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親子チョコ?(親子で、ちょこっと。。。)

 

(見出し)
ニューディール政策ニューディールせいさく、New Deal)は、1930年代にアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策である。新規まき直し政策や、単にニューディールとも呼ばれる。

 

(私のコメント)
日本を戦争に追い込んだアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは当時どんな立場にいたのか、という内容の記事です。
(要約)
ニューディール政策ニューディールせいさく、New Deal)は、
1930年代にアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策である。
新規まき直し政策や、単にニューディールとも呼ばれる。
彼はリベラルサヨク系には絶大な人気があるが、共和党やアメリカの保守には嫌われている。
その原因は慣例を破って三選したこと、ニューディール政策がうまく行かなかったこと、共産主義国を支援したことなどがあげられる。
アメリカは第二次世界大戦で勝ったが、実際に領土拡大したのは共産主義国だった。
その為、その後共産主義国朝鮮戦争ベトナム戦争を戦わされた。
また、リベラルサヨク官僚、労働組合マスゴミが結びついた連合勢力が国を支配し、政治、学問、マスゴミを捻じ曲げた。
一般にリベラルといわれるのは彼らのことをアメリカでそう呼んだのが始まりだ。
この連中が今でも民主党を頂点にアメリカを牛耳っている。
普通リベラルというのは自由主義のことを言うので、保守でも自由は大切にするし、非常に紛らわしい。
どこが違うか、というと、ヨーロッパや保守が言う自由リベラルは個人主義的なのだが、アメリカのリベラルは平等などの実現に国の強制力を使おうとするのだ。
そこが同じリベラルでも内容が全く違うところだ。
サヨクリベラルは共産主義社会主義も含まれるから民主主義とは対立してしまうのだ。
ルーズベルト大統領は、こういう容共的な官僚学者新聞記者などに囲まれて、その中にソビエトロシアのスパイが紛れ込み暗躍したのだ。
また、そもそも社会主義ユダヤ人が広めたので、ロシア革命のレーニンやトロツキーユダヤ人だし、マルクスもそうだった。
そういうサヨクユダヤ人がナチスドイツの迫害を逃れてアメリカに渡り、ルーズベルト政権に入り込んで影響を及ぼした。
これらアメリカ政府内のサヨクユダヤ人たちは日本を封建的な国と見ていて、社会主義革命を起こすべきだ、と考えていた。
それが日米戦争の遠因になったのだ。
日本は昭和20年2月からばバチカンソビエトロシアなどいろいろなルートを通じて降伏の工作を行っていたがアメリカは応じなかった。
これは日本を徹底的に破壊しつくして社会主義革命、すなわち敗戦革命を起こさせるように仕向けようとしたのだ。
だから、日本の大きな城、例えば、和歌山城岡山城は日本が抵抗できなくなってから爆撃炎上した。
当時のアメリカはソビエトロシアと同じ社会主義左翼の国だったのだ。
日本の戦争は日本が勝手に起こしたわけでなく、こういう世界の大きな歴史の流れの中で起きているのだ。

(私のコメント終)

(引用開始)

ニューディール政策ニューディールせいさく、New Deal)は、
1930年代にアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策である。
新規まき直し政策や、単にニューディールとも呼ばれる。

小室直樹は、「ニューディール政策の多くは、あまりにも革命的でありすぎたため、
つぎつぎに連邦最高裁によって違憲判決が下されたほどであった。
ルーズベルト大統領は、仕方なく、親ルーズベルト的法律家を、多数、最高裁判事に任命して、
やっと合憲判決をせしめるという戦術をとらざるをえなかった。
普通の人々の会話において、「あいつはニューディーラー」だと言えば、戦前の日本において、「あいつはアカだ」というくらいの意味であった。」
『 共和党、特に共和党を支持する保守派から見た【ルーズヴェルト大統領】は英雄どころか、
憲法で定められた民主主義の原則を踏みにじった、とんでもない政治家】です。
第一に、ジョージ・ワシントン初代大統領が三期目の立候補を辞退したことを慣例として、
合衆国大統領の任期は二期までとする【「二期退職の伝統(The Two Terms Tradition)」】を【ルーズヴェルトが破った】ことへの批判があります。

第二に、大恐慌後の不況脱出のためと銘打った【ニューディール政策】が、
民間の経済活動に政府が介入して統制する【社会主義的な政策】だったことです。…
これらの政策に伴って連邦政府機関は肥大、つまり【官僚が急増】し、人数が増えた【リベラル派の官僚】たちの権限も大きくなりました。

