1606-7-963-6/6メルマガブログ転送ルーズベルト戦争責任2

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よもぎねこです♪

(私のコメント)
今回は[1604-7-917-4/5メルマガブログ転送戦後歴史常識否定米戦争責任]
で転送した内容の第二回目だ。
前回は「ハミルトン・フィッシュの「ルーズベルトの開戦責任」と言う本」を読んだ読後評だった。
特に衝撃を受けたのは、「スペルマン枢機卿の証言」でその内容は本当なのだろうか、本当ならすごいことだ、というような話だった。
そして、スペルマン枢機卿はおそらく直ちにバチカンにそれを報告しただろう、と、これは当然の推測だ。
その衝撃的な報告を受けたバチカンはどうしただろう、と次の推測に進む。
なにしろ、ローマカトリックの本山であるイタリアを含むヨーロッパをソビエト共産党の支配下に置こうという途方もない話だ。
カトリック共産主義は犬猿の仲どころか全く相いれないものだ。
生きるか死ぬかの問題だから、絶対に受け入れられない。
例えば、今もヨーロッパでは「教会税」というのがあるそうで、国家が税金で教会を維持しているような世界だ。
ロシア正教がどんな目にあっているか、目の当たりにしているのに受け入れるわけがない。
スペルマン枢機卿の報告は「死ね」と言われるのに等しい。
バチカンルーズベルトに一服毒をもって消した、と推理してもこの仮説は蓋然性が高いだろう。
歴史上の話は証拠がなくても蓋然性が高ければそれを一応受け入れていくしかないのだ。
歴史は科学だから証拠があるものだけで構成すべきだ、というのが歴史学者の考えだが、それは硬直した教条的な考えだ。
だから歴史学者は円満な人格と豊富な人生経験が必要なのだ。
このブログ主は歴史学者でないが、だからこそ歴史の真相に迫っている。
何十年か何百年後に真相がバチカンから公開資料として出るだろう、その時に初めてその推理が正しかった、と分かる、とブログを締めくくるがその通りだろう。

今回のブログの記事は一回目に続き、スペルマン枢機卿の証言によるルーズベルト談話の通りに米軍が動いている、だから非常に信ぴょう性が高い証言だ、という。
スペルマン枢機卿の証言が正しいとすると、原典であるハミルトンフィッシュの本も正しい見解だ、と言えるだろう。
そうすると、ブログ主が言うように第二次世界大戦というのはルーズベルトというわけのわからん妖怪が引き起こした災厄だった、
日本なんかその生贄の羊だった、そんな話ではないのか。
日本に「無条件降伏」つまり生殺与奪の権、何されても文句は言いません、という皆殺しに等しい条件を突き付けて戦争を続けた理由もわかってくる。
皆殺しが前提だから原爆を落とすなんて朝飯前だ。
それも、広島なら因島海軍工廠、長崎なら三菱重工業造船所は無傷で、軍事施設は見向きもせず、わざわざ沢山の民間人に向けて使っている。
20世紀というのは共産主義の世紀で1億人以上の人がそれによって大虐殺されたが、その種をまいたのがルーズベルトで、
その一つが原爆投下に過ぎないのだろう。
ハミルトンフィッシュの本は「コインの裏側」というのが原題だが、まさしく歴史の裏側を教えてくれる必読の書だ。

(私のコメント終)
(見出し)

スペルマン枢機卿の証言 その2 ルーズベルトの真意


(引用開始)

 オバマ大統領の広島訪問に関するエントリーでは、色々なご意見を頂きました。
 それでこれに関連して、以前エントリーした「スペルマン枢機卿の証言」についてもう一度考えてみたいと思います。

 一応おさらいすると、ハミルトン・フィッシュの「ルーズベルトの開戦責任」と言う本とはハミルトン・フィッシュが著書「ルーズベルトの開戦責任」の中で取り上げている話しです。

 スペルマン枢機卿はアメリカカソリック界の最高位聖職者であり、またルーズベルト大統領の友人でした。

 1943年9月3日、このスペルマン枢機卿(当時は大司教)は、ルーズベルトと私的に会って雑談をしたときに、ルーズベルト第二次世界大戦後の世界秩序に関するプランを話ました。

