1511-1-810-11/2メルマガブログ転送不安反応は妄想

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東洋経済オンライン
心が強い人は「不安は妄想」だと知っている

実体のないものに反応するのはムダ!
草薙 龍瞬くさなぎ りゅうしゅん

僧侶、興道の里代表
(見出し)
将来が見えないために「自分に自信が持てない」と思っている人への処方箋
(引用開始)
(前略)

本当は、自信なんて「いらない」。

 
不安は、“練習”次第で解消できる。
 
心の状態を「理解」してから「合理的に考える」ことで、「自信家」以上の成果を出せる――そんな驚きの智恵を、ブッダは教えてくれます。


不安の正体、わかっていますか?
 
そもそも「不安」とは何でしょうか。先のことをネガティブに――失敗するとか、笑われるとか――考えることでしょう。そういう「アタマの中の想像事」は、すべて「妄想である」(!)と、ブッダは理解します。まずこれを理解するところから始めてみます。

ブッダの教えの特色は、人の精神状態(アタマの中身)を、「心の反応」によってわかりやすく「分類」することです。
つまり、悩みを抱えたアタマの中を、
 
(1)貪欲(過剰な欲求。現状以上に求めてしまう心)

 
(2)怒り(不快感・不満)

 
(3)妄想(アタマの中で考えること。過去を思い出す・将来を想像することなど)
 
 
 
という“3つの反応”によって区別するのです。
この分類に従うと、「不安」とはマイナスの事態を想像している状態だから……アタマで考えているだけなので、「妄想」です。
 
だから、あれこれ考えているうちに不安を感じてきたり、うまくいかない気がしてきたときは、
まず「妄想が湧いている」と客観的に理解します。

不安に打ちかとうとか、ヤル気をムリに駆り立てる必要はありません。アタマの状態を冷静に「理解する」のです。
 
不安がある(失敗するかも。この先どうなるのだろう??評価を下げているのでは?)
 
⇒わたしは妄想している。これは妄想状態である(とはっきり理解する)
 
 
 
大切なのは、「妄想は妄想にすぎない」と客観的に理解して、それ以上に「反応しない」(真に受けない)ことです。
 
「反応(妄想)は、次の反応(妄想)を呼ぶ」というのが、心の性質。
だから考えれば考えるほど、不安(妄想)はますます増えていきます。
 
「どうせダメに決まってる」「そういえばあのときも失敗したし」「だから私って……(自己嫌悪)」という自分への“ダメ出し”は、膨らんでしまった妄想の一例です。
身に覚えがないでしょうか。
妄想から「抜ける」練習をしよう
 
心は反応するもの、妄想は増えるもの。もしこうした「妄想の連鎖」をストップしようと思えば、
前回紹介した「感覚を意識する」瞑想タイムがバツグンの効果を発揮します。
呼吸しているときの“お腹の膨らみ・縮み”、歩いているときの“足の裏”などの「感覚を意識する」こと。
 
そうして「妄想から抜ける」練習をすることです。もうひとつ、練習法を紹介しましょう。
 
目を閉じて「今朝の食事」を思い出してください。食べたモノ、どんな味がしたか……具体的にイメージします。
ハイ、それが「妄想」状態です。
 
では目をパッチリ開いて、明るい景色を見つめてください。その状態は「見えている」という事実(視覚)です。
「ああ、さっき思い浮かべていた食事は“妄想”だったのだ」と、はっきり自覚してください。

目を閉じて見えるものが「妄想」。目を開いて見ているものが「現実」です。
こう考えると当たり前なのですが、妄想と現実とは、はっきりと違います。
 
この2つを区別できるようになることが、「ムダな妄想をしない」決定的な方法になるのです。
 
「不安」は、妄想の典型です。だから「妄想しない」練習を積んでいけば、不安も徐々に湧かなくなっていきます。
これほど合理的で効果的なメンタルトレーニングは、ブッダの教えならでは。生かさない手はありません。

「自信を持ちたい」と考えるのもムダ
 
「不安に打ちかつために、もっと自信を持ちたい」と、人はよく考えます。
しかしブッダは、「自信を持ちたい」という発想も“大きな勘違い”だと教えます。
実は……「自信」もまた「妄想」にすぎないのです。
 
というのも自信とは、自分はできる・能力がある・きっとうまくいくという判断・予測のことです。
しかし、「できる・できない」という判断も、「きっとうまくいく」という予測も、アタマの中にしかありませんね。
となると、「心の状態をまずは理解する」ブッダの教えに照らせば、これらはすべて「妄想」ということになるのです。
 
ということは、「不安があるから自信を持ちたい」という人は、次のような「不合理な」思考をしていることになります。

 
不安という「妄想」がある。
 
⇒その妄想を打ち消すために、自信という「妄想」をしている。
 
 
 
