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NPO法人百人の会

(見出し)

「子を産めない人は寄付を」 「2人以上」発言の校長

 

(引用開始)

この関大の赤尾、いちいちカチンとくるね。「夫婦になっても子どもを産まない
という選択肢」・・・そんなものあるか。

寺井校長に座布団3枚。


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「子を産めない人は寄付を」 「2人以上」発言の校長

大阪市立茨田北中学の寺井寿男校長

 大阪市鶴見区の市立茨田北(まったきた)中学校の2月末の全校集会で「女性にとって最も大切なことは、子どもを2人以上産むこと。
仕事でキャリアを積むこと以上に価値がある」などと発言した寺井寿男校長(61)が12日、朝日新聞の取材に応じ「人口が減るなかで、
日本がなくならないためには女性が子どもを産むしかない。間違った発言とは思わない」と述べた。

「キャリア積む以上の価値」 全校集会の発言要旨
「女性は2人以上産むことが大切」中学校長、全校集会で

 発言は今月初め、市教育委員会への匿名の電話で発覚。市教委は不適切な発言として処分を検討している。
これに対し、寺井校長は「生徒や保護者から直接おかしいという声は届いていない。
私の発言で傷ついた生徒がいたなら真意をきちんと説明する」と述べた。

 出産や子育てへの価値観が多様化し、キャリアを求めたり望んでも子どもを産めなかったりする女性がいることは認め「出産を強いているわけではない。子育てが楽しいということを伝えたかった」と話した。

 一方で、少子高齢化や不安定な年金制度などの課題を指摘し「男女が協力して子どもを育てるのが社会への恩返し。
子どもが産めず、育てられない人はその分施設などに寄付すればいい」と主張した。

 また、寺井校長は全校集会で「子育てのあと、大学で学び専門職に就けばいい」とも発言していた。
これについては「出産や子育て後も学び直しはできる。女性がキャリアアップで不利にならないようにするべきだ」と話した。

 寺井校長は1981年に市立中学の教員として採用され、市立小・中学校の校長を歴任。2015年3月に定年退職したが、
同4月に再任用された。(石原孝、長野佑介)

     ◇

■「公人として配慮を欠いた発言」

 関西大の赤尾勝己教授(教育学)の話 人生をどう生きるかは個人個人で考えることで、他人が指図するべきことではない。
社会には結婚をしたくてもできない人もいるし、夫婦になっても子どもを産まないという選択肢もある。
今回の発言は、多様な生き方を否定するような発言だ。特に公人であり、生徒と向き合う校長がこのような画一的・硬直的な発言をしたことは、
配慮を欠いた発言と言わざるをえない。

(引用終了)
(引用開始)
http://www.sankei.com/west/news/160313/wst1603130046-n1.html
産経west

「2人出産が仕事より価値」発言全文 学校HPに一時掲載 校長「誤解招かないよう掲載」

 大阪市立中学校の校長が全校集会で「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと」などと発言したとして市教育委員会が処分を検討している問題で、同校ホームページへ12~13日に発言要旨全文が一時掲載されたことが13日、分かった。

 この学校は市立茨田北中学校(鶴見区)で、寺井寿男校長(61)は産経新聞の取材に「市教委の対応や報道を受け、一部だけを切り取られて誤解を招かないよう掲載した」と説明。「市教委からの問い合わせもあって削除したが、もともと24時間だけの掲載と考えていた」と話している。


(中略)

 

 一時掲載された発言要旨は次の通り。

 今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げてよく聴いてください。
女性にとって最も大切なことは、子供を二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。


 なぜなら、子供が生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか子供を産むことができません。
男性には不可能なことです。

 「女性が子供を2人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部に能力に応じて入学し、
卒業できる権利を与えたらよい」と言った人がいますが、私も賛成です。
子育てのあと大学で学び、医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けばよいのです。
子育ては、それほど価値のあることなのです。

 もし、体の具合で、子供に恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれない子供を里親になって育てることはできます。

 次に男子の人も特によく聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。

 人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。

 子育てをしたらそれで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。
少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。


 やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。以上です。

 


(引用終了)

(私のコメント)