 その話が後に「スペルマン枢機卿物語」と言うスペルマン枢機卿の伝記に掲載されて、これをハミルトン・フィッシュが引用しているのです。

 で、その内容は以下の通りです。

スターリンバルト三国フィンランドポーランドの東半分とベッサラビアを取るであろう。 
ポーランドの住民は概ねロシア人になる事を望んでいる。」

 またルーズベルトの計画では世界は四大強国によって分割される事になっていました。

 「中国が極東地域を、アメリカが太平洋地域を取り、イギリスとロシアがヨーロッパとアフリカを分割する。  
英国が世界に植民地を確保しているところに鑑みると、ロシアがヨーロッパの殆どを勢力下におくであろう。」

 「もちろン希望的観測と言われるかも知れないが、ロシアの勢力下にあってもその支配のやり方は穏健になるだろう。 
共産主義の勢いは今後とも強まるであろう。 
フランスについて言えばレオン・ブルムが政権を取っていれば、共産主義者はそれで十分だと考える可能性がある。」

 「ロシア経済が見せた驚くべき躍進は見逃す事ができない。 ロシアの財政は健全である。 
ロシアの勢力下に入るヨーロッパ諸国はロシア的システムに舵を切るのに激しい変革が必要になるだろう。 
ヨーロッパ諸国はつまりフランス、ベルギー、オランダ、デンマークノルウェーに加えて現在の敵国ドイツとイタリアも含むのであるが、
ロシアの影響下で生きる事に耐えなければならない。 
十年イヤ二十年経てばロシアと上手くやれることを期待しながら頑張らねばならない。」


物凄い話でしょう?
 ホントにこんな事、ルーズベルトが話たのでしょうか?

 フィッシュはこれはこれはホントだと言うので、ホントにルーズベルトがこう言ったと言う事で、話しを進めます。

 しかしホントにルーズベルトがこんな話をしたとして、現実にルーズベルトはこれを実行しようとしていたのでしょうか?

 タダの夢物語、夢想だったのでは?

 けれどもワタシはこれは只の夢想ではないと思います。
 なぜならこの1943年前半までのアメリカ軍の軍事行動は、このスペルマン証言に適合しているのです。

 スペルマン証言によるルーズベルトの第二次大戦後の世界秩序では、ソ連がヨーロッパを支配する事になっています。

 これを実現するためにはどうしたらよいでしょうか?

 簡単です。
 
 第二次大戦のアメリカ参戦前に、ドイツはルーズベルトソ連に与えると言った国々をほぼ全部占領していました。

 だからアメリカとしては、ソ連軍を支援してこれらの国々を占領中のドイツ軍を撃破させて、代わりにソ連軍がそこを占領するようにさせればよいのです。

 そして完全にソ連軍がドイツ軍を撃破して戦争が終結したら、ソ連が占領している地域はそのままソ連のモノになります。

 だって一旦ドイツが降伏したら、アメリカ国民はもう戦争の継続は望まないでしょうから、何の問題もなくソ連の占領を既成事実化できるのです。

 その為にはアメリカはソ連を全面的に支援しても、地上軍は絶対送らないでソ連軍がドイツ軍の占領地を奪い取るのを放置すれば良いのです。

 アメリカの支援は、空爆や軍事物資の援助、更にドイツの補給路を遮断などに留めるのです。

 しかし1943年前半までの米軍の作戦行動はまさにその線で動いているのです。

勿論これは米軍の本意ではありませんでした。
 
 これについてウェデマイヤー将軍が、著書「ウェデマイヤー回想録 第二次大戦に勝者なし」で延々と書いています。

 ウェデマイヤーはマーシャル将軍の部下で、第二次大戦のアメリカ軍の作戦プランを立案した人です。 そして大戦勃発後も作戦の立案実行には中心的に関わりました。

 彼は実はアメリカの参戦直後、できる限り早くイギリスに物資と兵員を終結させて、ヨーロッパ大陸上陸作戦を敢行し、ドイツを急襲する作戦を立てていました。
 
 ドイツ本土に米軍が襲い掛かれば、ドイツ軍としては他の占領地何か放りだして、本土防衛に回るしかありません。
 また本土が陥落したら占領地のドイツ軍はもう降伏するしかないのです。
 