第三に、【外交政策の失敗】です。

大統領一期目の最初の年に【ソ連を国家承認】し、第二次世界大戦に参戦してからは【同盟国としてソ連に膨大な援助】を与えて肥え太らせました。
中国では中国国民党蒋介石政権から【中国共産党毛沢東支援】に乗り換えて、【戦後のソ連中国共産党の台頭を招きました】。
しかもそのような外交を行うにあたって、【連邦議会を無視】し、【国務省すら通さない密室外交】の手法も使われました。
その最たるものが、1945年、ソ連領のヤルタで行われた、英米ソ3か国首脳による【ヤルタ会談】です。
ヤルタ会談で【ソ連は東欧諸国を手に入れ】、おびただしい人々が鉄のカーテンの向こうで【圧政と暴力に苦しむ】ことになりました。
また、ルーズヴェルトヤルタ会談で署名した【アジア協定】は、
ソ連がほぼノーコストで中国大陸・南樺太・千島列島を手にすることを認めた】ものでしたが、
連邦議会の承認を得ることなく秘密裏に締結】され、【国民には一切知らされません】でした。
これは、【民主主義国家の基本原則を踏みにじる行為】です。…
この【ヤルタ密約の存在とその内容が明らかになったのは終戦の翌年】のことです。

 第二次世界大戦で、アメリカは軍事的には勝ちました。

 ヨーロッパではナチス・ドイツを降伏させ、アジアでは大日本帝国を倒しました。

 しかし、【ヨーロッパの半分はソ連の勢力圏】になり、【アジアでは共産主義の嵐】が吹き荒れて、平和を取り戻すどころか【朝鮮戦争】と【ベトナム戦争】でさんざん苦戦させられる羽目になっていたのです。

 【朝鮮戦争】も【ベトナム戦争】も、第二次世界大戦の結果、【満州・中国・北朝鮮そっくりソ連スターリンの手に落ちたからこそ起きた戦争】です。…

ポイント

 第四に、ルーズヴェルトが作り出した【ニューディール連合という政治勢力】による、
言論の自由や学問の自由の圧殺と歴史の捻(ね)じ曲げ】です。

 ルーズヴェルトの長期政権の間に、【リベラル派官僚が強大な権限を持つ】ようになり、【労働組合員の数が急増】しました。
これらの勢力と【リベラル派のマスコミ】が結びついた巨大な政治勢力を【「ニューディール連合」】と言います。

 このニューディール連合が、ルーズヴェルト政権以来、戦後に至るまで、
【アメリカの政治・アカデミズム・マスメディアを牛耳っていて、ルーズヴェルトへの批判をタブー視してきた】のです。

 

簡単に言えば、保守派の立場からルーズヴェルト大統領を批判する学者は大学では出世できず、マスコミにも登場させてもらえず、
ルーズヴェルト批判の原稿は新聞でも掲載されませんでした。

 【日本の大学やメディアが左傾化している】とよく言われますが、【アメリカの学界とメディアの左傾化は日本より厳しい】と言えます。

ポイント 32

 【ルーズヴェルト民主党政権】の間に【構築】された【サヨク的なニューディール連合】が
【学界やメディアをガッチリ押さえ込んでしまった】結果、戦後の【アメリカの新聞には産経新聞にあたるものすらない】のが実態です。…

 テレビも同様の【偏向ぶり】で、たとえば【CNN】は保守派からは【「コミュニスト・ニュース・ネットワーク(共産主義者のニュース・ネットワーク)」】と揶揄されています。』

 

いかがでしょうか?

今回ご紹介させていただく書物は、「コミンテルン・キラー」と呼ばれる著者の力作です。
戦後、私たち日本人が、戦前には無かった「社会科」という授業によって「極端に偏った教育」を受け、
その偏った知識をより多く丸暗記した人を「成績優秀」としてしまう教育システムの中で育ってきたせいで、


☆【勝ち目はない】有本香「日本のトップの進学校がこぞって採用している歴史教科書は極めて自虐史観的。こう言う人達が…」

正しい歴史を理解できず、現在の国際情勢でさえキチンと把握できなくなってしまっているわけですが、
本書に記載されているように、近年になって次々と判明する事実によって、日米戦争を含む近現代史の「見直し」が行われている状況にあります。
ぜひ、御一読なされることをお勧めさせて頂きます。

 

さて、私たちの日本が戦うことになってしまったアメリカの、
当時の大統領が、不幸にも、「民主主義」を知らない大統領だったことが御理解いただけたと思いますが、
もっと驚くべきことが本書には書かれているのですが、戦時中のルーズベルト大統領が著しい身体障害(特に「脳」)を患っていたと考えられ、
果たして様々な決断(例えば、ヤルタ密約)を、ルーズベルト本人の意思で行ったのかが不明だと考えられるんです。
考えれば考えるほど、恐ろしいことですね。。。