女は子供を産むという大事な仕事がある、と中学校の校長がいったところ、朝日新聞が問題にし、教育委員会がその発言を悪いこととして処罰しようとしている。
まず、そもそも生物と言うものは種族の維持と自己保存の2つが大切な要素だ。
これは生物学の基礎として最初に教えられる項目だ。
人間もこのカテゴリーに入り、人間だってこれが基本でこれ以上の存在価値はない。
だから中学校の校長の言葉は極めて当たり前な話だ。
それなのになぜ朝日新聞は問題にし、教育委員会は処罰しようとしているのか。
朝日新聞が批判的に報道する記事に、教育学の教授のコメントが載っているが、その内容がその根拠となる考え方なのだろう。
大学教授のコメントを要約すると、「個人の自由」が大切だ、という価値観から女に産むことを「強制する」のはよくない、という考えのようだ。
校長先生の発言を「多様な生き方}を否定するような発言と捉え、それを処罰の根拠としているようだ。
「多様な生き方」とはつまり子供を作らない生き方のことで、それを少しでも侵害するような考えは許さないということらしい。
だが、校長は「多様な生き方」を認めたうえで言っているから、その点で朝日新聞や大学教授は自分たちが攻撃しやすいように歪曲して捉え、糾弾している。
この朝日や大学教授の考え方はどういう背景やイデオロギーがあるのだろう。
まず第一は、彼らの考え方には国家とか社会とか言う共同体の存在意識が欠落している。
集団や共同体のメンバーである、と言う意識が欠落しているのが議論が噛み合わない原因だ。
朝日新聞も大学教授も日本国と言うインフラの中で生活している。
大学教授は大学という共同体に所属しそのおかげで発言に権威が生じている。
だから組織に対して義務と責任が生じるはずだが、彼らはそれを無視する。
朝日も大学教授も共同体は自由の抑圧ととらえ、それらと対立する思想が根底にあるのだろう。
だから、彼らをサヨクイデオロギーとして括ってもいい。

校長先生はまず、共同体の維持という観点からその維持のために女性の出産の必要性を説いている。
しかし、だからと言って共同体の犠牲になれ、というような、ことを言っているわけではない。
人間は生物の一つなのだから一つの宿命として女は子供を産み男と協力して育て家族などの集団を次世代に向けて維持させてゆくものだ、と言っているだけだ。
先生は朝日などのサヨクからの攻撃を充分予測して話をしている。
だが、朝日新聞、大学教授、教育委員会サヨク側はそれを強制しているように発言を歪曲しているのだから、卑怯なやり方なのだ。
発言を自由の侵害と称して攻撃しているが、人間の本能より自由が優先される、ということは話がずれているし、ありえないことだ。
それではなぜサヨクは自由を金科玉条のように言うのか。

ひとつはそれを道具に武器として使えば社会の文化伝統が破壊できる、破壊して自分たちの理想の社会を作りたい、というサヨク独特の妄想がある。
ただし、今の社会を破壊して何か新しい自分たちの気に入った社会を作りたい、と考えているが、具体的にはそれがどんな社会なのかはわからない。
ただ、自由な社会は素晴らしい、と考えているだけで共同体の中の自由をどう構築し各人の責任や義務、平等とどう調整するか、なんて頭にない。
そして彼らサヨクはずる賢いのでそういうことは表に出さず、きれいごとの自由を振りかざして他人を服従させようとする。
彼らは勉強秀才だから西欧の思想から自由を取り入れ、それを武器に世渡りをしているので、相手が服従しさえすればいい。
天平の昔から仏教の経典が輸入され、それを利用した勉強エリートの仏教僧と何ら変わるところがない。
彼らが自由を叫ぶのはお経をあげているのと同じでそれでお布施を稼いでいるだけなのだ。
だから、それの権威に挑戦するような人間が出てきたらヒステリックに反応し攻撃排除しようとする。
自由や人権は彼らの身過ぎ世過ぎの道具で、これで食べているに過ぎないのだ。


昔から共産主義者は社会に共産主義を布教しようとするとき、共産主義だと皆警戒するから必ずそれを自由とか平等とかに置き換えて宣伝してきた。
彼らは人民の前衛と称して自分たちを無知蒙昧な人民を指導するエリートの集団だ、と考えている。
つまり共産主義者の独裁の国家社会になったら、自由も平等も否定されるのだから言っていることは矛盾しているのだ。
しかし、彼らエリートは自分たちが正義の使徒なのだから馬鹿な大衆はだましても指導なのだからかまわない、と思っている。
なお、朝日新聞がねつ造記事を書いたり、自分たちの都合が悪いニュースは報道しないのはこういう選民意識があるからだ。
朝日新聞、大学教授、教育委員会は自由を武器にして自分たちの裏思想を押しつけようとしているのだから共産主義者と同じようなことをしているのだ。

ただし、上記のような話は蛇足で、余計な話なのだが、背景としてわかっていないとなかなか本質がつかめないから書いた。
こういう隠れた真実は彼らも攻撃されることは承知しているから、攻撃された場合は彼ら得意の弱者を装って反発するだろう。
弱者というのは現在では昔の貴族のような特権階級だ。
こういうイデオロギーの枠でやりあうのはやめた方がいい。