 ドイツのアメリカへの宣戦布告は1941年12月11日です。 ウェデマイヤーはだから1942年前半には、ヨーロッパ大陸への上陸作戦を実行する心算でした。

 「戦争とは即座に敵の喉笛に食らいつく事だ」と言うのが、ウェデマイヤーの信条だったのです。

 そしてこうして戦争を早期に集結させれば、結局双方の損害は最小限に食い止められるのです。 少なくとも泥沼のような戦いが続き民間人が巻き添えになって大量に虐殺されると言うような事態は防げるのです。

しかしこのウェデマイヤーのヨーロッパ大陸上陸作戦は、1944年6月6(ノルマンディー上陸作戦)まで実行されませんでした。 

 ウェデマイヤーの予定よりも、2年半も遅れました。 

 何でこんなに遅れたのか? 

 これについては「ウェマイヤー回想録 第二次大戦に勝者なし」でまず浮かびあがるのが「チャーチルの奇怪」な行動です。

 簡単に言うとチャーチルはアメリカの褌で相撲を取ろうとしたのです。 つまり対独戦争の共闘と言う名目でアメリカ軍を利用して、中東や北アフリカバルカン半島などに、イギリスの権益を広げようとしたのです。

 対独戦争が戦争が終結したら、もうアメリカは褌を貸してくれないので、戦争の早期終結よりもイギリスの権益拡張を優先したのです。
しかしそれにしてもアメリカが対独宣戦に参戦した当時、既にイギリスへのドイツ軍の空爆が日常化していました。

 そして高射砲でドイツの爆撃機に反撃するのは婦人部隊でした。
 王位継承者第1位だったエリザベス王女は日本式に言えば女子挺身隊員として軍用トラックの運転をしていました。

 だってもう男性は皆前線に出てしまって、本土防衛も国内生産も女性を動員しなければどうにもならなくなっていたのです。

 これって日本で言えば1944年末頃と同じ状況です。
 
 アメリカが参戦しなければ、あと1年と経たないうちにドイツ軍がイギリスに上陸しても不思議はないのです。

 そんな状態に追い込まれている国の首相の言う事を、アメリカがホイホイ聞いてしまう?

 ウェデマイヤーは回想録で書いているのですが、イギリス高級将校達は皆上流階級出身で、ユーモアのセンスと教養に溢れた申し分のない紳士でした。 そして彼等はイギリスの国益の為なら、常に一致団結して平気で同盟国を嵌めるのです。

 しかしそれでもアメリカ側の軍人達が頑張って、このイギリス紳士達を説得したら、今度はチャーチルが乗り出してきて、ルーズベルトと話を付けて、戦争早期終結の為の作戦を潰してしまうと言うのです。

 けれども幾らイギリス紳士達がハラグロ・サクソンで、チャーチルが強かでも、アメリカの支援が無ければ本土防衛も危ういような所まで追い込まれている国の言う事を、アメリカがホイホイ聞くと言うのは、何とも不可解なのです。

 ワタシはだから戦争を終結を遅らせたいと言う意思は、実はアメリカ側つまりルーズベルトにもあったとしか思えないのです。

そしてルーズベルトは他にも戦争終結を遅らせる手段を講じています。
 つまり1843年1月のカサブランカ会談で、既に枢軸国に対しては無条件降伏をする方針を確認しているのです。

 無条件降伏などと言われたら、枢軸国は最後まで抵抗するしかないのです。 そして実際に日本やドイツからの降伏と戦争終結への打診は全部封殺しました。

 こうした一連のルーズベルトの対応は、全てが戦争終結を遅らせその間にソ連軍を支援し、その占領地を拡大させると言う目的に適っているのです。

 ワタシはウェデマイヤーの回想録を読んだ時に、ルーズベルトの対応がチャーチル以上に奇怪に思えたのですが、しかしスペルマン枢機卿の証言を読めば、ルーズベルトの意図は極めて明確で、その意図に向かって合理的に行動していたと思わざるを得ないのです。

