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ハロー!株式 ◎    2016/01/21 夕刊から引用



(引用開始)
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。 



 上記はマザー・テレサの言葉ですが、自分の心しだいで運命を好転させるこ
とができるということでもあります。
(引用終)

(私のコメント)マザーテレサは当然ながらキリスト教徒なので「思考」の先は造物主の守備範囲になる。
だからそれから先の話は出てこないのだが、重要なのは「思考」の先の話だ。
仏教特に禅宗は人間の思考の部分を詳しく問題にしている。
儒学でも王陽明の「知行一致」など心の管理を重要視している。
上記の言葉を補完する意味で「思考」を考えてみよう。

別のblog で拾った怒った時の対処法。

1 深呼吸する
2 湧いてきた怒りは、放っておく
3 被害者意識を消す

特に2番の湧いてきた怒りをほうっておく、というのは理にかなっている。
湧いてきた怒りとは自己防衛のためのホルモンが脳内に満ちている状態なのでそれが消えるまで怒りがおさまらない。
だから怒りが収まるまで時間が必要なのだ。
この時起こらないようにしよう、と思っても生理的にダメなのだ。

つまり上記にある最初の「思考に気をつける」といっても体のメカニズムは無視できないのだ。

以前に広宮と言う人の本の紹介でイライラした時の対処法があった。

その時は「まず自分自身が怒っている」という状態にあることを
自らが知覚すること。

「あぁ、怒ってるんだなぁ。」と自分が認めること。ということだった。
これも脳内ホルモンをコントロールするのに役立つ。
「いま疲れてるんだなぁ。」でもいい。
その状態にあることを、俯瞰して認識すること。

怒りとは理性を担当する前頭前野が抑制され、野性を担当する扁桃体が活性化されることだ。
そもそも野生(感情)とは身体と密接に繋がっており、例えば何かストレスを感じれば不安とか怒りにつながっていく。
思考に気をつけるといっても体や感情面もわきまえておかなければうまくいかない。

大自然の中に身を置くと、人間は清々しい気分になる。
また、神社仏閣で手を合わせて拝むとやはり気分が落ち着く。
これは人間の心のありのまま、あるがままに認めていく、自然とともに神とともに生かされている、そういう気分から来るものであろう。

これも「思考」と言うものを外形や環境から整えていくことになる。
普段から神棚に手を合わせていれば思考に気をつける以前に思考のもとになる心の意識野をキレイな状態に保つことができる。

以前に心の持ち方として「上機嫌」「肯定的思考」「プラス言葉」と言うのを示したことがある。
ただ人間の頭の仕組みから言えば、上記をやろうとすればするほどストレスになり逆効果になる。
上機嫌でもない時に上機嫌になろうとするのは事実を否定することになるから体のメカニズムからすると心を抑圧することになる。
だから頑張って上機嫌になろうとすればするほどそこから遠ざかる。
ではどうしたらいいか、と言うとマズ今の自分の状態を認識して「いま自分は怒っている」「いま自分は眠くてイライラしている」
等々現状肯定から出発する。
そして心を空っぽにして余計な妄想や感情を心の意識野に乗せないようにする。
神社で拝んだり、大自然の中で気分が良かったり、夢中になって好きなことをしていたり、そういう時に心が空っぽになるのと同じだ。
あるいは落語に出てくる江戸っ子がサツキの鯉の吹き流し、と言うのと似ている。

妄想や感情が湧きあがってきてもそれが肯定的でなかったり上機嫌でなければ考えないようにして排除してしまう。
上機嫌になろうとするよりなるべく心を空にして上機嫌でない考えはしないようにする。
それで上機嫌にならなくてもそれは事実として受け止める。
「いま自分は上機嫌になれない状態だ」ということを認識して放置しておき、回復を待つ。

また、何かの妄想が頭を支配したときはなるべく体を使うと効果的だ。
座禅を組んでいても妄想が湧いてきたとき体を少し振るとか動かしてみると吹っきることが出来る。
考え事で行き詰まったら、料理や洗濯、片付けなどのルーチンワークを無心にやってみる。
キリスト教を始めとする西欧思想では体と心を分けて考えるが東洋では一体で考える。
そのため医学では外科など西欧の方が発達した。
ユングなどの心理学も西欧の方が進んだが、東洋的な考え方も見直されてきている。
 
心の持ち方で運命は良い方向にも悪い方向にも転がる、ということを彼女は言っている。
それは、東洋でも同じだが、その上に体の良し悪しも加えられる、ということでしょう。
 
(私のコメント終)