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世界のニュース トトメス5世
(見出し)
2017年07月12日17:25
第二次大戦で日本が勝つ方法はあったか?
(私のコメント)
下記のブログは日米戦争について、おおむね正しい記述になっている。
だが、あいまいな部分も多いので私の見解も加えてみる。
すでに、戦前の日本人と戦後の日本人は洗脳教育や負けたトラウマで別民族になっているから、今となっては分かりにくい。
特に、心情的なことは分から無くなってしまっている。
まず、最初の「日本がアメリカと戦争をした理由」だが、下記のブログでは「戦争する理由はない」
「強いて言えば恨みを晴らすこと」と言っている。
「恨みを晴らす」については補足の説明が必要だろう。
戦争した理由については「昭和天皇独白録」の御指摘が正しい。
引用すると、
「…黄白の差別感は依然残存し、加州(カリフォルニア州)移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。…」
アメリカの日本人移民差別排斥はひどいもので、それが繰り返されたからアメリカに対する憤懣は、プライド高い日本人の中に溜まっていたのだ。
それと、差別については、ビルマ(ミャンマー)やフィリピンの植民地化は明治維新後で、アジア諸国の民が白人によって差別支配されてゆくのを目の当たりにしていたのだ。
そういう理不尽さに対する怒りは、今の日本人は別民族になっているから分からないのだ。
おまけに、当時の日本人の心情は今の日本人とは別のもので、「西郷隆盛、忠臣蔵、源義経」が大好き、という心情だったのだ。
今は何度もいうが、別民族だからこの三英雄を理解できないし、賞賛しない人ばかりになっている。
ここが今の人には分からないし、知らないのだ。
だが、本当の日本人はこの三者が大好きだった。
三者に共通するのは大きな時の権力に向かって大儀に基き立ち上がり、そして散っていった人々ばかりだ。
こういう民族特性を持った日本人が散々理屈に合わないいじめに会ったら相手がいかに強くとも立ち上がるのは当然の成り行きなのだ。
そして、私は戦後の日本人が急速に洗脳教育され、平和主義になったのは「溜飲が下がった」からだ、と思っている。
岩田温著「だから日本人は戦争を選んだ」によれば、戦争原因については次のような諸説がある。
*植民地支配侵略戦争説(村山富市首相談話)
*中国への侵略戦争説(日本共産党見解)
*「軍部の奴らが金持ちに操られ武力で資源を取るために勝手に戦争を始め、わしらを巻き込んだ」説(はだしのゲン)
*ルーズベルト陰謀説(フーバー回顧録)
*コミンテルン陰謀説(近衛上奏文)
*暴発説(司馬遼太郎史観)
これら諸説はいずれも一片の真実を含んでおり、否定されるものではない。
それらが複雑に絡み合っていると見た方が良いだろう。
ただし、一般にサヨクの見解は現在から過去を裁いているので排除すべきだろう。
当時の国民の大部分は戦争を肯定し、協力したのだから、そこを原点に考えるべきなのだ。
「負けずに済んだ筈の戦争」は、やり方によっては十分に勝ち目のある戦争だった。
林千勝著「日米開戦陸軍の勝算」によれば当時の陸軍の戦争計画は合理性と科学性があった。
今の日本の一般通説である
「陸軍を中心とした軍部が暴走して何の勝算もない無謀なせんそうをした」というのは全く違う。
この本の解説始めると長くなるので省略するが、その計画とは「アメリカと直接対決せず、インド洋を制圧する」というものだ。
ブログの記事と合わせて考えると、勝てないまでも負けなかったはずだ。
これをぶち壊したのが亡国将軍山本五十六連合艦隊司令長官だった。
但し、この山本五十六の真珠湾攻撃は日本人が「溜飲を下げる」ためには非合理なものだったが必要だった、と言える。
日本人から背中を押された山本五十六も弁解の余地はあるだろう。
本人も、海軍は国家予算を散々使っていたから派手にやりたかったのだろう。
まあ、ここまでくると、誰が悪いなんて言えなくなって日本人の運命論になってしまう。
(私のコメント終)
(引用開始)
(見出し)
合理的に考えればアメリカを攻撃する理由はないが、戦争は合理的には行われない
日本がアメリカと戦争をした理由
現在北朝鮮情勢を巡って戦争が近づきつつあるとか、日本が巻き込まれるのでは無いかという議論が活発になっています。
