斎藤孝著「上機嫌の作法」

・不機嫌は何らかの能力が欠如しているのを覆い隠すため
・円滑なコミニケーションのための手段として上機嫌は技として身に付ける。
・先生や落語家は常に上機嫌である必要がある、この人達は上機嫌をワザとして持っている。
・無意味な不機嫌さ、無意味なシャイは人間の成長を妨げる。
・ 人に気を使わせる人になってはいけない。
その逆でいつもご機嫌でかつ頭がいい人になることで人生を豊かに生きる。
・からだと上機嫌は反応と言う点でつながっている。
笑いの反応が常に早いことも上機嫌の条件だ。
・ 人と対話する時、できるだけうなずく相づちを打つ、にっこりする、目を見る。
これだけでも場の雰囲気は良くなる。
不機嫌な人は場の空気を気まずいものにしてしまいます。
相手の言ったことを繰り返す、うなずく事は上機嫌の道としては非常に有効です。
言葉も重要でなるべくポジティブな、肯定的な言葉を使う。
昔の人の考えた言霊は現代でも有効だ。
・上機嫌の前提として「常に肯定的な思考を心がける」こと。
妄想や悲観的な思考が心に浮かんだらなるべく早く打ち切る。
それが客観的にどうなのか、具体的にどうなのか、本質はなにか、考えても仕方がないものか、
見極めて早くポジティブな心を取り戻す。
・まず体を上機嫌にしやすいモードにする、次に上機嫌の意識を持つ。
意識と体は一体のもので両方から上機嫌にさせる。
・不機嫌な人は自分の存在を相手に認めさせたいという自己中心的な考え方から脱却できない。
「認められなくても上機嫌」「馬鹿にされても上機嫌」
・上機嫌の技の基本は「自他共に」肯定できるかどうかだ。
自分を肯定し、他人も肯定する。自分を許し、他人も許す。
・上機嫌力の根本にあるのは「フッキル」こと、吹っ切れ上手になる事
何か囚われる気持ちをすぱっと断つ、これが吹っ切れ上手だ。
これを禅宗では重要視する。
・自分を現実に飲み込まれるままにしておかない、状況からいったん離脱して、自己肯定の視点に立つ。
がんじがらめの状態から全部放り出して無の状態から出発する。
・上機嫌力は「自分が好きという気持ち」と「自分を冷静に突き放して見る視点」とが共存していなければならない。
自己中心だけではだめだ、自己中心の上機嫌は自分が気持ち良いだけで上機嫌の技では無い、
周りへの気遣いもあり自分を突き放すだけの知性もある、自他共に公正に肯定客観視する能力があること。
これが上手に吹っ切れて上機嫌力を身につけられる人。
・上機嫌を身につけるには「断言力」「想像力」「自分を笑い飛ばす力」が大切だ。
「断言力」と言うのは「吹っ切る」わざのこと。正体を見定めて頭を切り替えて次へスタートする。
上機嫌とは「吹っ切ること」でもある。
冷静に現状認識をし物事を断定することでケリをつけていく。
現実をはっきり認めて事柄に対して終結宣言をし、 1つの事実として確定肯定し次に行く。
そうやって心を常にプラスに持っていく、これが上機嫌の基本の心になる。
「想像力」が豊かであれば現実とは別に自分の気分を自ら構築出来る。
妄想は現実との境が不鮮明になるので客観的に見つめる目を持たなければいけない。
その上で自由に想像の世界に遊ぶ。そうすれば現実をフッキルことができる。
想像力は小説でも映画でも構わない。
・自分を笑い飛ばしてしまえるというのは上機嫌の技としてはかなり上級。
自己卑下をするのはプライド、認めてもらいたいという気持ちの反対だ。
自己弁護の予防線だからよくない、自分を大らかに笑い飛ばす器量を持つ。
「負け犬にもかかわらず上機嫌」「開き直って上機嫌」
自分を卑下せず笑い飛ばして吹っ切れ上手、上機嫌術の一級品。
江戸落語に出てくる熊さんハっぁんはお手本だ。
「何言ってやんでー上機嫌」
・状況にかかわらず自分を常に機嫌の良い状態に保つことが上機嫌の技、
「にもかかわらず上機嫌」「あえて上機嫌」「だからどうした上機嫌」
ただし能天気に生きる事でなくしっかりした現状認識し「しかり、ならばもう一度」
と言う肯定的な生き方をする。過去の全てを肯定する。
・自画自賛は上機嫌術の1つ、自慢と自画自賛は違う。
自分の功績を正当に評価できるということだ。
自慢と自己卑下は同じ物。
自慢と謙遜の間で揺れ動くのではなく常に腹の座った客観的視点を持つ。
自分を肯定して評価を高くして、他者を否定したり低く評価するようなことはしない。
自己肯定しても一般社会の客観的判断を狂わせない、それとは別物。
上機嫌な人はダメな自分を笑い飛ばし、自画自賛も出来る人。
皆何かを抱えて生きている、それを乗り越えて上機嫌に振る舞う、これが上機嫌の技術を身につけること。
・上機嫌力、上機嫌術は訓練によって身に付けるもの。
運動と同じで訓練を続けると上機嫌の筋力がついて上機嫌が生活に占める割合が増える。
