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世界のニュース トトメス5世
2017年08月02日08:47


(見出し)
醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった?

 

(私のコメント)
日本人は感じていないけれど、アメリカ人の日本人に対する憎しみというのは相当なものだ。
戦後のアメリカ人は日本と戦った軍人の中に戦争後遺症で精神病に悩まされる人も多かった。
日本兵が突然襲ってくる幻覚で恐怖に襲われて普通の生活が出来なくなるのだ。
日本ではそんな人はあまり居なかったし話題にもなっていない。
やはりどことなく後ろめたい感覚がアメリカ人側にあったのかもしれない。
アメリカ人にとっても、なぜ日本と戦争するのか、今一つ腑に落ちないところがあったのかもしれない。
そして、その分だけ日本人悪者、日本人悪魔説のプロパガンダが強く流布させたのだ。
戦争指導者側からすれば、敵愾心を煽らなければ自分たちの正当性が危うくなるから、徹底的にそれを刷り込んだのだ。
戦後は「軍部が悪かった、日本人は騙されていたので悪くない」と摩り替えたが、それでも憎しみは残った。
ドイツも「ナチスヒットラーが悪くてドイツ国民は悪くない」なんて冗談みたいな話でごまかす。
戦後の日本に対する洗脳工作は厳しく行われたが、その洗脳工作は日本人によって行われたからアメリカは手を汚さない。
何万冊という本が焼却されて、戦争前夜の日本の事情など分からないようにしたり、新聞の検閲や手紙の検閲など何年も行った。
憲法も占領政策だし、その憲法によって軍事はアメリカに完全に抑えられているから、今の日本は国家とは言えない代物なのだ。
新聞テレビは占領政策で反日分子が配置され、愛国的なものは今でも徹底的に排除される。
官僚はアメリカに留学させられ、そういう人間が出世するようになっている。
極め付けが、アメリカの工作で皇太子が結婚したのが、アメリカと戦前から関係に深い小麦粉輸入会社である日清製粉の娘だったことだ。
今の皇后であるミチコ(カトリック?)で、その為マスゴミは背景が同じサヨクだから皇室記事は礼賛記事ばかりだ。
今は皇室を批判すると戦前並みにサヨクマスゴミから不敬だと非難される。
サヨクの人間ほど「承詔必謹」などという。
そして、今や彼女は皇室の新しい「三種の神器」の一つになっている。
三種の神器とは天皇天皇である根拠として代々受け継いできたものだが、これからは彼女がそれに代わるのだろう。
今の天皇は過去の日本が受け継いできた天皇ではなく、アメリカが権威を保障した初代天皇なのだ。
その振り付け役がカトリック?ミチコになるのだろう。
周りには赤い皇族として有名な三笠宮とか韓国寄りの高円宮とかが新しい藩屏として控えている。
昔の臣籍降下した潜在的な継承権のある宮家などは絶対に近寄らせないし、逆に彼らも近寄りたくないだろう。
このブログ記事では「美しくない戦後」とあるが、皇室を始め益々醜くなる現在の日本が亡国崩壊に向かって進んでいるように見える。
天皇退位など馬鹿げたことを平気でやるし、憲法違反の疑いを置いといて憲法を守る、などという。
天皇になる二代目は皇祖皇宗などというものは言葉さえ知らないだろうし、意味も分からないのではないか。
彼からこの言葉を聞いたことはない。
せいぜい、彼に出来るのは御用邸の静養ぐらいだ。
彼らからすれば、御用邸は自己の財産でどう使おうと大きなお世話、ということになる。
本当は国有財産なのだが、そこはミチコに次ぐ権威として、権利は主張し義務は逃げるソウカ?マサコが二代目に控えている。
彼らはタイのぼんくら国王と同じで、恐らく、皇室財産の切り分け作業を画策するだろう。
天皇止めても食ってゆけるだけの財産があれば、天皇や皇室なんて邪魔で早く放り出したいのが本音かもしれない。
秋篠の娘もどこぞの馬の骨とつるんで国有財産を食い物にしたいらしい。
散々悪口書いたから、「差別じゃー」と人権委員会が逮捕しに来るかもしれない。

(私のコメント終)


(引用開始)


(見出し)
醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった?

