と、理性的に納得する「言論」の違いであるともいえます。
韓国は、他人を「感情」で納得させようとします。だから、嘘でもなんでも、とにかく主張して被害者ポジションをとる。他人に「可哀想」という感情を起こさせ、味方につけるというやり方です。

一方、日本は他人を「理性」で説得しようとします。だから証拠を積み上げて、客観的に証明することを重視します。他人に理屈で「日本の主張が正しい」と納得させて支持を集めるのですね。

このように日韓では他者から支持を得るためのアプローチが全く異なります。日本はこの違いをもっと認識しないといけないと思いますね。
***
韓国が「言論」ではなく「宣伝」で喧嘩を売っている以上、岩屋防衛相も「言論」だけではなく、「日本の怒り」を明確に表現して「宣伝」要素も所々にまぶしながら、発信していくことも大事ではないかと思いますね。 
 

(引用終了)
やくざ者と交渉するときは、上記の記事のように「感情」と「理屈」を分ける必要がある。
これから日本人がシナ朝鮮に宣伝戦で勝ってゆくためには、良い見解だと思います。

 


(私のコメント終)
(引用開始)
全世界のアメ通読者の皆様、TSJ管理人です。

さて、皆さんも存分にご存知の通り、
「レーダー照射」問題、お隣のあの国は、
相変わらず日本人には到底容易には理解出来ない、
奇妙な言動を次から次へと繰り出し続けています。

ここまで来ると、何が何やら・・・
わけがわからない・・・と管理人なども頭を抱えているわけですが、
我らが”必殺仕事人”wにして、”歩く情報戦”ww
山岡鉄秀メンバーwのお馴染み必読本

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に、「まさに…それな…」としか言いようのない、
今の状況を見通していたような、示唆に富むお話がありますので、
今こそ、これをご紹介せねば!
ということで、少々長くなりますが、なんとしてもお読み下さい。
キーワードは
「誣告(ぶこく)」「避諱(ひき)」「性即理」の3つです。
***
●相手を貶めるための嘘「誣告(ぶこく)」は中国のお家芸

ここで私が特に取り上げたいのが、
中国人の恐るべき伝統、「誣告(ぶこく)」だ。
「誣告(ぶこく)」は立命館大学の北村稔名誉教授に教わった。
「誣告(ぶこく)」という概念は、「虚偽の事実で訴える」ことである。
虚偽の申請、虚偽の訴えをして相手を貶めるという意味だ。

●「伝統的に嘘つきだ」と理解した上で対する

中国で教学の観念としてある「誣告(ぶこく)」という行為、
つまり意図的に事実を偽り、他人を罪に陥れるために告訴する、
ということは日本の文化に相いれないものだった。
一方、中国や韓国では、
同国人同士で「誣告(ぶこく)」し合ってきた
長い歴史があり、伝統となっている。
それが日本に対して向けられたのが南京大虐殺であり、
慰安婦強制連行であるということだ。

韓国で桁外れに偽証罪が多いのは、
「誣告(ぶこく)」文化だからだ。
中国や韓国には、事実を偽り他人を罪に陥れる
「誣告(ぶこく)」という概念があることを、
日本人は知らなければいけない。

まさに小さな怒りを大きな恨みに仕立て上げ、
過去の古い案件を新たに蒸し返し、
大げさに言うのが「誣告(ぶこく)」の手法である。

北村教授によれば、中国ではかつて、
でたらめな訴訟を書くことを専門にした
「訟師」と呼ばれる職業まであったという。

日本人は、事実にまったく即していないことを
言うことに非常に抵抗があるが、
中国や韓国は逆で、
まさに息をするように嘘をつくのが当たり前で、
そうしなければ生き残れなかったという
長い歴史と伝統があることを
理解して対応しなければならない。

●悪事はもみ消す「避諱(ひき)」という文化と伝統

これも北村教授に教わったことだが、
儒教の後継変種である朱子学に含まれている、
「避諱」という教えがある。

避とは、都合の悪いことを隠す、
という意味で現在も使われているそうだが、
もともとの意味は、
「徳のある人間の過失を隠すことは尊い行為だ」
という教えである。

たとえば、道徳水準の高い君子が治めてこそ国は安定する。
徳のない小人が政権を担えば、たちまち乱世だ。
君子も人間だから時には過ちを犯すわけだが、
社会の安定のためには君子の犯した過ちは隠し、
逆に功績はことさら大げさに讃え、威信を高めることが大事なのだ。
それは道徳的に正しい行為だとされている。

つまり、国を治めることを大前提の至上命令と考えたら、
それを治める人の悪いところは隠し、
いいところは誇大に宣伝することが道徳的に正しいというのだ。

だから中国や韓国では、あらゆる醜態も悪事も
隠すことがむしろ道徳にかなった義務になっているわけだ。

過ちを隠すということは、
真実を隠して嘘を申告するということになる。
したがって、「避諱(ひき)」は「誣告(ぶこく)」に
容易に転化してしまうと北村教授は言う。
避諱から誣告へとつながっていく
シークエンスがあるわけである。

小学生が日本人に慰安婦にされたとか、
一般家庭から二〇万人の少女が拉致されて
性奴隷にされて虐殺されたなど、
なんの証拠のないままに勝手に話を膨らませ、
被害者として自己陶酔している韓国人の姿に
激しい違和感を覚える日本人は多いが、
しかし彼らにとっては伝統の「誣告」にすぎないのである。

●泥棒に追い銭をする日本の文化

さらに北村教授は朱子学には、
「性即理」という基本原理があることを指摘する。

性とは人間の本性、すなわち主観的願望であり、
その性に客観的世界を律する理が一体化することで、
自分たちの主観的願望に限りない客観性がもたらされる」

という考え方である。

それゆえ中国人や韓国人にとって、
「誣告(ぶこく)」とは自らの主観的願望を
客観的事実だと強弁することに同義だ。
主観的願望ありきだから、主観的願望が変われば、
「誣告(ぶこく)」の内容も変わっていく。

主観的願望とは無関係に、
事実は事実として客観的に存在する
という日本人の発想とはまったく相いれない。

そして、「誣告(ぶこく)」や「避諱(ひき)」が
韓国の恨の文化に結びついたらいったいどうなるのか、
火を見るより明らかだろう。

異民族を自国文化の延長で理解しようと思ってはいけないのだ。

たとえば、韓国がお家芸の「誣告(ぶこく)」を繰り出しているときに
ひたすら謝罪して金で解決しようとしたら、いったいどうなるか?
相手が道徳的行為としてやっている「誣告(ぶこく)」で
金をせしめることができたら、ますます「誣告(ぶこく)」は激しくなるだろう。

だから、日本のようにひたすら自己批判して
平身低頭すれば平和がもたらされるという発想は、
絶好のカモなのだ。まさに日本人は告の格好の餌食である。

それらを理解した上で、
第二章で述べた優位戦の議論に持ち込まなければいけない。
そういうことの理解なしでは勝てるわけがないのである。

これも中国の古典『孫子』の兵法で
「相手を知り、己を知れば百戦殆からず」という言葉があるが、
その「相手を知り」という部分が全然できていないのが、今の日本なのだ。

何度騙されても、誠意を示せば相手も誠意を示してくれる、
といった極めて非現実的なお花畑的発想から抜け出せない時点で、
もうすでに負けている。

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( 山岡 鉄秀 :Twitterhttps://twitter.com/jcn92977110

 

 

 

 

 

 

 

(引用終了)