・上機嫌に振る舞うと身体と心が正しく疲労するのでよく眠れるようになる。
身体も健康になってゆく、好循環が起きる。
・健康な体の基盤があって初めて上機嫌になれる。
人間の3大欲求は食欲性欲睡眠欲、これが満たされないと不機嫌になる。
このほかに「体を温める」ことが重要、これらは上機嫌のインフラのようなもの、
お風呂、運動、家を温める、温かいものを食べる、体を温めることで体をやわらかくすることができる。 
・体を上機嫌にする、体から上機嫌にもっていく。
肩甲骨を大きく動かしてほぐして深呼吸する、これだけでもかなり生き生きする。
気が塞いできたと思ったら深呼吸、体を左右に動かす、首を振るなど体を使う。
余計な妄想がわいたら頭を強く振って吹き飛ばす。
・意識、体、場は一体のもの、体は皮膚で終わっているのではなく外に広がっているイメージ。
・東洋では「せい下丹田」へその下に気が集まると考える。
ここで呼吸を行うことで上半身を柔らかくできる、そうすると余裕が生まれ反応しやすい体になる。
東洋では体と心の状態をトータルに捉え、それを「気」という。なお、西洋は心と体を別に考える。
昔は自分の「気」を良い状態に保ち他人の「気」と交流するように自分を持っていくのが社会常識だった。
今の人は他人がどういう気持ちか気を使わずに平気でいる、利己主義でもあるが昔と反対だ。
だから社会全体の気が失われ衰退していく。
心と体と場は1つの物だから気が通わないと体と場がダメになる。
人が集まった「場」は各人のこころと体とが「気」でつながっているのだ。
・上機嫌のわざに呼吸法がある。
呼吸法を身に付けると、感情を豊かにし心は平静で気持ちの良い状態にすることができる。
臍下丹田で息を吸い込みゆっくりと履いていく、
鼻から産業三秒吸う、 2秒止め、 15秒口からゆっくり吐く、呼吸法。
整体術ではみぞおちに手を当てて鼻から息を吸い込み体を曲げながら手を強く押して口からゆっくり吐き出す。
東洋では呼吸の中でも吐いていくことを重要視する、体内の汚れを取り去り、吐くことで吸えるからだ。
1呼吸で生まれては死ぬというイメージで一つ一つの呼吸で吹っ切ることを練習する。
呼吸法によって不機嫌なものを追い出してしまうわざを身に付ける。
・不機嫌をこじらせないために体からアプローチすることが重要、技術の基本になる。
人間は外界と開放的につながって循環している状態を作れば作るほど機嫌は良くなる。
循環とは呼吸のように息をすったり吐いたりすること。
エネルギーも循環している。
そのためには上半身を柔らかくリラックスさせる、
具体的体操法がある。
上体を腰から前に倒して膝を曲げず、手をつま先のほうにプランとさせる前かがみの状態にする。
この状態で横隔膜で深呼吸する、尻の穴を開いたり閉じたりする。
上半身をぶら下げたような力を抜いた感じにする。
また、その状態で腰や手を左右に振って体をほぐす。
プレッシャーを感じたとき、全身が疲れ切った状態でもこれらの運動で体をほぐすとある程度元へ戻る。
この技を体得しておけば長い人生にとても役に立つ。
・上機嫌な下半身を作るのはスクワット、膝の屈伸運動。
人間の下半身は気力と体力を生み出す原動力になっている。
上半身は柔らかく外界と応答するという役割分担になっている。
東洋ではこれを「上虚下実」(じょうきょかじつ)という。
・手の先足の先耳などは非常にツボの多いところで非常に大切、温めたり、もんでほぐしたりする。
・上機嫌とはエネルギーの開放だから、自分を上手に適正量疲れさせることでもある。
疲れなくなって眠れないと不機嫌の悪循環になる。
仮眠することも上機嫌な体の習慣的技術だ。
このように人間のトータルな存在として上機嫌を考える
・東洋では出来た人達人は気持ちが安定している、基本的に飄々としている。
禅宗のお坊さんは不機嫌でもなく人がいいのでもなく、ただニコニコして穏やかというものでない。
知性のある深いところからものを言う伝統があり、精神としてゆったりとした穏やかな上機嫌だ。
これを達観不動心という。
・中身のない空っぽな上機嫌では意味がない。
現代人は生きているだけの虚無的な拝金主義だけの人生であっても上機嫌の人もいる。
家にこもってパソコンやアイドルだけ追いかけて上機嫌のひともいる。
こういう人は外見だけ見ると上機嫌だが知性の裏打ちがないもので本当の上機嫌では無い。
う・不機嫌な人は他人の不機嫌には敏感だ、そしてまた不機嫌になる、
不機嫌な状態が続くと悪循環で抜け出すきっかけはなくなる。
上機嫌の技を身に付けることが人生にとって非常に大切だ。
・上機嫌の技術を身に付けるにはまず自分がどういうときに不機嫌か探ってみる。
寝不足、空腹、体を冷やす、こういうことが分かればまず体から環境を整える。