この辺で第二次世界大戦を振り返り、日本が戦争に巻き込まれずに済んだり、勝つ可能性があったのか考えるのも無益ではない。
一般的に第二次大戦は日本にとって無謀であり、日本が勝つ可能性は1%も無いと考えられているが、これは正しくない。
なぜなら1941年12月まで、アメリカは戦争参加の準備ができておらず、国民のほとんどは参戦反対だったからです。
日本軍の真珠湾攻撃によって愛国心が高まり、アメリカ国民が一丸となって戦争に突入した逸話は、よく知られています。
逆に言えば日本軍が真珠湾を攻撃しなければ、その後も長くアメリカの世論は反戦のままであり、参戦しない確率のほうが高い。
日本の同盟国のドイツの状況はというと、アメリカと戦争をしたら負けてしまうので、アメリカ軍艦から逃げ回り、戦争の口実を与えないようにしていた。
つまりアメリカ、ドイツ共に戦いたくないと思っているのに、日本軍が真珠湾を攻撃したため、両国は戦争せざるを得なくなりました。
では日本軍はいったい何故真珠湾を攻撃したかというと、実は今日まで合理的な説明がされていません。
日本は禁輸措置を受けていて石油が欲しかったのだが、石油は東南アジアにあり、産油国は英仏蘭などの植民地でした。
日本軍は英仏蘭とだけ戦争をして石油を頂けば良かったのであり、アメリカと戦争をする理由は有りませんでした。
強いて日本がアメリカと戦争をしなくてはならない理由としては、禁輸措置や戦争犯罪でっち上げの「恨みを晴らす」事くらいでした。
負けずに済んだ筈の戦争
日中戦争の侵略行為が教科書に載っていたと思いますが、中国軍が自国民に行った行為が、日本軍がやった事になっています。
大戦前のアメリカは中華民国と協力し、日本軍の犯罪をでっち上げては経済制裁を連発していました。
これで日本経済は日干しのように干上がって、たまりかねて戦争に突入しましたが、先ほど書いたようにアメリカと戦争をする理由はありません。
日本軍はマレー半島やインドネシアなど英仏蘭だけを叩いて資源を頂く事もできたが、同時に真珠湾を攻撃してアメリカと開戦しました。
日本軍が真珠湾を攻撃しなくても、結局アメリカは対日参戦した筈だという意見があり、その通りだと思いますが、アメリカは民主主義なので国民が反対していたら出来ません。
一方の日本は軍が議会を支配する軍国主義だったので、アメリカの民主主義を理解できなかったとも説明されています。
もし日本が真珠湾を攻撃せず、アメリカとは戦わない政策を取ったらルーズベルトは困ってしまい、少なくとも1年か2年は対日参戦が遅れたでしょう。
1941年から2年の日本軍は無敵と言えるほど強く、あっという間に東南アジアの英仏蘭を駆逐してしまい、することが無くなってインドやオーストラリアまで遠征していました。
これを見ると1年もアメリカの参戦が遅れたら、東南アジアの連合軍は壊滅し、欧州もイギリスを除いてドイツが占領しているので、英米以外はゲームオーバーになります。
日独は最後に残ったアメリカを両側から挟み撃ちにでき、かなり有利になります。
別なシナリオとして考えられるのは、日本が経済制裁を我慢して耐え抜いた場合で、4年間耐えるとアメリカは原子爆弾を開発しています。
続いてソ連や中国も原爆開発に成功しているので、日独も1950年頃には原爆開発に成功した可能性が高いです。
合理性を欠いた日独の開戦判断
アメリカは「核保有国とは絶対に戦争をしない」行動原理をもっているので、日独が制裁を10年ほど我慢して耐えていれば、両国は核保有国になり現在も存続していた可能性が高い。
アメリカは中国やロシアへの政策を見れば分かるように、敵対していた国とも時間が経つと和解したり経済協力しています。
日独が存続していた場合には、同様にいずれ経済制裁が解除され、現在の中ロのように和解していただろうと推測できる。
もう10年我慢していたら、あるいはアメリカとの戦争を避けていたら、日本は「負けずに済んだ」可能性が高いと考えます。
1941年6月22日に実施されたドイツの対ソ連侵攻もまったくの謎で、ソ連を連合軍側で参戦させる事に利点を見出せない。
ドイツのソ連侵攻と日本の真珠湾攻撃で「米英ソ」がチームになってしまい、日独伊に対する優位が決定的になった。
もしドイツがソ連を攻撃せず、日本が真珠湾を攻撃しなかったら、この組み合わせは確定ではなく、「ソ連不参戦」「米も暫く不参戦」の可能性が高い。
現実にはドイツは独裁者で意思疎通が出来ず、日本軍はアメリカへの恨みを晴らすのを国益より優先した。
この辺の非合理性に本当の敗因が求められそうです。
(引用終了)