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1612-7-1109-12/6メルマガブログ転送難民犯罪とドイツ人

中身が濃くて面白いメルマガブログ紹介
http://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12225951696.html
ナスタチウムのブログ


(見出し)

娘がアフガン難民にレイプ殺害されたEU高官の親が、葬儀で寄付金を募り難民支援団体を応援Σ(゚д゚

(私のコメント)
事件の舞台になったフライブルク市は中世文化を保存した古都で、13世紀のミュンスター大聖堂などが有名だ。
つい先日、韓国の運動家がここに慰安婦像を建てようとしたが、姉妹都市である松山市が働きかけたおかげでドイツ側が拒否した事件があった。
下記記事の親は犯人をかばっているが、これでは「犯罪OK、どうぞやってください」というサインに見えて異常だ。
このブログ主は、なぜそういう考え方になるのか、理解できないようだ。
この答えは、先日読んだ本に書いてあったことが示唆しているように思える。
その本が今手元にないので記憶だけで書くが、後で探して詳しく書いてもいい。
つまり、その答えを一言で言えばナチスドイツのホロコーストのトラウマだ、というのだ。
そういう悪いことをしてしまった自分たちドイツ人の贖罪意識がそうさせるのだ。
自分たちがいかに悪いやつか、そう考えると、難民を受け入れざるを得なくなるのだ。
そうすることによって、少なくとも自分は悪い同朋達より偉い、ということになる。
エリートのドイツ人が一般のドイツ人を悪者にして自分はヨイコになりたいのだ。
ドイツ人は悪い人間だから、難民に何されても文句は言えない、という奇妙な考え方にはまり込んでいる。
これはドイツ人によるドイツ人蔑視ドイツ人差別ではないか、と思うがどうだろうか。
日本にもこういう人間が沢山いるようだが、こんな国になってはお終いだ。
ドイツが必死にEUヨーロッパ連合にしがみつくのはドイツから離れたいからかもしれない。

日本にもこういうトラウマがあって、それは大東亜戦争でアメリカに負けたことだ。
日本人は戦争に負けた原因を全て日本が悪い、日本の文化伝統すべて悪い、とくそみそ全部投げ捨てた。
本当は相手のダマシに引っかかって、情報管理や作戦戦略というような「やり方」がまずかっただけなのだが。
ところが、それだけでなく、つい最近も新しいトラウマにつかまってしまい、にっちもさっちもいかなくなっている。
実は戦争に負けたトラウマは高度成長時期に自信を取り戻した為に、薄れている。
但し、それはなくなったわけではなく、高度成長という別なものにすり替えられただけだから時々顔を出す。
今年の流行語大賞は「保育園落ちた、ニホンシネ」というのだそうだが、この「日本死ね」というのが敗戦トラウマの影響だ。
そして、新しいトラウマというのは、自信を取り戻したはずの高度成長のトラウマだ。
現在日本はデフレで苦しんでいるが、このデフレは高度成長時期のトラウマで起きているのだ。
高度成長時代の田中角栄のような人間が活躍した時代は特に財務省のようなエリートにとって悪夢の時代でそれがトラウマになっている。
そこで、日本を二度と成長させないように公共投資は悪、借金は悪、財政は均衡、成長否定、消費すると消費税で罰金、という政策をとっている。
成長敵視、借金の敵視、というようなイデオロギーが高度成長トラウマによって作り出され、国を覆い亡国に向かってひた走る。

だから、トラウマのドイツ人を笑えない。

トラウマなんていうものは次の名句「新たなり、日に新たなり、日々新たなり」でよいのだ。

(参考)
http://www.tanakakaikei.com/koten1603.htm
「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日新たなり。」

解  説
『大学』の名言のなかでも特に有名で、今日でもよく用いられる。端正で語調もよい。
 古代中国、殷の伝説的名君湯王が毎日使う手水の盥(たらい)にこの銘辞を刻んで日日の自戒とした、と伝えられる。
 自分の体の垢をこすって落とすように、こころも洗い清めて、昨日の悪習を取り除き新しい自分を磨く。それをくる日もくる日も弛まず行うことである。
 殷の湯王はこの言葉を日に三度唱え、日日自戒につとめたと古史に記されている。
 魯迅が『故郷』の中で、実によい言葉を残している。
「わたしは思った。希望というものは、もともとあるともいえないし、ないともいえないものだ。それは地上の道のようなものだ。もともと地上には道などなかった。歩く人が多くなれば、それが満ちになるのだ」
 昨日があって、今日がある。今日があるから、明日もある。日々の繰り返しの中で希望も鍛えられ、かけがえのない分身に育ってゆくのだろう。
 日日新たに、又日に新たなり、と念じつつ今日をしっかり生きたいものである。