・不機嫌そうにしていると周りの人は自分に敵を持っていると受け取ってしまう。
少なくとも否定的な感情として相手に受け取られる、これを気遣ってくれる人はあまりいない。
・不機嫌は多くの場合向上心があるが求めるものがあまりにも大きすぎるときにおきる。
能力の欠如を覆い隠すために不機嫌になる。
・嫌な気分に巻き込まれた状態から自分を引き離してみる力が必要。
これでなぜ自分は不機嫌なのか客観的に自分を眺めてみる、これが大人の知性というもの。
・次に自分が上機嫌の時はどんな時か考えてみる。
買い物、音楽鑑賞、同僚と酒を飲む、その中で人と関わるものが多いと上機嫌の技術を持っていることになる。
この中に自分を上機嫌にする道具や方法を見つけることができる。
・不機嫌の人は世の中で相手にされない、
常ににこやかに機嫌よく人に接し、周りの人が気持ちが良い人になれば人がよってくる。
自分も他人も幸せに出来るから上機嫌を技術として磨く。
・疲れた時こそ機嫌を良くする、これが技というものだ。
疲れたからやらない、かったるいからやらない、では疲労が蓄積するだけ。
あえてやることでエネルギーの循環が起き気分も高まる。
1番機嫌よくしていられないときに明るく振る舞う、これが上機嫌のトレーニングになる。
「落ち込んだときこそ上機嫌」
・本質的に全人格を改造するわけではなく細かなところで自己客観視をしていく練習をする。
人間というのは自己肯定力と自己客観視が両輪として機能するのが基本になる。
現代人の引きこもりの若者は自己肯定力はあるが自己客観視がない典型だ。
・仕事の出来る人は上機嫌な人が多い、 1つずつの動作や話すテンポが早い。
歩いたり、話したりする基本の動作を5%だけ早めるように心がけるのもよい。
ハイテンポは元気を引き出す、英単語の暗記はテンポを上げてやると効果的だ。
テンポとはリズムに乗ること、リズムに乗りリズムをつかむ。
リズムはある人間の体を貫く基本的な要素だ。
自分のテンポやリズムに合わせ、うまく乗ると落ち込んだ気分が上がってくる。
・上機嫌を維持するポイントはとにかく上機嫌を出し続ける事。
上機嫌の状態を習慣化させ技にする。
気分的身体的にイマイチでも機嫌を高いところで保つことができる、
それを反復して身に付けていく。
・悩みは一般論に落ち込むと悲観論に傾いていく、具体論だと前が見えてきて明るくなる。
上機嫌と言っても心が基本だから心をまず明るくすることが必要だ。
・カラオケや声を出して読む事は気分を解放するから上機嫌のアイテムとして有効だ。
・小さな努力の積み重ねで上機嫌は可能になる。
深刻な不機嫌からいかにしてシンプルに簡単に脱出するか、
気軽に気分をスイッチできる方法を技として習慣的にできるようにする。
・上機嫌と頭が良い状態は一致するし一致すべきものだ。
頭のいい人、知性のある人は人と一緒にいる際常に上機嫌だ。
知性があるというのは自分の気分をコントロールできるということだ。
コントロールするのが大人で出来ないししないのが子供だ。
やはり大人になる努力が必要で、それが上機嫌の練習につながる。
気分を整える技術と知性教養は連動する。
頭の良さと機嫌の良さその双方が満たされたとき人は人生に対して幸福感を得ることができる。
・気分は時々刻々の状況によって変わっていくが、
上機嫌力は技だからにつければどんな状況でも繰り返頭使うことができる。
・上機嫌力にとって内側から湧き上がってくる感じは非常に大切な感覚だ。
張り付いたような笑顔と楽しくてしょうがないという笑顔と違う、後者は上機嫌の力だ。
今いるこの時間は楽しいと思っていると上機嫌は内側から出てくる。
・上機嫌は口当たりの良い事を言うことではない。
そうとう辛辣なこと、相手が怒るようなこと、つまり客観的に正しいことを言い続けることでもある。
上機嫌で喧嘩しても構わない。
不機嫌で喧嘩するとと次の未来に向かっていくという感じがない。
上機嫌で客観的に正しいことをいえば相手も受け入れやすくなる。
態度そのものがひとつのメッセージになる。
・ 1人でいる時に、上機嫌である必要は無い、上機嫌力は他の人によって引き出される力だ。
・不機嫌はくせになります、やると結構快感だ、他人が気遣ってくれる。
子供がむずかるのと同じだ。上機嫌は大人の証拠、不機嫌は子供の武器だ。
相手の不機嫌に対して不機嫌で対抗すれば結構ごまかせる。
しかし不機嫌は力にならない。上機嫌な人同士が起こすエネルギーは膨大な可能性をもつ。
・本当に出来る人は上機嫌だ。
いいことがあったから上機嫌、嫌なことがあったから不機嫌というのは修行が足りない。
上機嫌は身に付けるべき技だ。
上機嫌は確実に幸運を引き寄せる。
私たちはどんな人に惹かれるか思い起こせばわかりやすい。