 しかし幸いにして、このスペルマン証言によるルーズベルトの戦後プランは実現しませんでした。

 実はルーズベルトとスペルマン枢機卿が会談した1943年9月3日、アメリカ軍はイタリア本土に上陸しました。
 
 このイタリア上陸作戦を許可したルーズベルト真意はわかりません。

 しかしアメリカ軍がイタリアに上陸した事を考えると、スペルマン枢機卿ルーズベルトの会談は、実はイタリアの戦後プランについての懇談だったのかもしれません。

 何しろイタリアの運命はバチカンの運命です。

 アメリカカソリック界最高位聖職者としては、アメリカ軍占領後のバチカンの処遇を確認しない訳には行かないでしょう。
 その中で聞かされたのが「ヨーロッパはソ連の支配下に置く」と言う発言です。

 スペルマン枢機卿は驚愕したでしょう。 そして直ちにこのルーズベルト発言についての詳細な報告をバチカンに送ったのは間違いないでしょう。

アメリカ軍のイタリア上陸の5日後の1944年9月8日、イタリアはアッサリと連合国に降伏しました。 
 しかし在イタリアドイツ軍は、上陸してきたアメリカ軍に徹底抗戦を始めました。

 そしてこの年(1943年)の12月からルーズベルトの健康状態が明らかに悪化します。 
 この頃既に医師から執務は1日4時間以内に留めるように指示されているのです。

 この健康悪化とその後の米軍の行動は関係があるのでしょうか?

 因みに我が尊敬するkazkさんは、以前「スペルマ枢機卿の証言」をエントリーした時、「だからバチカンが消したのですよ。」とコメントしてくださいました。

 ボルジア家の毒薬でも使ったのでしょうか?

 いずれにせよスペルマン枢機卿から報告を受けたバチカンが、大変な危機感を持って、このルーズベルトプランの阻止に動きたした事は間違いないでしょう。

しかしルーズベルトもしぶとく頑張り続けて、4選目の大統領選挙に出馬します。 そして1945年1月20日に、アメリカ史上初の大統領4選を果たします。

 実は1941年1月20日の3選と言うのも、歴代アメリカ大統領としては十二分に異常なのですが。

 そして三選目の大統領選挙に出馬した頃には、直接ルーズベルトを見た人達は皆、その病みやつれた姿にショックを受けるような状態だったのです。

 それにしてもこの頃には既に米軍の勝利は目前なのです、大統領が変わっても差し支えないではありませんか?
 無理に4選して中途で倒れた時のリスクの方が大きいではありませんか?

 それでも4選を望んだのは、単なる権勢欲ゆえでしょうか?
 ワタシは絶対大統領職を退けない理由があったのだと思うのです。 
 そしてそれはこのスペルマン証言での戦後プランの実現ではないかと思えるのです。

 だってこんなプランを引き継いでくれる後継者はいないでしょうから。

 ともあれルーズベルトが4選後2ヶ月半の1945年4月12日に死んだ事で、ルーズベルトの戦後プランは完全に消えたのです。

それでもルーズベルトは死の直前に、ソ連に莫大な遺産を残してやりました。

 それがヤルタ会談です。
 これが結局戦後のヨーロッパのソ連の占領地を共産圏として維持する事をゆるしました。

 そしてソ連の対日参戦を即するために、対日戦でソ連が占領した地域も全てソ連に与える事を約束したのです。

 ルーズベルトの死後、大統領になったトルーマンはこれを知って腰を抜かしたのでは?

 だってもしソ連が北海道の半分だけでも占領したら?
 もし釧路港ソ連の支配下になれば?

 ソ連艦隊はいつでも太平洋に出られるようになるのです。

 これはアメリカの安全保障にどれだけ深刻か!!

北海道をソ連に渡してはならない!
 その為には一刻も早く日本を降伏させねばならない。

 ワタシはこれが原爆投下の最大原因だと思います。
 もし原爆投下がなく日本の降伏が遅れていたら、日本はドイツ同様米ソで分割されていたでしょう。

 原爆投下が非人道的であることが確かですが、戦争の現実とはこのようなモノです。


 これ等の全てを考えると、このスペルマン枢機卿の証言は極めて重要なのです。
 
 バチカンがスペルマン枢機卿の報告書を開示するのはいつの話になるかわかりません。 
 豊臣秀吉時代のイエズス会の報告書が開示されたのが、1990年ですから。

 しかしこれが開示されたら、第二次大戦に関する評価が決定的に変わるのではないかと思います。