1番大切なのは日本の社会が少子化により衰退している、という現実だ。
これはこの校長先生が言うような「女は子供を産め」というような考えを攻撃して言わせないようにしてきたサヨクの策謀によるものだ。

衰退している、という現実から言えば彼らの言う「個人の自由」は共同体を無視しているが故に間違っているということだ。
大学教授は校長先生の「子供を産め」という発言は画一的硬直的な発言と言っているが、逆に自分の発言こそ画一的硬直的な発言だ。
彼らサヨクは戦後一貫して自由を信奉し、多様な生き方を称賛してきた。
そしてその結果である少子化という現実を無視して自分たちの「多様な生き方」という価値観をいまだに押し付けようとしている。
現実とイデオロギーがかい離しているのなら、現実の方が正しいと考えた方がいい。
だが、サヨクは現実が間違っている、と主張するだろう。
サヨクは理想に人を従わせようとして結果として人を殺してしまうのだ。

もし彼らが言うように「多様な生き方」が豊かで幸せな生き方なら、そういう人たちが沢山いる日本社会はもっと繁栄しているはずだ。
だが、「女は子供を産むもの」とわきまえていた昔の時代の方が繁栄し、それを否定する今の時代の方が衰退している、これが現実だ。
どちらが正しいか明らかだ。

現実から見て朝日新聞大学教授教育委員会は間違っているのだ。
イデオロギー論争でなく、現実対応としての批判を彼らに行うべきなのだ。
実は少子化朝日新聞も大学教授も教育委員会も困ることなのだ。
しかし、世の中も困り自分たちも困ろうとも彼らは自由が大切なのだから、頭がおかしい連中だ。
また、サヨクの理想社会はスターリンソビエトらしいが、そのスターリンでも家族の大切さを国民に説いている。

以上共同体に関して論じたが、もう一つの側面である女性個人としてはどうなのだろう。
大部分の平均的な女性は「多様な生き方」で幸せになる可能性は少なく、男と結婚して子供を作る普通の生き方の方が幸せになれるといえるだろう。
なぜなら、「多様な生き方」というのは全部それぞれ自分で切り開いていかなければならないからだ。
「多様な生き方」は千差万別の多様性ということだから、先人がいないし、その跡を追うこともできない。
普通の人が全部自分の才覚で失敗せずにやれるだろうか。
誰もいない砂漠や未開の土地を開拓するように、苦労して進んでいかなければならないが、普通の女じゃ大抵野垂れ死にだろう。
これで成功できるのはごくごく1部の能力と幸運が重なった女性だけだ。
朝日新聞大学教授教育委員会の信奉する「多様な生き方」というのは女性を荒野に放り出すような無責任な考え方なのだ。
一方能力も普通で運も普通の女性は良い男を捕まえ働かせ、自分は子供を産み育て家族を大切にしてゆく方が幸せだ。
そして人間は何千年も昔からそれを繰り返しているから、その生き方に対するノウハウはたくさんある。
周りに経験者がたくさんいるからいろいろ教えてくれる。

だから普通の大部分の人間は、そういう生き方を選択した方が幸せなのだ。
勿論そういう生き方をしないで独身の人も居ていいのだがそれはなるべく少ない方が社会としては健全だ。
「多様な生き方」などというきれいな言葉にだまされてはいけない。
朝日新聞大学教授教育委員会つまりサヨクは多様な生き方を奨励するが、そのノウハウは教えないし、それが個人として幸福な人生なのかも言わない。
なぜ彼らが言うだけかというと、彼らは勉強エリートとしてその地位についているから多様な生き方なんて実際は知らないのだ。
彼らは社会や組織の中で中で上昇していける能力を持っているから多様な生き方なんてやっていない。
だだ観念的に自由が良い、という価値観から割り出して多様な生き方が素晴らしいに違いないと思っているだけだ。

彼ら勉強エリートは朝日新聞や大学教授という社会的権威を使って自由とか多様性とかきれいな良い言葉を使うが中身はない。
彼らは普通の女性を「自由」という呪文の言葉を使って人生を誤らせているのだ。
子供を産まず、多様な人生と称してエリートになれるような女はごく少数居るが、こういうエリート貴族のためにたくさんの女性が犠牲になるわけだ。
一言で言えば朝日新聞大学教授教育委員会は無責任なのだ。

校長先生の教え子である子供たちは今後も共同体という現実の中で生きていく。
決して理想の夢の中で生きてゆくのではない。
共同体の幸せは子供達の幸せであり、子供たちの幸せは共同体の幸せでもある。
処罰を恐れず教え子の子供たちの幸せを祈って発言した校長先生の勇気を称賛したい。

 

(私のコメント終)