アメリカはわざと日本人を飢えさせた

テレビや映画や小説では「戦後」は美しいものの同義語で語られていて、まるで理想郷のように描かれている。

そこでは貧しいながらも人々は協力して生き、戦後の復興をなしとげたとされている。

またGHQは困窮した日本人に食料を支給して助け、民主主義を与えたとも言われている。
こうした物語は映画やドラマの中だけで十分であり、事実とは程遠いか、正反対だった。

GHQは日本人に食料を与えるどころか奪い取ってわざと飢えさせて、日本人を従わせる手段に用いていた。

戦争前後は食糧難だったのはよく知られているが、戦時中に日本国内で(朝鮮台湾でも)飢えて亡くなった人や、その危険はなかった。


都会の人は空襲で疎開したが、農村には食べるものがあり、十分ではなかったが飢餓状態などではなかった。

それが戦争が終わって平和になり、アメリカ軍が占領したら食料が足りなくなり、「来年は1000万人が食糧不足で亡くなる」と総理大臣が警告する事態になった。

多くの要因があるが最大のものはアメリカ合衆国自体で、戦争の報復としてわざと日本人を飢えさせていました。


占領軍による妨害で日本は食糧の輸入ができなくさせられ、生産活動も制限され、経済破綻しました。

農業も経済の一部なので、国が経済破綻すると農業生産が停止して、食糧不足に陥ります。

終戦の昭和20年から昭和25年まで、日本はほとんどの工業生産を禁止され、前近代社会になりました。

 

経済破綻するように仕向けた

戦前から存在する設備を更新することは出来ず、農業生産に支障を来たし、外地に出兵した男達は中々帰ってきませんでした。

「戦争が終わって平和になった」と書いたが、そのこと自体が日本経済を破綻させる原因を作り出しました。

戦争中はあらゆる兵器をフル生産していたが、それが8月15日を境に全面停止になり、一切の生産活動が停止した。


困った日本政府は紙幣を印刷して「金融緩和」したが、激しいインフレを引き起こしました。

物を生産していないのにお金だけばらまいたからだが、当時の日本政府は他にどうする事もできなかった。

あらゆる工場が全て操業停止、鉄道は空襲で破壊しつくされ交通網が分断され、労働者たる男達は外地に居るか戦犯として逮捕されていた。


空襲によって東京など都市部の多くの人は家を失ってホームレスになっていて、路上や公園などで生活していました。

この頃アメリカ本国では、日本人のこうした窮状を伝えては「楽しんでいた」のが分かっています。

自分たちが倒した敵が飢えて苦しんでいるのを見て面白がっていたのが、本当の戦後の世界でした。


一例として占領軍は広島や長崎の被爆者を診療したが、治療をせずに「治療するふり」をして、どのように悪化するか観察しました。

生産活動が禁止され輸入も禁止されているので、復興が進まずホームレスが溢れているのも、無論そうなるように仕向けていました。

さらに占領軍は日本人同士が憎み会うように、心を破壊する政策を実行していました。


アメリカは日本人の食料を絞り上げた上で、自分の手で少し援助した。
援助を受け取った人達はアメリカに感謝し日本を憎むよう仕向けられた。
enjo
引用:http://blog.nihon-syakai.net/blog/wp-content/uploads/img2011/enjo.jpg

 

美しくない戦後

NHKというラジオ放送局(当時唯一のラジオ)で「真相はこうだ」という日本軍や戦前の日本の暴露番組を放送させました。

内容は日本軍がいかにアジア人や欧米人に酷い事をしたかという物だったが、内容は全て嘘だったのが分かっています。

だが当時の日本人はこうした「真相」を信じ、日本人同士で憎みあったり攻撃するようになりました。


愚かなことに「こんな酷い日本を倒してくれて有難う」「原爆を投下してくれて感謝します」とアメリカ軍に感謝する連中すら大勢居た。

人々は最初アメリカ軍を鬼畜だと思っていたが、食料を恵んでくれるので、感謝するようになっていった。

実は占領軍はわざと食料を絞り、日本人を飢えさせてから、犬を手なずけるように「餌」を与えていきました。


学校では子供たちに「日本は悪の国」「アメリカは正義の国」と教え込み、拒否する教師は戦犯として逮捕しました。

じゅうたん爆撃や原爆で数百万人が犠牲になり、本来なら犯人であるアメリカ人を憎むべき所なのだが、次第に日本のせいだと思い込むようになった。

終戦時に外地には日本軍数百万人が存在したが、ソ連中華民国の捕虜になった日本兵は、洗脳した順番から帰国を許された。


集団学習や反省、謝罪(今日使われるような軽い意味ではない)などで日本は悪の国と教え込み、拒否したものは永遠に帰国できなかった。

アメリカ軍の捕虜になると多少ましだったが、戦犯として裁かれ、やはり徹底して「日本は悪の国」と教え込んだ。

こうして「日本に原爆を落としてくれて有難う」などと言う日本人が大量生産され、この人達が現在の左翼になっていきます。


この状況が1948年まで続き、1950年に朝鮮戦争が勃発して、急にアメリカは日本の工業力や日本軍の軍事力を必要とするようになります。

ここから日本側の発言力が強まって復興へと繋がっていくのだが、戦後数年間の占領が長く日本を蝕むことになります。

 

 

(引用終了)