つまり、妄想の上に妄想を重ねている状態です。
もし「自信」という妄想が、「不安」という妄想より強ければ、
「自分はできる!」「きっと成功する!」と思えるかもしれません。
しかし大抵は、「不安」と「自信」とのせめぎ合いです。勝つこともあれば、負けることもある。
私たちの日頃の心境を振り返ってみると、たしかにそんな感じですよね。
 
ブッダが教える解決法は、もっとシンプルでラジカル(根本的)です。
 
「妄想そのものを、心の状態を客観的に理解することでリセットしてしまいなさい」
 
というのです。妄想が止まれば「不安」は消えます。となると、ムリヤリな「自信」もいらなくなってしまうのです。


人は、できるかどうか、成果が出るか否か、あれこれと将来のことを予測・判断したがります。しかし結果が見えるのは「先の話」。それを今の時点でわざわざ考えようとすることは、「ムダな反応」ではないでしょうか。

本当の自信はどうやって育つか?
 
また、仮に一度は成功したとしても、状況はつねに変わります。次もうまくできるとは限りません。「自信がついた」といっても、その自信は次の状況には通用しないものなのです。「え??こんなはずじゃないのに(自信があったのに……)」と戸惑うことは、ビジネスでもスポーツの世界でもよくある話です。
 
「自信を持ちたい」という発想自体が、人が期待するほど合理的ではないのです。
 
では、仏教には「自信」なるものがないかというと、そうではありません。
ただもっと合理的に、確実に「自信に導く考え方」をします。
 
ブッダが教える「正しい自信のつけかた」をまとめてみましょう。
 
ひとつ目は、「妄想しない練習」をすること。これは先ほどお伝えした「妄想という心の状態を客観的に理解する」訓練です。
そのために瞑想タイム――心の状態を見る時間――を生活習慣にしてしまうこと。これは続ければ続けるほど、効果を発揮します。
 
不安という「妄想」を取り除いていくと、自然に残るものがあります。それが「行動」です。
「やってみる」ということです。逆にこれを欠いたところでは何も始まりません。
 
つまり自信の“本質”とは「やってみる」ことなのです。
 
さて、ブッダが教える、正しい行動の順序は次のとおりです。

?(1)やってみる(体験を積む)
 
⇒(2)ある程度の成果を出せるようになる(周囲が認めてくれるようになる)
 
⇒(3)「こう動けば、ある程度の成果が出せる」という“見通し”がつくようになる
 
 
 
どんな世界でも、(1)の積み重ね。(2)の「成果」が出るまで時間が必要になります。
その途中に出てくる「本当にうまく行くのだろうか」という不安が、まさに妄想。ほんとはその妄想に反応しないで、ただ「やってみる」の連続だけでいいのです。

(3)の“見通し”こそが「自信」です。こうしてみると、本当の自信は、「できる」という判断・妄想ではなく、
「やってみる」その先に来るものだとわかりますね。
 
「まずやってみる」というシンプルな生き方
 
「やってみるというのが難しいのです」「つい足踏みしてしまいます」という人がいます。
気持ちはよくわかりますが、そんな人こそ「これは妄想なんだ」と理解するように努めてください。
 
「やってみる」という行動を妨げているのは、
「失敗するかも」「迷惑をかけるかも」「私なんてまだまだ」といった判断・妄想にほかなりません。
それこそが「心の反応のクセ」。だからこそ「妄想しない練習」をこれから始めるのです。
 
妄想しない。まずやってみる。
 
これが「自信をつける」正しい方法・王道です。まさに禅の世界にいう「とらわれのない心」です。
これまで「仏教」「禅」という特殊な世界で語られてきたことですが、「ムダな反応をせず、心をクリアに保つことで、心の能力(パフォーマンス)を上げる」というのは、現代人に欠かせないメンタルトレーニング(心の練習)でもあるのです。
 
妄想にとらわれない心なら、物事がシンプルに進みます。
 
何をすればいいかわからなければ、「何をすればいいですか?」、やり方がわからなければ、
「どうすればいいですか?」と聞くだけです。
 
教えてくれれば「ありがとうございます」。迷惑をかけたら、「すみません」と素直に謝るだけです。
 
そして「頑張ります」という最初の思いに立ちます。
 
あとは、妄想しない心で、どれだけ作業に集中できるかにチャレンジします。
 
初心に立ち返って「やってみる」。その積み重ねの先に「これならできる」という“見通し”がつけられるようになる。
そのときの思いを「自信」と表現するのです。
 
「不安」は妄想です。ムダな反応にとらわれずに、シンプルに進んでいきたいものですね。

(引用終了)
(私のコメント)