(参考終)

下記の記事を読んでもう一つ考えたことがある。
それは記事の親は自分の娘が強姦されて殺されたのだが、この親は娘が苦しみ嘆き悲しんで無念の思いで殺されていった気持ちを思いやらないのだろうか。
普通の人は娘を愛しているがゆえに、彼女の無念の思いを自分のものとして復讐の念にかられるのではないのか。
この親は自分の娘より強姦したイスラムの方を愛しているものと見える。
これは、ちょっと異常な人間ではないだろうか。
仏教では「捨身」と言って飢えた虎にわが身を投げ与えて救う、というような説話がある。
奈良の法隆寺にある「玉蟲の厨子」の絵になっている有名なものだが、確かに非常に崇高な行為であるのだろう。
だが、我々はお釈迦様ではないし、ましてや、嫌がる娘をオオカミに与えて崇高な気持ちになられても困る。
この親はこの「崇高な気持ち」に酔っているのではないか。
問題はこの崇高な気持ち、というのがどこから来たのか、ということだ。
つまり、人間の自然な感覚としては犯人に対する憎しみの感情が生まれるのが普通で、理屈抜きの心の動きだ。
自分が殴られて怒るのと同じストレートな感情で、娘の痛みを我がものと同じに捉えているわけだ。
ところが、崇高な考え、というのは後天的に理屈を勉強し、理性がその理屈の基準に照らして良いと判断するものだ。
自分の身よりもトラを助ける方が良いのだ、という理屈を自分の感情より優先させて適用しているが、これはどうなんだろう。
これって、誰かにどこかで教えられた基準を正しい物として自分の自然な人間的な判断を抑え込んで動いているのだ。
もし、その基準が間違ったものだったらどうなんだろう。
コンピュータのプログラミングのように外来的に教えられた通りに動く、というならロボットと同じではないか。
この親は残虐なナチスドイツのトラウマを引きずっているとしても、もしナチスドイツの時代に生まれていたらどうだろう。
恐らく、ナチスのプログラミングで動くのではないか。
こういう人間は極めて有能だからナチスのプログラミングで効率的合理的にユダヤ人を虐殺したのではないか。
何しろ、後天的に与えられた崇高な基準で動くのだからナチスドイツの決めた崇高な基準もプログラミングのように受け入れるだろう。
つまり、何が言いたいか、というと、ナチスドイツもそのトラウマの反ナチスドイツもコインの裏表のように同じだ、ということだ。
ユダヤ人を非人間的に効率よく殺すのも、自分の娘を思いやる心もなく次の被害者が出るのを放置するのも同じではないのか。
あまり長くなるとクドクドうるさいので、ここまでにしますが、こんなことが日本で起きてほしくないですね。

 

(私のコメント終)

 

(引用開始)
アフガン難民申請者によるレイプ殺人被害者女子学生は難民ボランティアをするEU高官の令嬢だった!

NEW!2016-12-05 15:11:19

テーマ: 移民・難民(海外関連)
日本の将来を予見させるイスラムや海外移民関連の拙ブログ記事は、日本語で紹介されないものに重点を置いて書いています。(まずは知ることが大事だと思うからです。)

今回のドイツで起きたアフガン難民によるレイプ事件は日本語にもなっているのですが、父親がEU高官で被害者は難民ボランティアをしていたという、外国人難民に親しみを持っていた家庭環境というのが日本語では省かれています。
この部分が省かれていたのでは、教訓が半減しますのでここで海外記事を紹介したいと思います。
(AFPが日本語記事のソースとなっているようです。)

また、この事件を扱った人気ブロガーさんの記事にある、「もちろん 私は早計に「メルケルの責任だ」というつもりはありません。」というまるで日本の安倍総理の移民政策を擁護するかのような表現に、強い違和感を覚えました。
基本的にこの方は移民反対で、そこは私も賛成しています。
しかし、今のドイツで野蛮人たちの原住民に対する犯罪は、メルケルの第3世界の客人が原因です。

移民を入れる権限をもって入れているのは誰か?
ここに的を絞った活動でなければ、単なるガス抜きです。
考えたくない庶民と、考えてもらいたくない安倍総理側双方から好かれるだけで、抜本的な解決を遅らせて取り返しのつかない事態に導くだけです。