この良く分からない「新左翼」と呼ばれるテロリスト連中を、当ブログでは「珍パヨク」とも表現させて頂いておりますが、
いったい何なの?ということで、受験用の「お勉強」では、絶対に出てこない「正しい歴史」をご確認いただくために、
大東亜戦争第二次世界大戦で、本当の意味で勝った、「ソ連」の歴史を紐解いているところです。

実は、この「ソ連」という国を正しく知っておくことで、「新左翼」「珍パヨク」と呼ばれるテロリスト連中のことが理解できるようになりますし、
もっと言えば、いま世界で起こっていることの大きな流れが把握でき、そして予測をすることができるんです。

ちなみに、ヒントとして申し上げますと、「中華人民共和国」も「北朝鮮」も、「ソ連」という国が生みだした「傀儡(かいらい)国家」でした。

 

で、その「ソ連」の歴史を紐解く前に、本文中に書かれていた「ニューディール政策」と呼ばれる、
その職務遂行の能力に甚だ疑念があったルーズベルト大統領の社会主義的な政策、これらを唱え推し進めた連中が、自らを自称した言葉が、
アメリカでいうところの「リベラル」でした。

 

実は、このことを安倍総理は、熟知しています。ですので、「御株を奪う」ことを、粛々と推し進めて、いわゆる「左翼リベラル」、
別名「パヨク(・リベラル)」の息の根を止めにかかっているわけです。

 

『 日本では、思想的立場をあらわすとき、よく「リベラル」(自由主義的)という言葉が使われる。
ちょっと聞くと、なんとなく軽やかで、進歩的なイメージをもつが、考えてみるとこれほど意味が理解されずに使われている言葉もない。

 たとえば、かつて自民党に対抗しようとする人たちが、よく口にした「民主リベラル」だが、英語に直訳すれば、Democratic Liberalである。自由民主党の「自由民主」も訳せば、Liberal Democraticである。語順が変わっただけで、いったい、どこが、どう違うのだろうか。

 もともと「リベラル」という言葉は、ヨーロッパとアメリカでは、受けとり方が大きく違う。

 ヨーロッパでは、王権に対して、市民が血を流しながら自由の権利を獲得し、民主主義の制度をつくりあげてきた歴史をもつことから、
同じ「リベラル」でも、他者の介入を許さないという「個人主義」にちかい意味合いで使われる。
これに対して、アメリカにおける「リベラル」は、社会的平等や公正の実現には政府が積極的に介入すべきであると考える、
いわゆる「大きな政府」を支持する立場だ。

 アメリカには、封建制度の歴史がない。生まれながらにして平等な社会が原則であり、
その制度や権力は、新大陸に渡ったピューリタンたち個々人の合意のうえでつくられた。
だから自由主義と民主主義が対立することなく協奏曲できた。

 ところが、建国から150年余り後、1929年に始まった世界大恐慌は、アメリカに1300万人の失業者を生み出すことになった。
このときF・D・ルーズベルト大統領のとったのが、ニューディールと呼ばれる、政府が経済に積極的に介入する政策である。
それは社会主義的な性格をもつ政策だったために、結果として大きな政府へと向かうことになった。

 このときニューディール政策を唱えた人たちが自らを「リベラル」と呼び始めたことから、
社会主義、あるいは、それにちかい考えをもつ人のことをリベラリストと呼ぶようになった。
革命主義や左翼もこの範疇にはいる。いうなれば「リベラル」とは、ヨーロッパとアメリカでは、むしろ対立する概念だったのである。
日本でしばしば用語の混乱がみられるのは、このことがよく理解されていないためだ。』

詳しくはこちらをご参照?

☆ヨーロッパとアメリカの「リベラル」の違い

新しい国へ 美しい国へ 完全版 

重要なポイントを列挙しますと。。。

ニューディール政策を唱えた人たちが自らを「リベラル」と呼び始めた』

社会主義、あるいは、それにちかい考えをもつ人のことをリベラリストと呼ぶ』

『革命主義や左翼もこの範疇にはいる』

以上が、アメリカのルーズベルト大統領の時代(1933年~1945年)に出現した「左翼リベラル」の正体です。

満州事変(1931年~1933年)のあと、支那事変(1937年~)に始まる大東亜戦争終結(1945年)に至るまでの期間、
それがすっぽりと収まるほど長期政権だったのがルーズベルト大統領です。
ちなみに、同じ期間に、私たち日本の内閣総理大臣は11名もいました。

ところで、なぜ、アメリカで「左翼リベラル」が発生したのでしょう?

