1504-19-671-4/24メルマガブログ転送バンドン会議安倍演説

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(その1)
http://ttensan.exblog.jp/
パチンコ屋倒産応援ブログ

(見出し)
文句をつけるだけなら…

(引用開始)
安倍首相がバンドン会議で侵略をお詫びしなかったとか
南朝鮮と西朝鮮と国内の反日メディアなどがいつもどおり文句を付けてきているようです。

そもそも1955年のバンドン会議から日本が呼ばれており、
以下のサイトに書いてありますが、
http://hinode.8718.jp/colonization_congress_asian-african.html

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加瀬俊一外務相参与(後に国連大使となる)は、外務大臣代理で出席したのだが、その時の模様を
「この会議の主催者から、出席の案内が来た。日本政府は参加を躊躇していた。アメリカへの気兼ねもあったが、何分現地には反日感情が強いに違いない、と覆っていた。私は強く出席を勧めて遂に参加が実現した。出てみるとアフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた。『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。やっぱり出席してよかった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ」
と語っている。
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という場だったりしますし、そもそもAA会議に韓国呼ばれてません。

こういう歴史がある場で村山談話ばりに謝る意味がわかりません。


(後略)

(引用終了)

(その2)

http://blog.goo.ne.jp/kuranishimasako
万国時事周覧

(見出し)
中国には耳痛い安部首相のバンドン会議60年演説

(引用開始)
2015-04-22 15:39:08 | アジア
 

アジア繁栄へ結束を=大戦「おわび」触れず―安倍首相、バンドン会議60年演説(時事通信) - goo ニュース
  今から60年ほど前の1955年4月18日、インドネシアのバンドンで、アジア・アフリカ19カ国の代表を集め、第一回バンドン会議が開かれました。バンドン会議に結集した諸国の大半は植民地支配を脱して独立した国々であり、新たな時代の到来を確認し合ったのです。
 
 第一回バンドン会議では、植民地支配を排した新たな国際秩序が掲げられ、戦後秩序を支える原則として、前年にネルー・周会談で合意された平和5原則(1.領土・主権の相互尊重 2.相互不可侵 3.相互内政不干渉 4.平等互恵 5.平和共存)を基礎とした平和10原則(1.基本的人権国連憲章の趣旨・原則の尊重 2.全ての国の主権と領土の保全 3.全ての人類の平等と大小全ての国の平等の承認 4.内政不干渉 5.国連憲章による個別的・集団的自衛権の尊重 6.集団的自衛権の大国の特定の利益のための利用と他国に対する圧力の禁止 7.侵略または侵略の脅威・武力行使による他国の領土保全・政治的独立の侵害禁止 8.国際紛争の平和的手段による解決 9.相互の利益と協力の促進 10.正義と国際義務の尊重)も打ち出されています。本日、60周年を記念した開かれたバンドン会議60周年記念首脳会議での演説で、安倍首相は平和10原則に言及し、「日本は先の大戦の深い反省と共に、いかなるときでも守り抜く国であろうと誓った」と語ったと報じられております。現在、これらの原則が、バンドン会議の提唱国でありながら軍事大国と化した中国によって踏みにじられつつある現状に鑑みますと、首相の演説は、60年前のバンドン会議の原点を思い起こす機会となったのではないでしょうか。その一方で、日本国内のマスメディアの論調を見ますと、お詫びの文言がなく、”侵略”や”植民地支配”に触れていない首相の演説には不満なようです。しかしながら、バンドン会議のメンバーを前にしては、村山談話の言葉はいかにもナンセンスです。中国を除いて(韓国はメンバーではない…)、日本国に謝罪を求めている国はなく、また、第二次世界大戦は、植民地化とは逆に独立の契機となったのですから。
 
