(優秀メルマガブログ紹介)
ベストセラーから読み解く平成30年 第二回 平成2年
岩田温 mag2 0001648403

 


(私のコメント)


(要約)
思想家の石原慎太郎と実務家であるソニー社長の盛田昭夫の対比を行っている。
石原は観念的で、その言説は尊王攘夷や大戦前夜の鬼畜米英とよく似ている。
盛田は正しい日本の思想を受け継いだ立派な経営者だ。


「仕事というものには賃金をもらうだけでなく自分の働き甲斐というものがあるわけです。
日本の労働者は自分の利益と同時に自分のグループのためになる、という使命感があって、それが働き甲斐につながるわけです。」(88)
「会社の社長として儲けるだけが私の責任ではなく、採用した人はこれから二十年三十年おるんだから、
その人たちがリタイヤするときに「俺はいっぺんしかない自分の生涯をこの会社にいてよかったな」と後悔せずに辞めていかれるような会社にすることも
重要な私の責任であると考えています」(98 )

それに対して石原は
「勇ましいが現実感を欠く石原の放言は、終わりつつあるバブル時代に相応しい華やかだが空疎な発言であったといえるかもしれない。」
(要約終)
そして今は、石原の言説はバブル崩壊と日本の衰退で意味のないこけおどしだった、と証明された。
北朝鮮拉致問題もアメリカのトランプ大統領に丸投げしてカネは出しますから、とお願いする哀れな奴隷国家だ。
昔の尊王攘夷尊王開国に敗れたように、日米戦争が悲惨な負け戦でアメリカと協力して国民を虐殺しただけに終わったように、こういう空論はダメなのだ。

一方盛田の方は、要約引用で示したような状況が今の日本を覆っており、盛田の思想は死に絶えた。
死に絶えたから必然的に日本も衰退滅亡するのは当然のことだ。
今、我々はそういう滅亡する社会に生きている。
津波てんでんこ」という言葉があるが、我々は力の無い弱い庶民だ、ということを自覚し、たくましくしぶとく生き延びないといけない。
ウサギの耳のように周囲を見張り、危険を知らせる微かな情報も捉えて対処するようにして、生き残ることが庶民の仕事だ。
(要約)
Think outside the box
MAKE JAPAN GREAT AGAIN
1.資本主義の企業は、株主に最大の利益(配当)をもたらすことを以て、その目的とする。
宮内オリックス社長(当時)が言っていたように、企業は「株主にどれだけ報いるか」であって「雇用や国のあり方まで経営者が考える必要はない」、というより、考えてはいけないのです。「国賊」こそ正しい経営者のあり方です。*3
2.安倍首相が

「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。

企業活動の国境をなくす。

私が追い求める日本とは、世界に対してどこまでも、広々と、オープンにつながる日本です。

日本を、能力あふれる外国人の皆さんがもっと活躍しやすい場所にしなければなりません。

外国の企業・人が、最も仕事をしやすい国に、日本は変わっていきます。」
3.幸いなことに、日本の労働者は、ちょっとやそっとの技術革新くらいでは太刀打ちできないほど優秀です。
なので、企業にとっての目的合理的行動は、安価な「奴隷」の供給を増やすように政治に働きかけることになります。

日本経済が停滞に突入してから、非正規雇用と女の雇用者が大幅に増えていますが、その背景には、左派が「自由な働き方」や「女の労働力化」「家族給の廃止」を支持したこともあります。
過去20年間の日本において、株主利益を最大化するためには、設備投資よりも「優秀な人材」を安く大量に使うことが合理的であり、そのために、企業経営者は政府と左派の協力を得て女を賃労働に引きずり出すことに注力してきたのです。
4.企業に株主利益の最大化に反する社会的責任を押し付けることほど、自由社会にとって危険なことはないのです。*6*7
*6:エイプリルフールの記事です。

*7:マルクス主義を採用した国々が経済的に自壊したように、日本はフリードマン・ドクトリンを採用して自壊しつつあります。ケインズが『一般理論』に書いたように、危険なのは既得権益ではなく思想なのです。全学連委員長から新自由主義者に転向した香山健一は、日本が新自由主義によって自殺するとは想像できなかったでしょう。

(要約終)


(私のコメント終)
(引用開始)