(前回の要約及び関連)
1510-23-807-10/29メルマガブログ転送無反応タフな不動心
心が強い人が持つ「他人に反応しない」技術

1.人が誰でも持つ「承認欲」――人に認められたい願望――という悩みについて考える。
承認欲からくる悩み(例えば嫉妬)もその正体を理解すれば、ではどう考えればいいか具体的な解決のステップに入っていける。
自分が承認された意欲で動いている、と理解意識するだけで大きく考えが違ってくる。
例えば、「他人に承認してもらったからって、それがどうした」と一つ抜けだした感覚になる事もできる。
2.悩みとは解決すべき課題がある状態であり、悩みが消えればその課題に全力で取り組める。
認められるために自分は何をすべきか、という自分の努力工夫の問題になってくる。
そう考えれば、嫉妬などのマイナスの心が前向きなエネルギーに変わっていくことになる。
3.承認欲だけでなく、我々の日常は悩みに満ちている。
仕事の成果に喜んだり、落ち込んだり、他人に負けたくない、などの心の反応が悩みに繋がっている。
こうした欲望からくる悩みは殆どがどれも無駄な反応なのだ。
本当は誰もが「動揺しない、反応しない、タフでクール」で居たいのだ。
では、日常で無駄な反応をして、悩み、ストレス、虚しさを感じないためにはどうしたらいいか。
4.一つは、心の状態を理解する、という意識を心がける。
怒っている時は「怒っているな」と理解する。
ミスをした時は「動揺しているな」と理解する。
その時決して「怒るな」「動揺しない」とかそれを否定しない。
ただ理解してそれ以上反応しないようにする。
最初は難しいが、だんだんと練習で出来るようになる。
これは練習だ、修行(トライアルアンドエラー)だ、と思えばいい。
5.理解のための練習として、「瞑想」がよい。
電車の中でも、風呂でも、布団の中でも短時間で良いから「心を見つめる」練習をする。
心に湧き上がる考えをもう一人の自分が評価するような感覚を養う。
今自分が考えていることはプラス思考かマイナス思考か、妄想かリアルか、過去を思い出して楽しいかそうでないか、等々。
そして、良くない意味のない建設的でないような思考は止めてしまう。
この切り捨てる練習が肝心。妄想が湧くのは構わないが、最終的には心は空であり無になるようにする。
5.タフでクールの心で居られるもう一つの方法は「体の感覚を意識する」
体と精神は一体のもので、体を意識すると精神に大きな影響がある。
例えば妄想を振り捨てる時、頭を振ったり、方を振ったりすると効果がある。
怒りや情緒で思考がスパイラル状態の時は腕や体幹を大きく動かしてもいい。
心のなかで葛藤しても上手く行かないが体を伴うと心も管理できる。
6.更に「足の裏の感覚を意識する」のも良い。
昔から、眠れない時は足裏のことを考えると良い、といわれている。
確かに足裏に意識をすると、眠りに入れる。
だか、足裏のことを考えると言ってもどうしていいか分からない。
その時は足裏や足首から先を動かしてみる。
動く足に意識を集中すると、心の動きが落ち着いてくる。
足裏から「気」がジェット気流のように噴き出している、と考えるとよいという人もいる。

7.更に普段から足裏を意識する練習をしておくとよい。
出勤途中の歩いている時、「歩いている足の裏の感覚」を感じる。
10歩なら10歩と決めてその感覚に意識を集中する。
8.又、おなじみの呼吸法も友好だ。
布団の中やお風呂の中、仕事の休みの時などに深呼吸して腹の膨らみとへこみを意識する。
ゆっくり吸ってゆっくり吐いて心を臍下丹田に収め、息を止めて確認する。
これを数回繰り返す。
ゆっくり吸った時は頭の天辺を意識してもいい。
ただ、意識のやり過ぎは良くないので、その時の気分で腹の動きだけでもよい。
こうして体の感覚に意識を向けることは心の無駄な反応を洗い流す効果てきめんの方法だ。

9.幕末の幕府昌平黌の頭だった佐藤一斎は「心を釘で腹の底に打ち付けろ」と言っている。
思考する心を腹の底に持って行く練習を上記の瞑想や呼吸法でときにやっておくと何かのときに役に立つ。
恐らく足裏や腹を意識することは頭の底部にある脳幹の動き、つまり副交感神経が落ち着くからだろう。
不安と言うのは扁桃体のホルモンの分泌の多い少ないの問題といわれている。
妄想や不安、悩みはそれを誘発するホルモンの多寡だから、脳幹が落ち着けば過剰なホルモンの分泌が止まる。
足裏や腹底と頭の底は繋がっているのだ。
不安な時は「今自分の脳は不安ホルモンを過剰に出している」と理解してもいいだろう。
昔の人は瞑想や座禅で余計なホルモンの分泌を抑える工夫をしていたのだ。
(前回の要約終)

(私のコメント終)