 バンドン会議60周年会議は、ストレートには語らずとも、大東亜戦争という名の反植民地主義をも内包した第二次世界大戦の多面性を浮かび上がらせております。そして、今日の日本国の使命とは、戦争の惨禍や植民地支配の経験を歴史の教訓として確立した国際社会の諸原則を護り、未来に向けて、平和に資する国際秩序の構築にベストを尽くすことではないかと思うのです。
 

(引用終了)


(その3)
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/
台湾は日本の生命線
(見出し)

格調高き安倍演説と卑しい読売新聞の媚中社説
(引用開始)

演説から引用…

「戦後、日本の国際社会への復帰を後押ししてくれたのも、アジア、アフリカの友人たちでありました。この場を借りて、心から、感謝します
■日本の「謝罪」は各国を不安にする

安倍氏は「強い者が、弱い者を力で振り回すことは、断じてあってはなりません。バンドンの先人たちの知恵は、法の支配が、大小に関係なく、国家の尊厳を守るということでした」とも述べている。

これは間違いなく、国際社会における「法の支配」を脅かす中国を念頭にした発言だった。

そうした日本の誠意、決意は各国に伝わったはずだ。「殖民地支配」や「侵略」への謝罪の言葉はなかったが、それを挿入すれば、かえって中国などに屈服しているイメージが伴い、各国を不安にしかねない。

謝罪を含むか否かで注目される戦後七十年談話も、こうしたものが骨格になると見られるが、それでいいのだろう。

実はこの日、読売新聞は「戦後70年談話 首相は『侵略』を避けたいのか」と題する社説を掲げ、「首相がBS番組で、戦後50年の村山談話に含まれる『侵略』や『お詫び』といった文言を、今夏に発表する70年談話に盛り込むことについて、否定的な考えを示した」ことを批判している。

「戦後日本が侵略の非を認めたところから出発した、という歴史認識を抜きにして、この70年を総括することはできまい」というのだが、果たしてそうか。

今回の演説では、インドやスリランカなどアジア諸国への支援が戦後日本の「スタート」だと強調しており、多くの国が共鳴したはずだ。

■面子が潰されるのを恐れた習近平主席

読売社説は「首相は一昨年12月、靖国神社を参拝したことで、中韓両国の反発だけでなく、米国の『失望』を招いた。その後、日本外交の立て直しのため、多大なエネルギーを要したことを忘れてはなるまい」とも書いている。
米国の「失望」の表明が日中、日韓関係の悪化への懸念に基づくことを思えば、この社説はやはり「中韓両国」という一部の反日国家への配慮で書かれたと言えそうだ。

言いかえれば、中韓の歴史カードへの呼応、加担となろう。今回の格調高い首相演説に比べれば、何と卑しい論説だろうか。

安倍氏がこの謝罪なき演説を行う直前、会場にいた中国の習近平主席が席を立った。

これについて産経新聞は「首相の演説が、中国側にとって満足のいかない内容になることは、火を見るより明らかだった。それを黙って聞かされることは、メンツを重んじる習氏にとって耐えかねる屈辱だったとの見方もある」と伝えるが、実際にそうした「見方」しかできないのである。

安倍氏の謝罪表明は歴史を巡る問題だが、それは中国にとっては習近平氏や中共政権の面子の問題、すなわちあの独裁政権の正統性に関わる問題だからだ。

何としても日本には屈服を強いなければならない。

それでありながら、日本の謝罪の繰り返しを執拗に求める読売は異常である。やはり中共政権の利益のために、自国の名誉、国益を損ねようとしているとしか受け取れない。

朝日など左翼メディアの対極にある保守系メディアと一般には目される読売だが、少なくとも近年、歴史問題に関しては朝日と同様に中国の側に立っている。

こんな社説を書く暇があったら、日本を屈服させ、アジアに覇権を打ち立てようとするなど、戦後日本と全く逆のコースを歩む中国を批判するべきだ。

(引用終了)

(私のコメント)

安倍さんは相当うまくやっている。
経済政策さえ変えれば申し分ないのだが、残念ながら財務省の言いなりで失敗している。

(私のコメント終)