 

1933年1月30日、ヴァイマル共和政のドイツ(ワイマール共和国)で、パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領が、


パウル・フォン・ヒンデンブルク

アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、

ヒンデンブルク大統領と握手するヒトラー首相(1933年3月)

まもなく大統領令と全権委任法によって憲法を事実上停止します。

全権委任法成立後に演説を行うヒトラー(1933年3月)

つまり、アメリカのルーズベルト大統領と重なるように、ヒトラー総統が率いたナチス・ドイツは1933年~1945年まで存在していました。

ルーズベルト大統領は民主主義によらない憲法無視の大統領であり、ヒトラー総統は憲法を無効化した上での独裁でした。

どちらも、同じ穴の狢(むじな)です。同じ期間に、私たち日本の内閣総理大臣が11名もいたのとは、まったく異なります。

 

ルーズベルト大統領の経済政策とヒトラー総統の経済政策を比較検討するのも非常に面白いのですが、
また別の機会があれば書かせて頂きます(※結論だけ言いますと、ヒトラー総統の経済政策は大成功で、
ルーズベルト大統領の経済政策、すなわち「ニューディール政策」は大失敗でした)。

ここで、お話を元に戻しますが、それではなぜ、アメリカで「左翼リベラル」が発生したのでしょう?


『 移民国家であるアメリカの人種を含めた構成は複雑ですが、20世紀に入ると、
軍事力を握るアングロサクソン、つまりWASPアングロサクソン系白人新教徒)と金融を握るユダヤ人の2つの連合、
というあり方にまとまっていきます。

 このような中でヨーロッパではナチスが台頭してきます。
ナチスはドイツ民族の優越を唱え、ユダヤ人を迫害しました。これへの対抗として、ユダヤ人は多くは社会主義に傾くことになりました。
このことはあまり語られることはありませんが、非常に重要な事実として忘れてはならないことです。

 

 社会主義イデオロギーユダヤ人から広まったのです。マルクスユダヤ人でした。
そのユダヤ人たちがナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命していきます。彼らは民主党政権下でルーズベルト大統領の周辺に入り、
内政や外交をにないます。

 世界恐慌の後、1933年、民主党の力が強まり、非常に左翼的な施策がとられます。ニューディール政策です。
そこにユダヤ人勢力の影響を見るのは容易です。それと同時に、太平洋を隔てて向かい合う日本に対して、一つの方向付けがひそかになされました。
当時、アメリカは日本をどう見ていたかといえば、天皇を戴く非常に封建的な国家である、という認識でした。
この認識から出てきた対日方針とは、民主主義の名を語った社会主義化でした。このことは数々の証拠によって裏付けることができます。

 ユダヤ色が浸透した民主党を導くルーズベルトが、この方針を実行しています。それが日米開戦への道となったのです。
日米交渉がその舞台でした。

 日米交渉のどん詰まりに出てきた最後通牒。これは国務長官ハルの名を冠してハル・ノートとよばれますが、
ユダヤが握る金融の力を存分に発揮するものでした。
石油輸出の全面停止。日本の海外資産の全面凍結。日本が到底受け入れられない条件を提示したのがハル・ノートだったのです。

 日本の出口は戦争以外にはなくなりました。

 念のためにいえば、この時期は東西対立の冷戦状態とはまったく逆で、ソ連を支持し、支援していたのはアメリカだったのです。
ナチスと対峙するソ連ユダヤ人とアメリカ・ホワイトハウスの連携はうなずけるところです。
ハル・ノートを作成したのはホワイトハウスソ連のスパイである、というのは事実であり、歴史を見る上でこのことを無視してはなりません。

 さらに念のためにいえば、ハル国務長官夫人はユダヤ人です。
なお、ルーズベルト家は、オランダから移住したユダヤ系の家系であるといわれています。

 最後は原爆の話です。

 戦争を早く終わらせるための原爆投下だったというのが通説です。しかし、原爆投下を単に孤立した軍事行動ととらえることはできません。
日本を、封建的社会を変え、社会主義化しようとする以上、
日本を変えるためにはまず徹底的な破壊が必要とする一つの象徴的な行為が原爆投下という軍事行動だった、と理解するのが妥当です。
原爆投下はそうしたアメリカの政策だったのです。

 この時期、アメリカは非常に左翼化していた、ということを歴史を見る上ではしっかりと念頭に置かなければなりません。

 この視点を認識すれば、原爆に関わったのがオッペンハイマーをはじめとする左翼ユダヤ人科学者たちだったことも、注目されてくるはずです。

 さらには戦後、日本を占領下に置いたアメリカが日本に対して行ったことも明確になるでしょう。

 すなわち、東京裁判財閥解体学制改革、農地改革、そして憲法などがそれです。それは二段階社会主義革命の一段目だったのです。
そこに左翼化していたアメリカの姿を見るのは容易です。その当時のアメリカへの認識を改めねばならないのです。』


(引用終了)