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(見出し)
アメリカ、自殺者急増!必要なのは精神面のケアより「物語』『フィクション』です!|奥山真司の地政学アメリカ通信」


(私のコメント)
内容は、アメリカで自殺者が増えているが、その原因は「価値観の喪失」だという。
価値観の喪失、すなわちニヒリズムは人間の本性に関わる問題だ。
ニヒリズムというのは、どんなものか、基本的な解説を引用してみよう。
佐伯啓思著「保守の行方」という本から引用してみよう。

(引用)
ニーチェは、ニヒリズムを「最高の諸価値の崩落」とした上で、その3つの特質をあげている。
目的の崩壊、統一の崩壊、真理の崩壊がそれである。
「最高の諸価値の崩落」すなわち、人々に自明なものとして信じられ、その行動の準則を与えてきた諸価値の崩壊が、これらの3つの特質をもたらす事は当然予測されることであろう。
我々の行動は、多くの場合、何らかの目的を持っている。
その目的が、社会の中で一定の意義を持つと確信できれば、その行動には確かな意味を与えることができる。

(中略)
この場合には行動にはそれなりの目的があり、その目的は、社会や歴史や世界といったより大きな状況の中に統合されていた。
そして世界の構造や歴史の意味を知る事は真理を知ることであった。
世界や歴史にある程度の統一があり、そこに知的な心理が成立し、それらに関わるところに行動の目的がある、という3者の自明な関連においては、価値はまだしも確からしさを保持しえていた。
ニヒリズムとは、これらの価値の崩壊に外ならない。
価値の崩壊は行動の「意味」の崩壊をもたらす。
行動の意味が崩壊すると、我々の行動は、確かな目的も持たず、それは社会歴史との関わりを失ってしまう。
行為は刹那的で情緒的となってゆく。
もしくは、目的や価値を見失った世界を見る目は極めて冷笑的になってゆく。
かくして、刹那的で感覚刺激的な快楽を求めるヘドニズムと、世界の関与に対して極めて冷笑的なシニシズムこそがニヒリズムの典型的な帰結となる。
(中略)
ニーチェによると、人間に相応思い込ませたのは「神」と言う究極の思い込みであった。
目的・統一・真理の最終的な根拠は「神」であるからだ。
(中略)

ニヒリズムはまずは積極的な既成の価値破壊から始まる。
しかし、この価値破壊は、新たな価値の債権がなされない限り、人間の生へ向かう意欲を著しく衰弱させるであろ。
前述のように、社会や世界の統一感の崩壊、真理の崩壊は、我々の行動からその確かな意味を失わせて行くからである。
行動は断片化され、世界も断片化され、歴史と言う長期にわたる時間の展望を人々は持てなくなる。
価値とは、全体的なつながりの中で、様々な出来事や行動の意味と重要さの序列を決定してゆくものだから、価値の崩壊の中では確かな「意味」は失われる。

(引用終)

この対談のお終い近くで、「皆には物語が必要だ」といっているが、この思想が重要だ。
物語というのは、簡単に言えば神話などがそれにあたる。
高名な学者が、神話が失われた民族は滅ぶ、といっているが、それと同じだ。
神話は自分たちの民族を他の民族と区別することに役立つ。
つまり、自分は他と違うのだ、という考えが価値観の元になっており、それがニヒリズムの反対側の思想だ。
神話なんてフィクションで合理的でない、などと否定するのが現在の世の中の常識だが、それがニヒリズムに繋がる。
その結果、自殺が増えたり、オカルト宗教などがはびこったりすることになる。
神話だけでなく、各共同体、各個人には物語が必要だし、それぞれの経歴や歴史伝統がそれにあたる。
例えば、出身地の地域の歴史や伝統文化、お祭りなどがそれぞれ自分の個性に繋がる。
昔は自分の行く学校や勤務する会社に誇りを持ち、そこでの生活や仕事を物語として認識した。
それらはエリート意識とか弊害もあるが、例えば、医師としてみんなを助ける、又は良いものを作って皆を喜ばせる、というような物語を生む。
それが、価値観で、それを持って人間はニヒリズムから離れ、生きてゆく。
だが、現在の風潮は上記引用の通り、ニヒリズムに裏打ちされた「極めて冷笑的なシニシズム」が主流になっている。
このシニシズムがどうして社会の主流になっているか、というと、いわゆる「リベラル」が社会を牛耳ってマスゴミなどで宣伝するからだ。
リベラルはこういう人間が依拠する「物語」を否定することに意義を見出している。
彼らの考え方では、そういうものを束縛と捉えて、そこから解放する、という風にネジくれた思想だ。
この思想の典型は、共産主義が衣を変えたフランクフルト学派で、「批判理論」と言ってこれらの物語を徹底的に批判する戦略を取る。
彼らの考えではそれらを批判して排除することは、遠回りだが、共産主義革命を起こすためには正しい路線だ、と考える。
上記のニーチェの理論で言えば、皆が物語を無くし、価値観の喪失でニヒリズムに陥れば、一種の宗教である共産主義暴力革命に皆を導くことが出来るのだ。
マスゴミなどに巣くうリベラルはこういう背景があり、特にアメリカのメディアはこのフランクフルト学派に裏打ちされたリベラルだ。

又、別の見解によれば、リベラルは、そういう「物語」を既存の体制と捉え、我々はそこから疎外されている、だからそういうものを無くせば疎外もなくなると暴力革命を容認する。
いずれにせよ、リベラルは「物語」が無くす方向に運動する。
そうなると、各個人は個性のないフラットなロボットのような画一的な人間ばかりになる。
それらの個性を失った砂粒のような人間を、目覚めた少数のエリートが指導する、というのがリベラルの理想だ。
彼らリベラルはそういう砂粒のような人間が自殺することに全く関心がない。
だから、リベラルの巣窟で反トランプのアメリカのメディアは、自殺が多い、というような重要な問題を報道しない。
リベラルの連中は、一見人権とか弱者の味方とかいうが、実は彼らの本質は冷たいのだ。
そもそも、人間は共同体の中に生まれ、その中に生きて次世代を育てる。
そういう人間に組み込まれた遺伝子の指示に従って生きてゆく動物だ。
だから、色々なレベルの共同体、すなわち家族、仲間、地域、会社、国などから保護されているし、それを守る義務もある。
それから離れると、群れからはぐれた動物のように子孫を残さず死ぬしかない。
だから、色々なレベルの共同体には、それぞれに価値観としての物語が必要で、そこに神も宿る。
人間は昔からそうして生きてきたし、これからもリベラルがなんと言おうと、そういう生き方をするだろう。
それはニヒリズムとは無縁の世界だ。
そして、行動遺伝学の知見から見る人間の遺伝子の働きにも合致する自然な動きだ。
なお、余談だが、文部科学省の前次官である前川助平氏は、上記ニヒリズムの結果として現れる「刹那的で感覚刺激的な快楽を求めるヘドニズムと、世界の関与に対して極めて冷笑的なシニシズム」の典型的な人だ。
人権だとかなんだとか偉そうなことを言うリベラルの帰結が彼のような人間になるわけで、彼は上記ニーチェの理論の正しさが証明する実験動物モルモットのような存在だ。

 


(私のコメント終)
(引用終了)