では、EXPRESS(Daily ExpressとSunday Expressのネットメディア)から紹介します。(用語の補足説明は私が加筆。)
Daughter of top EU official raped and murdered in Germany - Afghan migrant admits killing
Dec 4, 2016

警察特別チームの責任者David Muller氏によると、Maria Ladenburger(以下マリアさんとします)医学生19歳は10月16日、フレイブルク市にある大学のパーティー会場を午前2時37分頃出ました。
彼女はいつも通り、自転車で家に向かっていたところ、アフガン難民17歳にレイプされ、生きたままフライブルク市内の川に投げ込まれました。(警察が溺死と発表しています。)


マリアさん父親は Clemens Ladenburger博士で、EUの行政執行機関である欧州委員会・法務局(the Legal Service of the European Commission)のメンバーで長官の右腕とも言われていて、アドバイザーに任命されています。 rabbit*ハァ*
左上矢印マリアさん父親

また、マリアさんは学業以外にも、難民センターでボランティアとして働いていました。 rabbit*ハァ*

(ひとこと このフライブルク市は教会広場で2人の女性が17人の難民集団から性攻撃を受けたことを以前の記事で紹介しています。3人しか捕まっていないのですが3人ともアフリカのガンビア人でした。)

市内で11月10日に発生した27歳の女性強姦殺人事件(未解決)でも、このアフガン難民が関与していないか捜査しているようです。

マリアさんの事件は10月16日に発生していますが、詳細はアフガン難民逮捕後の12月2日(金曜日)に初めて発表されました。はこ怒る
(ひとこと 詳細を知っていればもしかすると11月10日の27歳の女性の事件は防げた可能性もあるともいます。)

発見現場近くの小道に落ちていたマリアさんのスカーフからのDNAと、ブラックベリーの茂みから見つかった髪の毛、それとCCTV(カメラ)から逮捕に至りました。
マリアさんへの襲撃を認めた彼は来年判決が出る予定ですが、検察は彼がまだ供述を変える可能性もありレイプを認めるかはわからないと言っています。

彼女が難民のボランティア活動をしていたことから顔見知りの可能性もありますが、その点はまだわかっていません。

そして名前も公表されない犯人、アフガニスタン難民ですが、彼は昨年ドイツに“同伴者のいない未成年難民(子供難民というやつです)”としてやってきて、市内の一般家庭が受け入れて同居していました。ガクブル

マリアさんの両親は10月26日に娘の死亡告知を新聞に出しています。
葬儀はベルギーの教会で執り行われました。
彼女は12月6日で20歳になるはずでした。

度重なる恐ろしい殺人は、2015年に国境を開けて100万人以上の難民を入れたメルケル首相に更なる圧力を掛けています。
アフガン難民逮捕が発表される前にも、4人の子供を持つ父親が、移民流入でもう安心は感じられないとメルケル首相を非難したばかりでした。

しかし、フライブルク市長のDieter Salomon氏はこう言って市民に警告しました。
犯人の背景(移民や難民や人種などのこと)で一概に論じないで、これを個別の事案として見てください。
左上矢印Dieter Salomonフライブルク市長

線記事紹介終わり線

もしかするとこの間抜けな市長のせいで、犯罪者難民が跋扈するようになったのでしょうか?

皆さんは第3世界に行くときに治安が悪いことを覚悟していくと思います。
安倍総理の客人はほぼみんな第3世界の住人です。
だから移民を入れたら日本が第3世界化するのは当たり前なのです。
メルケル首相も在任期間が長いです。
国民が能天気だから長期政権なのか、長期政権だから情報統制されて能天気なのか知りませんが、マネしないように気を付けなくてはいけないと思います。


追記
マリアさんの両親は「難民大好き」教の狂信的な信者なのでしょう。
両親は娘の葬儀に「花はいらない。その代り難民支援の寄付金を持ってくるように。」と通知していました。

集まったお金は、バングラディッシュのカトリック教会の教育活動と、ドイツのフライブルク市にある “Weitblick Freiburg eV”という団体への寄付金として使うということでした。
“Weitblick Freiburg eV”というのは、難民の送還に反対する団体で、事件後も全く活動を縮小していません。
難民の送還反対というのは日本で言えば仮放免の会みたいなものでしょうか?
この会も不法行為を唆し犯罪者を匿う犯罪組織です。
(参照:ナンミンウォッチさま・「仮放免者の会」とは何なのか ・大統領選挙が浮き彫りにした米国が抱える大問題と日本が得るべき教訓(6)

娘がこのような被害に遭ってまだ懲りないこの狂人たちを私は心底怖いと思いました。ガクブル

(引用終了)