ベストセラーとなったのは、『Noといえる日本』。石原慎太郎盛田昭夫の共著である。
太陽の季節』で芥川賞を受賞し、鮮烈な作家デビューを果たし、後に国会議員にもなった石原慎太郎ソニーの創業者の一人である盛田昭夫の共著なのだが、いささか風変わりな共著である。
石原の主張は単純明快である。アメリカに対してノーというべきときには、ノーといえという。

 

 

アメリカが日本を守るのではなく、日本がアメリカを守 石原は云う。

 

石原の主張に対して、盛田は日本的経営こそが素晴らしいと熱心に説く。

また、盛田は、戦後日本経済の繁栄の基盤を、会社を「運命共同体」にしたことにあると仕事、会社に関する哲学を語る。

これは極めて重要な指摘だ。労働を賃金を獲得するための苦役とみなすのではなく、自己自身の「生き甲斐」の一種とみなす。古代ギリシア以来「労働」を生きるために嫌々行う営みと見下す考え方が多かったが、日本では鈴木正三にみるように労働を貴ぶ考え方が存在していた。生きるための糧を得る手段ではなく、労働を通じて「生き甲斐」を感じることが幸せだという思想である。

盛田はアメリカの経営者に対して、厳しく「ノー」を突きつける。

 

マネーゲームに狂奔するバブル時代に、これほど見識の高い経営者が存在したということ自体が、日本の誇りというべきではないかと思えてならない。
これに対して、石原の発言は、勇ましいが、危うさを感じさせるものが多い。

 

確かに、自国のことを自国で守るという気概を失っては、国家は成立しない。
勇ましいが現実感を欠く石原の放言は、終わりつつあるバブル時代に相応しい華やかだが空疎な発言であったといえるかもしれない。

 

(引用終了)
(要約引用開始)
http://totb.hatenablog.com/entry/2018/04/01/233414
2018-04-01Think outside the box
MAKE JAPAN GREAT AGAIN
日本の経営者は「有能」
(前略)
以下、「日本の経営者は有能」であることをディベート的に論証します。

「日本がこの二十数年間、経済成長で他国に置いてきぼり」をくらったことについてのアトキンソンの分析は的確です。

そして、価格を引き下げるために社員の所得を減らすという暴挙に手を染める一方、企業としての利益を着々と貯め込んだのです。
利益は増えているのにGDPが増えていないということは、経営者は社員の給料を削って利益を増やしたということです。
その一部は外資系投資家に渡っていることを考えると、文字どおりの「売国行為」と言えるでしょう。

経営戦略としてこれ以上悪質なものはなく、その結果、日本経済をデフレという底なし沼に引きずり込んでしまったのです。

しかし、アトキンソンが誤解しているのは、企業の目的あるいは社会的責任は「株主利益の最大化」であって日本経済の成長ではないことです
フリードマン・ドクトリン)。*1
*1:[同書案内より]竹中平蔵元大臣の補佐官、内閣府参事官として郵政改革を仕上げた高橋洋一氏(東洋大学教授)の解説付き。

 

(中略)

アトキンソンは従業員の給料を削って外人投資家への配当金を増やしたことを「売国行為」と批判していますが、安倍首相が
---
もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。

企業活動の国境をなくす。

私が追い求める日本とは、世界に対してどこまでも、広々と、オープンにつながる日本です。

日本を、能力あふれる外国人の皆さんがもっと活躍しやすい場所にしなければなりません。

外国の企業・人が、最も仕事をしやすい国に、日本は変わっていきます。
---
と言うように、時代は「内外無差別/非・日本第一」であり、日本人と外国人を対立させることは時代錯誤と言わざるを得ません。

以上、日本の経営者が全体として正しい経営判断を行い、唯一の社会的責任である株主利益の最大化を見事に達成したことに疑う余地はありません。
無能ではなく十分に有能と評価できます。

アトキンソンは「日本が明るい将来を迎えるには生産性を向上させることが不可欠」と強調していますが、
「日本が明るい将来を迎える」ためという全体主義的な大義名分の下に、企業に株主利益の最大化に反する社会的責任を押し付けることほど、
自由社会にとって危険なことはないのです。*6*7

*6:エイプリルフールの記事です。

*7:マルクス主義を採用した国々が経済的に自壊したように、日本はフリードマン・ドクトリンを採用して自壊しつつあります。ケインズが『一般理論』に書いたように、危険なのは既得権益ではなく思想なのです。全学連委員長から新自由主義者に転向した香山健一は、日本が新自由主義によって自殺するとは想像できなかったでしょう。

(後略)

 

(要約引用終了)